第九章:行方不明の光
菫は怒りのままに雅恵のもとへ足を進めた。
雅恵はつい先ほどまで友人たちと談笑していたが、菫の形相を見て、言葉を切った。
彼女だけではない。
優夜と菫のペアが戻ってきたことに気づき、周囲の視線が集まった。
菫「ちょっと、あんた!」
腕を組み、鋭い目つきで雅恵を睨みつける。
菫「一体、何のつもり?」
雅恵はわずかに眉をひそめ、面倒くさそうにため息をついた。
雅恵「また何? 今度は何が気に入らないっていうの?」
菫「しらばっくれないで!」
その声が一段と高くなる。
菫「さっきのアレ! あんたでしょ?
着物着て、狐のお面被って、わざわざあたしたちを驚かせようとしたんでしょ!」
雅恵「はぁ?」
目を瞬かせる。
雅恵「何の話? うち、そんなことしてないけど?」
菫「嘘つくな!」
さらに一歩踏み出す。
しかし、雅恵の顔には本気で心当たりがないような困惑が浮かんでいた。
周囲は静まり返り、誰もが二人の言い合いを見守りながら、何が起こっているのか測りかねている様子だった。
優夜もまた、黙ったまま思考を巡らせていた。
そして、しばらくの沈黙の後、彼はぽつりと口を開いた。
優夜「……なあ、マサはずっとここにいた?」
花音「ええ、いたわよ。ずっと。消えたりなんかしてない。」
美月「私も見てた。」
ニコール「私も。」
ヒロと翔は困惑した表情を浮かべ、明は無言のまま木に寄りかかっている。
その眼差しは、どこか遠くを見据えているようだった。
花音が優夜を見つめる。
花音「何があったの?」
深く息を吸い、言葉を選びながら答えた。
優夜「……僕たちが祠で祈ってた時、見たんだ。」
花音「何を?」
優夜「着物を着た女を。
狐の面をつけていた。」
淡々と、しかし確かな言葉でその時の状況を語った。
それは菫の主張を補強するかのようで、そこにはただの怒り以上のものがあった。
美月が小さく身震いする。
美月「……怖すぎる……」
花音は返答しようと口を開いた時、
声が聞こえた。
また明の声が、直接頭の中に響いてきたのだ。
明『花音さん、あれには近づかないで。何があっても、戦わないで。逃げて。』
花音の心臓が跳ね上がる。
目を逸らさず、しかし周囲に気づかれぬよう慎重に視線を動かし、明を見た。
彼は相変わらず木にもたれたまま、微動だにしない。
腕を組み、まるで何も考えていないかのような無表情を装っている。
だが、その声は確かに花音の中に響いていた。
明『あれは悪霊じゃない。もっと強い。あの存在は、姿を見せることができる。意思を持って現れている。つまり──』
そこで一度、言葉が途切れる。
明『Bランク……いや、おそらくAランクの妖怪だ。』
花音は息を呑んだ。
背中を、氷のような感覚が這い上がる。
Aランクの妖怪。
それがどれほどの危険性を孕んでいるか、言葉にせずとも理解していた。
明『僕が今まで遭遇した中で、あれほどの知性を持つ妖怪は初めてだ。あいつは僕たちを弄んでいる……何かを伝えようとしている。』
わずかに間を置き、再び囁くように言った。
明『今すぐこの肝試しをやめることもできる。だが、
僕は知りたい。あいつが、何を伝えようとしているのか。』
喉がひりついた。
花音(……何を伝えようとしてるのかな?)
