第四章 寄生の口吻
境界は切断線ではない。
それは紙に走る浅い折り目のように、曖昧で、だが確実に残り続ける痕跡だ。
私はこれまで、その痕跡を冷たく記録する「観測者」であろうとした。
だが、ある「声」は境界を撫でるのではなく、裂け目として突きつけてきた。
ある「証言」は、その裂け目の向こう側から「侵入者」の存在を指し示した。
そして、「少年」の視線は、私自身の輪郭に寄生する口吻のように迫ってくる。
《折水 O-λ》を生んだのは私である。
だが、それを寄生の触手へと変えて世界を裂こうとするのは、私ではない。
観測を続けるのか、それとも抗体として裂け目を閉じるのか。答えはまだ見えない。
けれど、冷たい記録に浸してきたはずの指先に、熱が芽生えている。
その日の午後、高校の全校集会は唐突に告げられた。名目は「心のケア講話」。
校内放送のスイッチが入った瞬間、私は小さな誤差を感知した。心のケアという言葉が組織の口から発せられるとき、そこには必ず、語られるべき事件が先にある。講話は原因ではない。結果の包装だ。
体育館の床はワックスの匂いを戻し、冷たい光が均等に降りた。学年ごとに引かれた白線、整列のための目印。うっすらと汗を含んだ冬用の制服。金属製の椅子に、教師たちの沈黙が規則正しく並ぶ。
音響の試験が一度だけ行われ、マイクが小さな「パッ」と破裂音を漏らした。生徒のざわめきが収束する。空気が落ち着くのではなく、押し潰されて薄く均される。
壇上に立ったのは、背丈の低い黒髪ショートの女性だった。猫背気味の輪郭、制服に似せたシンプルな装い。拡声器は傍らにあるだけで、彼女はそれを使わなかった。
黒咲……
声は、意外なほど遠くへ届く。固有振動数を知っている者の出し方だ。体育館の反響を味方に付ける発声。
「本日は、皆さんに集団的加虐行為について、心理学の視点からお話しします」
その最初の一文で、会場の空気は段階的に変化した。沈黙の密度がわずかに上がり、呼気の温度が下がる。
彼女は指を折る。一、二、三。列挙は論の骨格を明示するための技術だ。聞き手は、次の数を待つように集中してしまう。
「まず、責任の分散。集団で行うと、一人あたりの罪悪感は分母で割られます。十人で一人をいじめれば、主観的には一人分の十分の一。そこに『冗談』『ノリ』のラベルを貼れば、さらに薄まる。笑いは溶媒です。二十分の一にすらなる」
静かな体育館に、その声は冷間鍛造のように均一な圧で打ち込まれる。笑いの溶媒という比喩は、道化の仮面が加害を可視化から逃がすことを言い当てる。
「次に、脱個人化と同調。顔や名前、個人的責任がぼやける場では、自己抑制が外れます。集団の中で自分の輪郭が薄れると、判断は**“場”のベクトル**に流れる。『みんながやっているから』は免罪ではありません。行為の所有権は、常に個人にあります」
薄いざわめきが、後方から前列へ波紋のように伝わる。私は胸の奥で息を止め、体内の計器を見つめるように脈を数えた。秤の針は、まだ中央にある。
「三つめ、ラベリング効果。『遊び』『軽い注意』といった言葉は、行為の記憶を別の棚に移し替える。ラベルは認知の取っ手です。被害者自身が『遊びだった』と理解し直せば、訴えの契機は失われる。記憶は事実ではなく、編集結果です」
私はそこで、指先の皮膚が内側からわずかに縮むのを感じた。
言葉は正しい。正しさゆえに、切断面が平滑すぎる。
「四つめ、沈黙の制度化。声を上げない者は『耐える役』として制度化される。沈黙は黙認ではなく、役割になる。『見て見ぬふり』は共同演者です。観客席は、責任から自由ではない」
壇上の笑みが、ごく小さく形を変える。人工的に整えられた微笑。温度を持たない医療用の布のようなニュートラルさ。
私は周囲の教師の目線を確認する。配布された資料に目を落とすふりをしながら、壇上を射る視線が数本。支えるのではなく、測る視線。
