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第二章 連鎖の起点

 この章に、私は名前を与えない。名づけることは切り分けることだから。ここに書くのは、たった一度の「確認」と、ほんの小さな「操作」と、私の手の届かないところで起きた結果のこと。

 私は依然として、日常の観察者のつもりでいる。これは事件の説明ではなく、観察記録の延長だ。

 つまり、安心してほしい——と、言いかけてやめる。文字は嘘をつかないが、読まれる順番で印象を変える。私は印象を操作する必要はない。ただ、見たことと、触れたことと、考えたことだけを書く。

 本文の中に、後を知る人が増やしがちな「解釈」を紛れ込ませたりはしない。ここは、私の視界の証言だ。

 教室の空気は、朝よりも午後の方が重い。放課後の予告編が廊下を先に走って、机の上の消しゴムがかすかに転がる。昼食後の理科準備室は、蛍光灯の緑が濃くなる時間帯だ。私は白衣に袖を通す。袖口のゴムが、今日は少しだけよく戻った。私の皮膚が慣れただけかもしれない。


 ノートの今日の日付に丸をつける。その丸は、昨日よりもわずかに歪んでいる。歪みは、私に安心を与える。すべてが同じである日など、世界にはないからだ。

 乾燥器のガラス窓の曇りぐあいを指でなぞる。コンデンサの唸りが弱い。温度は規定より一度下がり、湿度は二パーセント上がっている。数値は整っていないが、整わないことは実験をやめる理由にはならない。私はむしろ、そういう不揃いのゆらぎが好きだった。


 今日のテーマは、「近づける」。混ぜないで、近づける。触れさせずに、応答を観る。

 私は二つの系を、同じ平面に置いた。記号で言えばAとB。どちらも、ここに記しても差し支えない日常の顔を持っている。ただ、ある温度と時間と圧の組み合わせで、彼らの間に小さな橋が架かることを、ここ数日の「確認」でほぼ確信している。

 橋は見えない。見えないものを、私は見えないまま観測するしかない。指標にするのは、わずかな重さと、目に見えないはずの表面の「疲れ」である。疲れは数字になりにくい。それでも私は、ノートの左ページに指標を縦に並べ、右ページに時間を横に刻んだ。

 矢印は少ない方がいい。私は矢印を二本だけ引く。一つは時間へ、一つは観測へ。矢印が多い計画は、たいてい「計画そのもの」を観測しはじめる。私は物そのものを見たい。


 手袋をはめ、Bの表面に薄い膜を、空気よりも薄い気持ちで近づける。触れない距離を保ちながら、時間に仕事をさせる。時間は、いつも私より怠け者のふりをして、私より働き者だ。

 秒針を見ない。私は光で時間を読んだ。窓の桟を撫でる光が、棚のラベルの黄ばみを撫で、その黄ばみの輪郭が微かに硬くなる瞬間がある。そこまでが「第一段階」。そこから黄ばみの影が紙の繊維に入り込むまでが「第二段階」。昨日までは合計で十五分前後。今日は湿度が高いから、もう少しかかる。


 扉が小さく鳴って、背後から気配が入ってくる。私は振り返らない。足音で、小田先生ではないと分かる。軽いスニーカーの接地。購買の新しいアルバイトの男子だ。先週から何度か、備品の補充にこの部屋に来ていた。

「すみませーん、またガーゼ……」

 彼は私の背後を通って、棚に手を伸ばす。指先がラベルに触れて、テープの端が少し持ち上がった。

「そこじゃない。上の段」

「あ、ありがとうございます」

 彼は目を合わせない。あいかわらずだ。目を合わせない行為は、注意の節約でもあり、未知との距離の取り方でもあった。

 扉が閉じる。空気が入れ替わる。そのわずかな気圧の変動が、Bの表面の「疲れ」に反映される。疲れは、呼吸と似ている。


 私は近接を解いた。膜を離し、AとBの距離を戻す。反応はすぐには見えない。見えないものを、見えない手段で測るのが、私の「確認」だ。

 秤の指針は、一万分の一まで目盛りが刻まれている。指針がゆっくり呼吸するように揺れる。私はそっと台の脚を押さえ、振動を殺す。数字はさっきと違う。違いは小さいが、偶然ではない。偶然ではないものを、私は偶然のふりをさせない。