明『……わからない。
だが、ユウと白石さんの前に現れた。つまり……僕の任務と、どちらか……あるいは両方に関わっている可能性がある。
……もしかすると、ようやく見つけたのかもしれない。』
静寂が支配する。
明『次の、転生した神を。』
花音「……!」
仲間がいたら、それは、すべてを変えることになる。
だが、それを深く考える間もなく、ヒロの声が現実へと引き戻した。
ヒロ「そろそろ行こうか? もう一時間以上もここにいるぜ。」
花音は雅恵と菫を見る。
互いに腕を組み、そっぽを向いたまま、子供のように拗ねていた。
彼女はひとつ息をつき、ヒロの目を見て頷いた。
花音「……そうね。行きましょう。」
明が前に出る。
明「祠への道を説明する。」
いつものような軽さはなかった。
表情は真剣そのもので、声にはいつもと違う緊張感が滲んでいた。
明「……無茶はするな。」
ヒロが首を傾げる。
ヒロ「なんだよ、それ。」
わずかに口元を歪め、皮肉気に言った。
明「説明したところで、お前は信じないだろうけどな。」
そう言いながら、懐から小さなお守りを取り出し、ヒロに差し出した。
ヒロは眉をひそめる。
ヒロ「さっきはいらないって言ったくせに?」
明「気が変わった。念のためだ。」
ヒロは呆れたようにそれを受け取り、ポケットに突っ込む。
ヒロ「……バカバカしい。」
そう呟き、花音に目配せする。
ヒロ「行くぞ。」
花音は無言で頷き、ヒロと共に森の中へと歩き出した。
背後から明の視線を感じた。
花音は思わず肩越しに振り返る。
明はポケットに手を突っ込み、風に揺れる髪をそのままに、立っていた。
そして、口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
また頭の中に響く声──
明『心配しなくていい。僕の名前を呼べば、すぐに助けに行くから。』
その言葉に、花音の頬が、ふと緩んだ。
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花音とヒロは並んで歩きながら、暗闇の中に細い山道が永遠に進んでいるようだった。
しばらくの間、どちらも一言も発さなかった。
やがて、その沈黙を破ったのはヒロだった。
ヒロ「……すっかり、おかしくなっちまったよな。」
彼の声は、意外なほど穏やかだった。
花音「……そうだね。」
ヒロ「でもさ、暗闇って案外落ち着かないか? みんな怖がるけど、静かで悪くないと思うんだよな。」
花音「……うん。」
その瞬間、不意にヒロがスマホを彼女の方に向けた。
花音「──!」
突然の光に目がくらみ、花音は反射的に手をかざした。
視界が滲み、無意識に周囲を警戒するように視線を動かす。
ヒロ「……おい、聞いてる?」
苦笑混じりに問いかけられ、花音は瞬きをしてヒロを見た。
花音「え? あ……ごめん。何て言った?」
ヒロ「いや、別に大したことじゃない。」
そう言いながらも、じっと花音の顔を見つめる。
そして、ふと問いかけた。
ヒロ「……怖いのか?」
すぐには答えられなかった。
ほんの一瞬の沈黙。
花音「……わからない。ただ、何か……嫌な感じがする。」
本当は、明の警告が頭から離れなかった。
だが、ヒロにそれを話すわけにはいかない。
どうせ信じてもらえないだろう。
ヒロ「どうせ、みんなグルになってるんだよ。橘とニコールさんがあのカエデの葉の話をでっち上げて、スーはたぶんちびっ子と組んで、あの女の話を作ったんだ。」
そうかもしれない。
花音も、もし何も知らなかったら、明とニコールならそんなイタズラを思いついてもおかしくないと思ったかもしれない。
……でも。
花音「……ユウが、あんな人と、そんなふうに手を組むとは思えない。」
ヒロ「昔の話を知らないからだろ。あの二人、昔はめちゃくちゃ仲が良かったんだぜ?
スーが今みたいになる前はな。」
思わず眉をひそめた。
花音「……ありえない。」
ヒロ「信じないなら、それでいいさ。」
まるで彼女の反応を楽しむかのように口元を歪めた。
別に怒っているわけではなさそうだった。
ヒロ「でもな、スーも今みたいになる前は、普通にいい奴だったんだよ。」
花音には、どうしてもそれが想像できなかった。
この話を続けたところで、余計に頭が混乱するだけだ。
だから、彼女はそっと話題を変えることにした。
花音「……なんで、ユウのこと嫌いなの?」
問いかけると、ヒロはしばらく沈黙した。
スマホの懐中電灯の光をぼんやりと地面に滑らせながら、気にする様子もなく、淡々と答える。
ヒロ「別に、嫌いじゃないぞ。ちびっ子が俺を嫌ってるだけだ。」
花音「……どうして?」
ヒロ「俺のせいで、元カノに振られたんだぜ。その後、俺があの子とちょっと付き合ってたんだ。」
思わず足を止め、呆然とヒロを見つめた。
花音「……は?」
肩をすくめ、薄く笑う。
ヒロ「な? 最低だろ。」
花音「……あんた、本当にクズだね。」
ヒロ「そう思ってくれたほうがいいぞ。俺のこと嫌ってりゃ、お前も傷つかずに済むからな。」
軽く言い放ったその言葉に、花音は何も返せなかった。
彼の表情からは本心が読めず、問い詰めようかとも思ったが、それよりも先にヒロが立ち止まり、前方を指差した。
ヒロ「ほら、着いたぞ。」
視線を向けると、木々の間にひっそりと佇む小さな祠が見えた。