「最後に——露悪の偽装です。残虐な行為をわざと誇示すること。例えば遺体を晒すなどの演出は、一見すると怒りや征服の表現に見えますが、本質は原因の攪乱。露悪は煙幕です。人は過激な表層に視線を奪われ、手口の連結から目を逸らす」
——門前に置かれた首。
五つ。晒し。
見えるものが、見えないものを隠す。
私は、彼女の理路にうなずくことができなかった。
論は整然としている。整然さは手術灯だ。だが、手術灯は泥を見ない。現実はもっと濁っている。複数の手が同じ水面を掻き混ぜたあとのように、境界は曖昧で、浮遊物がゆっくりと沈む。
加害者と被害者という二項は、現場では多くが重ね書きされる。
——あの低い声。「迷惑をかけない」。
弱さの仮面は、時に護符であり、時に刃だ。
彼女は歩幅を変えずに、話を次の段へ移した。
テンポは一定。呼吸の取り方が正確だ。三拍子で聴衆の注意を保持し、四拍目で意味の圧を加える。
「犯罪は突然には生まれません。前兆があります。目立つ攻撃性だけが兆候ではない。兆候はしばしば、弱さの形をしています」
声が、ほんのわずかに柔らかくなる。柔らかさは切断面の滑らかさに似ている。だからこそ冷える。
「例えば、『いじめを受けているように見える』生徒。伏し目がちの態度、間を読む沈黙、震える声。それらは本当に弱さを意味するのでしょうか?」
見えるという語に、彼女は重しを乗せた。
私は視線を下ろす。靴裏が体育館の床を捉える角度。自分の歩幅。
見えるものは、見せられたものでもある。
「あるケースでは、それは観測者を欺く仮面に過ぎません。同情を引き寄せ、制裁を正当化し、暴力の正当性を偽装するための演算。弱さは通行許可証にもなり得る」
ざわめきが一段深くなった。誰かの喉が鳴り、椅子の脚が床を擦る。後列のどこかで、スマホのカメラ音が意図的に小さく鳴って、すぐ止んだ。
私は、胸腔の内側で針が微細に震えるのを感じる。ゼロ点がほんの少しズレる。
壇上の女性は、さらに具体へ寄せるようで寄せなかった。固有名詞を避けることで、聴衆がそれぞれ思い当たる輪郭を勝手に当てはめる余地を残す。間接指示の技術。
彼女の視線は群衆の上面を水平に掃く。定規で空気をなぞるような直線。時折、一拍置いてから別の方向へ切り替わる。そこに測定の癖が見える。私は、測られていると理解した。
私の頭の中で、研究ノートのページが捲れる。
《折水 O-λ》——観測すると観測してくるもの。薬品ではなく、病原体のふりをする挙動。
彼女の語りは、折水の項目を別の名前で読み上げているようにも聞こえる。露悪の偽装は原因の攪乱。観測の返りは、証言の返りだ。
「ここで大事なのは、距離です」
彼女は、はっきりと発語の重心を変えた。
「近づきすぎれば、混ざる。遠ざかりすぎれば、見失う。支援と介入の距離は、観測可能域と影の領域のあいだの狭い帯にしかありません」
教師席の一角で、スクールカウンセラーの名札が光る。メモを取る手は止まっている。聴きながら、測る側の手は動かない。
私は呼吸を整える。吸気の長さ、呼気の温度。条件として受け入れる。
「そして——」
彼女は、そこで初めて間を長めに取った。
「供述は、いつでも記録から生成できます。観察は供述の素材です。皆さんの見ていたこと、見ていなかったこと、それ自体が誰かの物語の材料になります」
体育館の空気が、薄い膜を一枚増やした。誰かが咳払いを堪え、誰かが視線を床に落とす。見ていた/見ていないの線引きが、自分の中で急に不安定になる。
私はうなずかなかった。
うなずけば、私の中の何かが確定してしまう気がしたからだ。
論としての正しさは否定しない。ただ、正しすぎるものは現実を平滑化する。滑らかな面は、泥をはじく。
——神代。五人。晒し。