 ノートに記す。時刻、温度、湿度、差分、そして「異常」の欄には何も書かない。異常がないことも、記録する。白は無関心ではない。白は選択だ。


 作業を終えると、私は器具の外側を拭き、容器の首に細い封をかける。封は強すぎず、弱すぎず。強い封は「開ける行為」を強いる。弱い封は「紛れ」を招く。

 容器にはラベルを二重に貼る。外側のラベルには、誰が見ても当たり前の名前。内側のラベルには、私だけが読める符号。符号は簡単な置換だ。誰でも破れるが、誰も破ろうとしない類の鍵で十分だ。

 棚の奥、光が直接差し込まない位置に容器を置く。私は置く角度まで記憶する癖がある。角度は、記憶を助ける。少しでも角度が変わると、違和を感じる。違和は、私の警報だ。


 鍵を返すために準備室を出る。廊下には、運動部の靴音が跳ねている。体育館から金属のラケットがぶつかる音。湿度が廊下に滞留し、髪が少しだけ重くなる。

 職員室の前で、小田先生に会う。

「終わったか」

「はい。今日の分は」

「記録は残しておけ。あと、棚のラベルが剥がれかけてる。今度貼り直す」

「わかりました」

 先生は言いながら、私の肩の辺りを細く見た。目線は手元ではなく、袖口に向いている。袖口のゴムの戻りが、やはり悪かったのか。私は無意識に手首を引っ込める。


 家に帰ると、夕方のニュースがリビングの空気を占領していた。父はチャンネルを変えず、母は台所から様子を見ている。画面の隅に、見たことのない地名が出ていた。

 私はスイッチを切らない。テレビの音は、私の観測の外側にあるが、外側にあるものは境界で役に立つ。境界は、内側を知るための形見。

 ニュースの二本目に、交通事故の速報が挟まった。県内だが、私の町ではない。レポーターの背後で、警察官がコーンを並べている。その列の端で、ひとりの男性が短くカメラに向かって話す。

 ——名前を、母が口にした。

「朝永、っていうのね。覚えやすい名前だわ」

 母の勘は、時々やけに当たる。私は頷かず、否定もしない。

「ニュースで最近よく見るのよ。あの人、落ち着いてる」

 私はコップの水滴を指で払って、机の端に移した。水滴は、放っておくと勝手に落ちる。落ちる先は選べないのに、落ちた跡だけが鮮明に残る。


 翌日、理科準備室に入ると、空気の密度が違った。湿度ではない。空気の「意味」の密度が違う。

 棚の一角に、小さな空白があった。容器の並びは昨日と同じだが、容器の首の角度が、私の記憶と一致しない。ほんの、指の腹一つ分の違い。

 私は台の脚に手を置き、呼吸を止める。視界の端の埃が、落ちるか落ちないかの境界にある。落ちない。ならば、空調の風量は昨日より弱い。

 記録簿に目を落とす。昨日、私の後に二回、鍵が出入りしている。時間は、放課後の終わりと、夜のはずのない時刻。夜の分は、保健の先生の字だ。

 私は容器のラベルの「角」を指でなぞる。角に触れると、ラベルの下に隠れている内側の紙が、薄く生きているのが分かる。剥がれてはいない。剥がれたのは、別の「注意」だ。


 昼休み、購買の列は短かった。新しいアルバイトの男子がいない。会計が早い。列が早く進む。習慣の速度が、急に変わる。食パンの袋を開ける音が軽い。

「今日の人、やけに手際いいね」遥が言う。

「昨日、倒れたんだって」前に並んだ生徒が言う。

 私はパンの袋を持ったまま、指先の汗をふいた。汗は不意に出る。出てから気づく。

「どこで?」私の声は、普通の高さで出たと思う。

「帰り道。貧血だってさ。救急車来たらしいよ」

 貧血、という言葉は便利だ。多くのものを一度に包める。 包んだまま、解く必要がない。


 午後の授業は、音のないしおりのように過ぎた。紙の角が私の爪に触れて、ほんの少しだけ白くなる。角は棘の別名だ。棘は、意図せずに人を刺す。

 放課後、私は再び準備室に入る。容器の首の角度は、朝と同じ。朝と同じなのに、朝よりも違和が濃い。違和は、時刻に比例することがある。

 秤の皿に何も乗せないまま、私は指針の揺れを見た。部屋の呼吸が、秤に映る。呼吸は穏やかで、一瞬だけ乱れ、すぐに戻る。戻る、という言葉は安心を連れてくるが、戻る前と戻った後は同じではない。