どこにでもありそうな、ありふれた道端の祠のはずなのに、
今は、何か言いようのない圧迫感を感じる。
ヒロは歩み寄り、じっくりと祠を観察した。
ヒロ「……ちっ。拍子抜けだな。どうせ何か細工して、お前を驚かせようとしたんだろうと思ったぜ。」
花音「何で私だけ?」
ニヤリと笑った。
ヒロ「だって、俺はこんなことで怖がらないからな。」
花音「……ふぅん。」
そう言い切る彼の態度が、どこか芝居じみていて、
花音は何か引っかかるものを感じたが、それを指摘するのも面倒だった。
ともかく、やるべきことは決まっている。
祠に向かい、手を合わせ、形だけの祈りを捧げる。
それで終わりのはずだった。
その瞬間……
──チリン。
鈴の音が鳴った。
花音「……?」
どこから聞こえたのかもわからない、不思議な音。
そして、それと同時に空気が変わった。
まるで、目に見えない重たい何かがのしかかるような感覚。
花音「……ッ」
急に足元がふらつき、膝が崩れた。
意識が遠のく。
視界が暗闇に塗り潰されていく中で、隣で倒れるヒロの姿が見えた。
──ズンッ。
二人は、森の中で眠っていた。
そして、突如として、紅葉が渦を巻くように舞い散った。
その中心に現れたのは、狐面をつけた女。
だが、今度は彼女だけではなかった。
隣で青い炎が揺らめき、まるでそこから引きずり出されるように、一人の男が姿を現す。
流星。
狐面の女「……この童はどうするのじゃ?」
流星は、足元に倒れたままの二人を見下ろし、しばし無言のまま考え込むように視線を落とす。
やがて、わずかに鼻で笑った。
流星「放っておけ。俺が話したいのは、転生した綺羅さんだ。」
そう言うや否や、軽々と花音の体を抱き上げた。
まるで羽のように軽いものを扱うかのように、いともたやすく。
黙って後に続く、狐面の女。
やがて、祠から遠く離れたあたりで、流星は花音を地面に横たえた。
一度、背後を振り返る。
森の闇に耳を澄ませたが、追ってくる気配はない。
だが、念のための準備はしておくべきだ。
流星「起こす前に、まずは神主くんに気づかれないようにしねえとな。」
そう呟きながら、上着のポケットに手を入れ、小さなガラス瓶を取り出した。
細く、しずく型のその容器には、精巧に彫り込まれた黒い龍の装飾が絡みついている。
中には、どす黒い赤の液体が揺らめいていた。
それを見た途端、狐面の女が息を呑む。
狐面の女「そ、それはまさか……あの血ではないかえ?」
流星「そうだ。」
流星の唇が、満足げに弧を描く。
流星「橘楓の血だ。」
そう言いながら、彼はゆっくりと瓶の栓を抜いた。
流星「弟さんのほうが神主の役目を継いだとはいえ、この血さえあれば、今世の神主くんからもしばらくは身を隠せる。」
慎重に手を動かしながら、瓶の中身を地面に垂らし始めた。
血が、正確無比な軌跡を描いていく。
まるで、遥か昔から決まっていたかのような配置で、一滴一滴が寸分の狂いもなく落ちていく。
その間、流星は低く、聞き慣れない言葉を呟いていた。
明ですら、まだ完全には習得できていない、あの言語。
最後の一滴が地面に吸い込まれた瞬間、満足げに頷いた。
流星「これでよし。」
彼は狐面の女を見やる。
流星「起こせ。」
次の瞬間……
チリン。
この鈴は、どこか愛らしく、それでいて異質な音色だった。
花音の指が、わずかに動く。
-----
同じ頃。
ヒロは、はっと目を見開いた。
息が荒い。
頭が鈍く痛む。
まるで、深い眠りの底から無理やり引きずり戻されたような感覚だった。
霞む視界を何度か瞬きして整えながら、ぼんやりとした意識を取り戻そうとする。
だが、脳内を雷光のように貫いたのは、ただひとつの名だった。
花音。
弾かれるように体を起こす。
慌てて周囲を見回したが、彼女の姿はどこにもない。
ヒロ「……花音?!」
呼びかける。
だが、返事はない。
喉の奥がひどく詰まる。
震える手でスマホを取り出し、すぐに姉の番号を押した。
呼び出し音が耳の奥で響く。
一秒、一秒が、焦燥の熱で焼けるようだった。
やがて、電話がつながる。
雅恵『もしもし? 何、迷子にでもなった?』
雅恵の呑気な声。
その背後から、ほかの連中の楽しげな声が聞こえる。
彼の指はスマホを握りしめ、力を込めていた。
ヒロ「花音は戻ってるか?」
雅恵『のんちゃん? いや、まだ──』
そして、続くのは絶望的な沈黙。
今、全員がその会話を聞いていた。
雅恵「……え? ちょっと待って、なんで?」
声が、急激に不安の色を帯びる。
その直後だった。
雅恵「──はあ?! のんちゃんが消えたって?!」
その叫びと同時に、背後で明が動いた音がした。
明「……っ!」
彼は何も言わずに駆け出していた。
燃えるような焦燥と、張り裂けそうな後悔を抱えて。
明「くそっ……僕は、なんてことを……!」
こんな場所に、誰も行かせるべきじゃなかった。
木々の影が流れ、枝葉が風を裂くように舞う。
明は全速力で森を駆けた。
それでも……まだ遅い。
このままでは、間に合わない。
次の瞬間に、彼の姿が変化した。
より速く。
より遠くへ。
だが、彼の脳裏に、ある考えがよぎった。
時間だ。
明の手が無意識に首元へ伸びる。
指が、肌に冷たい金属を感じた。
”時間のコンパス”だった。
もし、これを使えば──
だが、
彼は、その思考を振り払うように、すぐさま手を引いた。
明「駄目だ、意味がない……!