被害者のように見える者は、常に被害者ではない。だが、常に加害者でもない。
境界は線ではない。折り目だ。浅い角度でついた痕跡。なぞれば浮くし、濡らせば薄くなる。紙の中の繊維には、それでも確実に残る。
彼女の声は、再び一定のテンポに戻る。
私は、自分の心拍を数えるのをやめ、周囲の歩幅を測る。右斜め前の生徒の肩が、私の呼吸と同相になっている。左の列の教師の視線は、私の周辺を通過するが、正面には来ない。
測られている。測り返している。
胸の奥で針が震える。微小な振幅。しかし、ゼロには戻らない揺れ。
違和感。
針は生きている。
——そして、何かがこちらを観測している。
集会が終わったあと、私は昇降口の窓際で立ち止まった。
外光は白く濁り、ガラス越しに校庭の砂粒がかすかに移動していく。胸の奥にひとつの公式が組み上がる。
——もしあの講話が正しいなら、神代は「弱さ」を仮面としてまとった加害者である。
では、私が渡した《折水 O-λ》は、どの項に分類されるのだろう。共犯の変数か、それとも演算のノイズか。
震えは収まらず、私は校舎を出て外気を吸った。冷たい空気は肺を通り抜け、内部の温度計を一度だけ揺らす。
そのとき、背後から声がした。
「佐伯さん、ですね」
振り返ると、一人の女性が立っていた。髪を後ろで束ね、目の下の陰りは隠し切れていない。体重のかけ方が左右非対称で、長く続いた緊張が骨に染み込んでいるようだった。彼女は、神代が通っていた中学校の教師だという。
「少し……お話、いいですか」
近くの空き教室に移動した。蛍光灯は一本切れかけ、残りの光は黄ばみを帯び、窓際の埃を散弾のように散らした。机は古く、天板の小さな傷が規則を持たない線を描いている。
彼女は椅子に腰を下ろすと、しばらく黙っていた。沈黙は呼吸よりも重く、時間の密度を歪ませていた。
やがて、声が震えた。
「彼には……危険な空気が、最初からありました」
私は息を飲む。
「いじめられているように見える。確かにそう見える瞬間はありました。けれど、その仕草が……あまりに整いすぎていたんです。伏し目、声の震え、机に置く手の角度。すべてが“観られること”を前提とした配置でした。怯えているように見えて、実際にはこちらを観察していた」
彼女の両手は膝の上で硬直していた。指先が白く浮き、爪が皮膚を押し込む。
「私は……あの目に囚われました。『守らなければならない』と、正義の回路が作動した。でも近づくほど、逆に縛られていく。差し出した言葉は反復され、彼の台詞に変換される。『先生は、こう言いましたよね?』と。私の言葉は、いつの間にか供述の素材にされていた」
教室の外を、足音が通り過ぎた。規則正しい列の中に、一つだけ速い拍。私はその主を追わなかった。
教師は続けた。声は掠れ、言葉の端が削れている。
「彼は弱さを“偽造”します。『助けてください』という訴えが、既に計算の一部なんです。近づく者の道徳を拘束具に変えていく。気づけば、守ろうとした側が依存の鎖に絡め取られている」
彼女はしばし視線を落とし、机の傷をなぞった。
「あの子はね、よくノートを破って捨てていました。答えを間違えると、全部なかったことにする。……でも、人間は紙じゃない。破っても、折り目は残る。
その折り目に気づかない子に、近くで寄り添いすぎると……いつか破る相手にされてしまうんです」
沈黙が降りた。窓際の埃が光に揺れ、ひとつひとつが浮遊する観測点に見えた。
彼女は低く呟いた。
「私は、気づいたときにはもう……彼の“領域”の中にいました」
それ以上、具体的な言葉はなかった。けれど、その表情、刻まれた皺、震える指。そのすべてが証言だった。彼女自身が被害者であることを隠すことはできなかった。
「気をつけてください。あなたも、彼に近づきすぎると危険です」