 私はノートに今日の欄を作り、何も観測していない欄に、あらかじめ「観測なし」と書いた。観測しないことを決めるのも、観測の一形態だ。


 小田先生が入ってきた。手に茶封筒。

「佐伯、昨日の注意。夜に保健の先生が開けたのは、応急の補充だ。ガーゼの棚が足りなくてな」

「はい」

「それから……購買の子、倒れたそうだ。さっき教頭から回ってきた」

 先生は言いながら、封筒を私に渡した。中には、実験中の事故防止についての古いプリント。角が丸くなっている。

「別件だ。保険の更新で、こういうのを挟む決まりでな」

「読みます」

 私は頷きながら、封筒の紙の質を指先で測る。ざらつきは、時間の堆積の指紋だ。


 帰路、川の表面が曇って見えた。雲ではない。風でもない。私の目のピントが、無意識に近景に合っている。

 橋のたもとで、救急車の音が遠くから三回、近くで一回。朝の音と同じ回数。反復の中に、意味を探すのは、私の悪癖だ。

 家に戻ると、ニュースは朝と同じ人が出ていた。母が「あの警部さん」と言った。私は頷く。名前は、まだ私の口の中で音にならない。

 ニュースの三本目に、私の町のテロップが出た。別の案件。小さな事故。遠景に映る制服姿の背中。顔は見えない。

 私は台所に回り、コップの水を満たした。水面が一瞬だけ盛り上がる。その微かな凸を、私は指で叩かずに眺めた。水は、表面の緊張で形を保つ。保つ時間は、文脈で変わる。


 翌朝、学校に行くと、掲示板の端に小さな紙が貼ってあった。購買部からのお知らせ。

 昼休み、列はさらに早く進む。会計の手のリズムが変わって、列全体が薄く浮いたような気配になる。

 私はパンを受け取り、支払いを済ませてから、ふと振り返ってしまう。その行為に意味はない。けれど、行為に意味がないことが、後から意味を持つことがある。


 午後、校内放送のチャイムが一度だけ鳴った。放送は入らない。鳴り方が不完全だった。

 その日の放課後、保健室の前に、人の集まりができた。私は近づかない。人が集まるところは、情報の密度が高すぎる。私は密度を嫌う。

 廊下の端で、用務員の女性がモップを絞っていた。バケツの水の色は、朝よりわずかに濃い。

「なにがあったんですか」遥が近づいて訊ねる。

「……ちょっとね」女性は言葉を濁した。濁すことは、守ることでもある。


 理科準備室に戻ると、鍵の管理簿に、新しい名前が増えていた。校外の名前。ひらがなと漢字が混じっている。所属の欄に「生活安全課補助」と書いてある。

 外の温度が、ついに内側に入ってきたのだ。

 私は容器の角度を確かめ、封の状態を見、ラベルの表面を軽く押した。封は生きていた。ラベルは剥がれていない。角度は、私の記憶に輪郭を合わせた。

 ならば——違ったのは何か。

 秤を見た。皿の上には何もない。なのに、指針は一瞬だけ呼吸を速めて、また落ち着いた。部屋の呼吸ではない。人の呼吸だ。

 私はドアに視線を向ける。誰もいない。けれど、誰かがいた痕跡は残る。痕跡は、音ではなく「欠落」の形をとることがある。


 帰り道、川の表面に浮いた葉が、橋脚の影で停滞していた。流れに逆らっているのではなく、流れにまだ触れていないだけだ。触れない時間は、長いようで短い。短いようで長い。

 家に戻ると、電話が鳴った。母が出る。短いやりとり。母が受話器を置く音は軽い。

「購買の子、入院したって」

 私は頷いた。頷く行為は、それだけで意味を持つ。

「原因は、まだ分からないらしいわ」

 分からないで曖昧にしておく方がいい場合がある。私は肯定もしないし、否定もしない。

「最近、ニュースで見る警部さん、ほら、朝永って。あの人、また出てたよ」

 母の声がテレビの音と混じって、部屋の空気に溶けた。私は水を飲み、喉の内側の温度が下がるのを確認する。


 夜、ノートを開いた。今日の欄に、私は「観測なし」の横に小さく点を打った。点は、私の中で意味を持たない。ただ、未来の私が見返したときに、その点で足を止めるための砂粒だ。

 ベッドに入る前に、私は容器の置き場の図を頭の中で再構成した。角度、封、ラベル、棚の高さ。目を閉じたまま、私は手を空へ持ち上げ、見えない容器の首に触れようとする。触れない。触れないことが、今日は正しい。