妖怪相手に、時間を止めても……無駄なんだ……!」
唯一頼れる術も、今は通じない。
それなら……
彼は、意識を研ぎ澄ました。
花音の存在を探す。
彼女の心を呼び覚ます。
明『花音さん……?!』
しかし、返ってくるのは、沈黙。
何も感じられない。
何も、届かない。
その事実が、彼の焦りをさらに募らせた。
明(──駄目だ。)
彼は、拳を握りしめた。
明「……っ、クソッッ!!!」
怒りと焦燥を込めた叫びが、森の静寂を切り裂いた。
-----
重い。
まるで全身が鉛のようだった。
頭も、手足も。
花音「……ヒロ?」
それだけが、かすれた声で漏れた。
けれど、ゆっくりとまぶたを開いた瞬間に、彼女の意識は、一気に覚醒した。
目の前に立っていたのは、見知らぬ二人の影。
ひとりは、狐の面を被った女。
そして、その隣には……
花音「……あなたたちは?」
声が震えた。
花音「私に何の用……?」
すると、男が一歩前へと進み出た。
感情の読めない視線が、まっすぐ彼女を捉えた。
流星「綺羅さん。」
その名を口にした瞬間、花音の背筋が凍りついた。
彼は、あまりにも自然にそれを口にした。
まるで、それが当然の事実であるかのように。
流星「突然こんな形で連れ出してすまない。
だが、どうしても聞きたいことがある。」
花音は無意識に首を振った。
花音「……ち、違います。誰かと間違えています。私は……宮島花音です!」
彼は、くっと喉を鳴らした。
流星「ほう?」
その笑みには、どこか楽しげな色が混じっていた。
流星「……おまえ、光の女神の転生体じゃねえのか?」
その言葉に、花音の顔が強張る。
動揺を隠そうとしたが、無駄だった。
流星「はっ、誤魔化す気か? だがな、俺は間違えねえ。」
挑発するような声。
流星「闇も、嵐も、まだ封印を解いてねえ……だから、おまえはまだ俺のことを知らねえんだよ。」
言っている意味がわからない。
──なのに、彼の顔を見た瞬間。
花音「……どこかで……」
花音(知っている……この男を)
脳裏に、その記憶が浮かび上がったのは次の瞬間だった。
花音「あっ!」
思わず声を上げた。
花音「あなた、まさちゃんが好きな歌手の人だ!」
そうだ。
雅恵の部屋には、この男のポスターがたくさん貼られていた。
花音(なんで? なんでこんな人が、ここに?)
その事実に気づいた瞬間、現実がいっそう歪むような錯覚に陥る。
鼻で小さく笑った。
流星「……そうだな。人間ってのは、こういうやり方で驚くほど簡単に集まるもんだ。」
花音「で、でも……!」
花音(どういうこと?)
頭がついていかない。
言葉を探していると、流星がゆっくりと距離を詰め、しゃがみ込んだ。
目線が合うほどの至近距離。
流星「なあ、綺羅さん。」
その声は妙に柔らかかった。
だが、それがかえって恐ろしい。
流星「雷花ってやつは、死者の名を刻む書をどこに隠しやがった?」
花音「──は?」
花音の喉がひどく乾いた。
花音「な、何のことですか……?」
彼の瞳が細められる。
流星「この次元にはないようだな。」
彼は低く呟く。
流星「ここにあれば、感覚が捉えられるはずだ。」
花音「し、知らない! 知らないってば!」
叫ぶように言った。
この状況が怖くて、理解できなくて、どうして自分がこんなことを聞かれるのかすら分からない。
花音は、女神の力を呼ぼうとした。
花音(光を……)
だが、何も起こらなかった。
花音(……え?)