声は掠れていたが、その響きは警察の推理よりも重かった。
私は返事ができなかった。胸の奥で、恐怖とも憎悪ともつかない熱が膨らんでいく。
彼女の言葉は、私を「被害者」としてではなく、「次の対象」として指差していた。
廊下を戻ると、遥と数人の友人たちがこちらを見ていた。
「美沙、元気ないね」
声色は心配に整えられているのに、瞳孔の奥では「何かを知っているのでは」という微細な揺らぎが反射していた。視線の往復回数、瞬きの間合い、肩に乗る重心——どれもが観測の問いを含んでいる。
私は首を横に振った。
「大丈夫」
その二文字は、意味ではなく標識だ。状況を封じる簡易バリケード。観測者を煙に巻くための薄い煙幕。——だが今、それをいちばん必要としているのは、私自身だった。言い切ることで自分の輪郭を仮固定する。仮固定は応急処置にすぎないのに。
階段踊り場から、別の会話が滑ってくる。
「……あの五人でも勝てなかったらしい」
「いや、最初から危なかったんだよ、あいつ」
声帯の振幅は低く、笑いの成分は検出域外だった。囁きは恐怖の伝達媒体に切り替わり、広がる速度が上がる。五人の不良が「殺された」という報により、神代という座標は、学校の内部地図で畏怖のアイコンに置き換えられていた。
「——やっぱアイツだろ。あの先生のあの感じ、見りゃわかる」
「でも怖くね? 首、晒したのも……」
彼らは固有名詞を避け、輪郭だけで語る。沈黙が余白を補完し、余白がかえって意味を濃くする。私は振り返らなかった。ただ、その音だけが耳の内側の壁で跳ね返り、反響として自分の内側の言葉を変形させる。
——彼は被害者であり、同時に加害者だった。
その矛盾が、私の判断回路に相反する符号を流し込む。
弱さの仮面は護符にも刃にもなる。どちらに見えるかは観測距離に依存する。近いほど混ざる。遠いほど見失う。
胸の奥で、唐突に火がついた。
怒り。
燃えているのに温度の単位を持たない種類の熱。心拍の周期だけが、確かに値を示す。
私の身体的境界が直接侵犯されたわけではない。だが、人としての私的領域を斜めに横切る踏み跡がついた感覚があった。ラベルとしての性別、社会的な輪郭、その奥に置いてきた静かな部分——そこへ、嘲弄に似た指が触れた痕跡。
噂は、教育という制度の中にあるべき距離を崩す越境を語っていた。
大人の領域が巻き込まれ、指導という名の線が、誰かの意図で曲げられ、結び目にされる。
「保護」が「拘束」に反転する瞬間。
その反転を、演出として使う者がいる。
その座標に、彼——侵入者——は立っているのだと、教師の証言は輪郭だけを残していった。
私は歩みを止め、廊下の外光に目を細めた。ガラスに映る自分の輪郭は、半透明に揺れる。
脳裏では、複数の専門語が勝手に整列する。
脱個人化、責任の分散、ラベリング効果、沈黙の制度化、露悪の偽装。
並べ終えた直後に、それらを一度、指で崩す。現実は概念を嫌う。概念は便利だが、泥をすくい取らない。
泥の中にあるのは、声にならなかった視線、文字にされなかった圧、手の置き方の角度、呼吸の長さ、歩幅の差。
そして、折り目。濡らせば薄れ、乾けば浮く痕跡。
私の中で、秤がわずかに傾いた。
観測者としての私——距離を取り、記述だけを残す私——の針が、中立点から離れ始める。
これはただの気分ではない。呼吸の長さが変わり、前腕の屈筋に不随意の微振動が出る。指先の温度が下がり、視界の周辺が少しだけ硬くなる。行動準備電位。閾値の手前で、身体は先に決めている。
私は知っている。
制度は均す。メディアは並べる。捜査は測る。
だが、誰かの内側の折目にたまる濁りは、どの照明でも平滑化できない。
教師の輪郭は、言葉に置き換えられない何かで削られていた。彼女は具体を語らないまま、「領域に取り込まれていた」とだけ言った。