 救急車の音は、今日は遠くで二回だけだった。数が減ると、安心する。けれど、数が減ったときにだけ不安が増えることもある。私の中の秤は、いつも釣り合いを求めて、決して釣り合わない。


 翌日、校内に、知らないスーツの人間が二人いた。職員室に吸い込まれていく背中。ひとりは若く、ひとりは若くない。若くない方の歩幅が、廊下のタイルの目地の長さと一致している。そういう歩き方をする人は、声を荒げない。

 昼休み、食堂に臨時の張り紙。「体調不良の際はすぐに申し出ること」。当たり前の文言が、急に太字になると、意味が変わる。

 私はパンではなく牛乳を選んだ。牛乳の白は、私にとって中立ではない。白は、私は安全だと錯覚させる。錯覚は、時に救いだ。


 放課後、準備室のドアを開けると、予感していた匂いが、実際に鼻に触れた。匂いは名づけを嫌う。私は名をつけない。

 秤の指針は、私の顔を見て、わずかに揺れた。私は皿に何も乗せずに、指針の揺れが収まるのを待つ。待つ行為は、観測の一部だ。

 ノートに「観測なし」ともう一度書き、余白に一本の線を引いた。線は、昨日より深い。深さは、私の内側の濃度だ。


 家に戻ると、ニュースが、昨日と同じ人を映していた。母が言う前に、私は心の中で名前を呼んだ。

 朝永。

 彼は落ち着いている。落ち着いていることは、私に落ち着きを与えない。

 画面の隅に、別の単語が出た。別の町の、別の調査の単語。私はその単語に、観測とは関係のない寒さを感じた。

 私はコップの水を、流しに捨てた。水が回転して、銀色の口の中に消える。消えるものは、消えた後にしか存在を確かめられない。


 夜更け、私はノートの角を折った。浅く、四十五度より少し浅く。浅い折り目はすぐに戻る。戻る紙は、戻る前と同じではない。

 私は指を離さずに、しばらく角を押さえた。指先の温度で紙が柔らかくなる。柔らかくなった紙は、私の指の形を少しだけ覚える。

 明日、私は確認を続ける。混ぜないで近づける。触れさせないで観る。

 観ることは、私の安全だったはずだ。安全と、無関与は違う。違うことを、私はまだ言葉にしない。言葉にしないことは、沈黙ではない。沈黙は、折り目に似ている。折られたことだけが、確かに残る。


 窓の外で、猫が低く鳴いた。時計の秒針が、今夜は規則正しい。規則正しさが、こんなに怖い夜も珍しい。

 私は眠った。眠りは、矢印のない地図だ。どちらへも進めるふりをして、どこへも進ませない。

 明日の光は、今日の黄ばみをまた撫でるだろう。黄ばみが固くなるまでの時間は、いつもより長くなるかもしれない。湿度が、予報では上がるから。

 予報は、当たる。当たらない。私がそれをどちらに分類するかは、私の都合でしかない。

 私はページを閉じた。閉じるとき、紙の中の折り目が、水の底に沈む音がした。実際には、音などしていない。けれど、私の中では確かに、沈んでいった。


 書いてしまうと、すべてが私の選択のように見える。けれど、選択と結果の間には、いつも「猶予」がある。猶予は、私の得意分野だった。観測して、待って、触れないでいること。

 なのに、触れてしまったのは誰か。私か、時間か、誰かの手か。

 「貧血」という言葉の便利さに、私は少しだけ嫉妬する。あの言葉には、無数の出来事を均質化する力がある。私は、その均質化の外側に立ちたいのか、内側にいたいのか、まだ決めていない。

 母は今夜も、ニュースの人の名前を軽く口にした。朝永。名前は、私の中で形を持ち始める。形は、輪郭を呼ぶ。輪郭は、質問を作る。あの人は、どこまでを見て、どこからを見ないふりをするのだろう。

 次の頁は、たぶんもう少しうるさい。外の温度が、言葉の形をして入ってくる。私は観察者でいられるかどうか、試される。

 明日、私はまた確認をする。混ぜない。近づける。触れさせない。——同じことを繰り返す。

 繰り返しは、私を守る。と同時に、私を連れていく。

 折り目は、水に沈む。沈むから、安全だと私は思っていた。

 安全という言葉は、便利だ。

 便利なものは、いつでも裏返る。


 おやすみ。また、明日。

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