具体を避ける言葉こそ、具体だった。
私はその無音の証言を、音のあるどんな説明よりも重く受け取る。
頭の片隅で、数式が勝手に回り始める。
もし彼が、弱さの偽造を武器に他者の距離を崩すなら、
もし私が、《折水》という鍵を彼に渡したなら、
もし鍵が、開けるべきでない扉を開けることに使われたなら。
——そのとき私の役割は、まだ観測者でいられるのか。
それとも、抗体として「閉じる」側に回るしかないのか。
廊下の端でベルが鳴り、アナウンスが空気を薄く削った。
私は、喉の奥で小さく息を嚥下する。
裁きという語は使いたくない。けれど、秤の針は確かに動いた。
——観測の記録を続ける手が、計算のために鉛筆の角度を変える。
——距離の計算が、行動の計算に連接する。
私は理解する。
今、私を最も強く動かしているのは、憎悪そのものではない。
侮辱の記憶が、輪郭の内側で形を取ったという事実だ。
その事実が、観測者の私を不適任にする。
不適任になった観測者は——たぶん、別の役割に移るしかない。
歩幅を半拍だけ縮めて、私は教室へ戻る向きを変えた。
足音が床に落ちるたび、内側の針が微小に揺れる。ゼロには戻らない揺れ。
その振幅を、私はもう「誤差」とは呼べなかった。
意思と名づけるには、まだ早い。
けれど、準備と呼ぶには、十分だった。
夜、自室の机にノートを広げた。
蛍光灯の光は薄く滲み、ページの繊維を細かく浮かび上がらせる。そこに黒鉛で刻まれた《折水 O-λ》の文字列は、研究のラベルであると同時に、いまや告発文の表題のようにも見えた。
私は初めて、「破棄」という語を思い浮かべた。
この分子群は、もはや単なる研究対象ではない。
神代に渡った副系が、五人を死に至らしめ、さらには晒しという形で露悪を演出した。
ならば、オリジナルを残すことは私自身を告発する物証を保存することと同義だった。
存在そのものが、私を「観測者」から「加担者」へと転落させる痕跡になる。
私は破棄の方法を、数理シミュレーションのように反復した。
① 焼却
高温下で分子を完全燃焼させる。だが「完全」という概念は実験系には存在しない。熱分解は予測不能な中間生成物を生み、未知の揮発性成分が外気に拡散する恐れがある。
——燃やすことは、消すことではなく、分散にすぎない。痕跡は空気に変換され、不可視の形で漂い続ける。
② 溶媒による分解
強酸、強塩基、あるいは酸化剤。だがその過程で生成される副産物が、折水の特徴的な挙動を模倣する危険性があった。
化学はしばしば「破壊」を装って「変形」を行う。完全な消去ではなく、別の未知物の誕生にすぎない。
——分解は、死ではなく変態だ。名前を変えて存続するだけ。
③ 封印
液体窒素下で凍結保存し、実質的に無力化する。温度を極限まで下げれば、分子の運動は限界まで抑制される。だがそれは「死」ではなく「休眠」でしかない。
休眠したものは、条件次第で再覚醒する。冷凍保存は「棺」ではなく「時計仕掛けの延命装置」だ。
⸻
私は結論に辿り着けなかった。
むしろ、破棄のシミュレーションを繰り返せば繰り返すほど、折水の存在は私の中で肥大していった。
「焼却すれば痕跡が漂う」「分解すれば異形が生まれる」「封印すれば再起動する」。どの方法も完全性を保証しない。
そして気づいた。
——破棄を考えること自体が、折水の存続戦略に含まれているのではないか。
分子群は単なる化学式にすぎないはずだった。だが観測するごとに、私はその存在を「薬品」ではなく「病原体の模倣」と呼ばざるを得なくなった。
作用は急性感染症に酷似する。息苦しさ、脈の乱れ、そして沈黙。外形的には既知の症状に擬態する。まるで、責任を他の病理へ転嫁するように。
もし折水が「破棄」の議論を人間に強いることで、自らを記録から消させないように設計されているとしたら?
それはもはや薬品ではない。情報的存在だ。観測者の思考の中に寄生し、忘却を妨げる。
机に広げたノートの上で、私は鉛筆を握り直した。
「破棄」という二文字は、思考の終点ではなく、増殖の始点になっていた。
線を引けば引くほど、折水の像は濃くなり、私の中で領域を拡大していく。
完全に消すことは、できない。
ならば、私に残された選択肢は何か。
観測者でいることか、それとも——抗体として自ら介入することか。
翌朝、小田先生が教室で声をかけてきた。
「佐伯、最近少し顔色が悪いね」
声の温度は穏やかだったが、瞳の奥には記録者の焦点があった。教師が日常的に使う、欠席や提出物と同じ精度で、生徒の表情と沈黙を蓄積する目。私の脈拍は、言葉より一瞬早く応答した。
私は即座に笑顔を作った。
「大丈夫です」
——繰り返される記号。状況を閉じるための最短の文。
しかし小田先生は、わずかに視線を落とした。私の机、ノートの背、インデックスの色。視線の停滞時間が普段より長い。
「観察って大事だよな。記録しておけば、後で見直せる」
その一言で、背筋が冷たくなった。見直すという語は、教育の現場では励ましだが、捜査の現場では再構成を意味する。
もしノートが開かれたら? 表紙の内側に鉛筆で刻んだ《折水 O-λ》の文字列が見つかったら? そこから線は逆算され、私の存在は式の解として指し示される。
——次の首という言葉が、比喩のまま喉に引っかかった。
チャイムが鳴り、午前の授業は粛々と進んだ。板書のチョークが粉を落とし、消し跡がわずかに白く曇る。ノートを取る手は動きを失い、私は空白を記録した。空白も記録の一種だ。ページの余白に、濁った気配が沈殿していく。
昼休み、窓際のベンチに腰かける前に、廊下の角で遥たちの囁きが耳に触れた。
「やっぱあの事件って、普通じゃないよね」
「五人でも……」
「怖い」
笑いはなかった。冗談の溶媒は、完全に蒸発している。声の粒が密度を増し、音より先に意味が届く。畏怖がクラスを覆い、机と机のあいだを薄い膜に変えた。誰もが小さく息を潜め、その膜を破らないように歩いた。
「——アイツだろ」
誰かが固有名詞を避けて輪郭だけを指した。もう一人が沈黙で同意する。噂は匿名の矢印だけを増殖させ、的を描かないまま、同じ方向へ刺さる。
私は振り返らなかった。反響は耳の内壁で形を変え、やがて胸腔の奥へ沈む。
知っている。
——それが、私の昼食を無味にした唯一の調味料だった。
この教室で、私は**「本当の死因」に最も近い位置にいる。
私が渡したものが、境界を裂いた。
だから私が、境界を閉じなければならない**。
義務という語は使わない。だが、呼吸の長さと心拍の位相は、既に行動準備の曲線を描きはじめている。
午後、ページを閉じたあとも、心拍は収まらなかった。ノートの紙が擦れる音が、必要以上に大きい。机の上の鉛筆が、ゆっくりと転がって端で躊躇し、床へ落ちた。——軽い音のはずなのに、部屋全体が震えたように感じた。
私は拾わなかった。鉛筆は観測の器具だ。拾えば、私は再び「記録する手」に戻る。
戻れば、距離が復活する。
距離が復活すれば、私はまた混ざらないふりを始めるだろう。
——もう、戻れない。
視界の周辺が硬くなる。選択という語の輪郭が、机の木目に沿って立ち上がる。
小田先生の「見直せる」という言葉は、まだ耳の浅いところで鳴っていた。見直しは教育では前向きだが、ここでの見直しは証拠の再編だ。
ノートは紙としての厚みより、物語としての厚みを増している。ページをめくる行為は、私を被観測者に変える儀式でもある。
窓の外で、風が校庭の砂の層を薄く移動させた。誰も気づかないほど小さな変化。だが、変化は確率ではなく事実だ。
私は机の縁に触れる。木の冷たさが、皮膚から現実の温度を奪っていく。
観測者の位置に、もう座り直せないと知る。
それでも、私は記録を捨てない。
——捨てない代わりに、記録の使い方を変える。
ページは閉じたまま、内側で計算が始まる。
境界の折り目を、どこで深くし、どこで浅くするか。
浅ければ戻る。深ければ、戻らない。
その単純な幾何が、私の呼吸と同期した。
床に伏せた鉛筆は、光の角度で薄く光った。
拾えば、記録は続く。
拾わなければ、行為が始まる。
私は手を伸ばさなかった。
未然形のまま、意思は十分だった。
ノートを閉じても震えは収まらない。
拾わなかった鉛筆の光は、まだ床に残っている。
それは「記録の放棄」ではなく、「行為の宣言」として私を照らしている。
もし境界を深く折り込むなら、もう戻れない。
だが、それを恐れて浅く折れば、裂け目は閉じない。
次章に続く選択は、いずれにせよ私の手の内にある。
どうか覚えていてほしい。
観測者はいつでも、観測される側に転じうる。
その瞬間、紙の折り目はただの痕跡ではなく、行為の刃になる。
私はその刃を手に取るかもしれない。
おやすみ。また、明日。