驚愕に目を見開く花音を見て、男は薄く笑った。
流星「無駄だ。」
まるで、最初から分かっていたかのように。
流星「血の結界がある限り、おまえはまだまだ弱ぇな。」
花音をまるで興味を失ったかのように見下ろし、立ち上がる。
流星「今のおまえに聞いても無駄だ。」
そう呟くと、背を向けた。
狐面の女の横を通り過ぎながら、ふと小さく言い放つ。
流星「記憶を喰え。」
一瞬、花音の心臓が止まった。
花音「……!」
狐面の女「あらあら……喜んで。」
くすりと笑い、ゆっくりと仮面を外す。
その下にあったのは、
驚くほど美しい顔。
どこか不思議なほど優しげで、ほんの少し悲しげにも見える瞳。
だが、次の瞬間、
仮面の下に隠されていた“本当の姿”が、ゆっくりと滲み出す。
あの女は、狐の妖怪だった。
ただ……背には、一本の尻尾すら見当たらなかった。
花音の視界がぼやける。
その時……
チリン。
響いたのは、あの鈴の音だった。
まただ。
そして、意識が闇に沈んでいく。
まただ。
-----
突然、明は花音の気配を感じた。
何が変わったのか考える暇もなく、足が止まる。
いた。
明「……花音さん。」
その声に、ゆっくりと瞼が持ち上がる。
目の前には、明の顔があった。
息を切らし、額にはうっすら汗を浮かべている。
明「大丈夫? 動ける?」
花音「……あっきぃ?」
その声を聞いた明は、一瞬だけ表情を緩め、すぐに森の奥へと視線を巡らせた。
そして、一歩、森の奥へと踏み出し、声を張り上げた。
明「……そこにいるんだろう。姿を見せろ!」
風が、木々の間を揺らす。
けれど、それ以外に返事はない。
明「一体……何が目的だ。こんな回りくどいやり方で、何を伝えたい?」
沈黙。
明はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて諦めたように息を吐き、花音のもとへ戻った。
明「……一体どうやってここまで来たんだ? 奴は……?」
花音は首を振った。
考えようとしても、何も思い出せなかった。
花音「……わかんない。何があったのか、思い出せないの……」
ただ、胸の奥がひりつくように痛んでいた。
花音「……あれ? ヒロは……?」
ふいに、その名前が唇からこぼれ落ちる。
花音「ヒロも、一緒にいたはずなの……!」
目を見開きながら、ふらつく体で立ち上がろうとする。
明は慌ててその腕を支える。
明「待って、焦らないで。西村は──」
花音「探さなきゃ!」
明「落ち着いて。西村も花音さんのこと、必死に探しているはずだよ。
それより……お守り、持っている?」
花音「あ、それ……リュックの中……旅館の部屋に置いちゃった!」
明「みんなに配ったのに、持ってないのは花音さんだけか……」
少し、苦笑するように笑った。
明は息を吐き、手をかざすと、神主の装束が淡い光に包まれて消えていく。
次の瞬間には、彼はいつもの学校の体操服姿に戻っていた。
明「……ここに長く留まるべきじゃない。みんなも心配してるだろうし、あの妖怪が戻ってくる可能性もある。」
花音が頷こうとした、その時だった。
ヒロ「──っは、はあっ……!」
木々をかき分けるようにして、ヒロが飛び込んできた。
額には汗、息も絶え絶えで、まさに全力疾走してきたといった様子だった。
ヒロ「……は? どういうことだよ……」
目を見開き、明を睨む。
ヒロ「俺がいた場所のほうが絶対にここに近かったのに……なんで橘が先に着いてんだよ!?」
肩をすくめ、どこかとぼけたように言う。
明「僕の方が、足速かったんじゃない?」
ヒロ「ふざけんな、こっちは全力だったんだぞ……!」
その時、花音が声をあげた。
花音「ヒロ! 本当に大丈夫!? 怪我とかしてない? 何があったの!?」
ヒロは困ったように眉をひそめ、首を傾げる。
ヒロ「さあな……鈴の音が聞こえて、急にすげー眠くなって……
気づいたら、お前がいなかったんだ。」
花音「……!」
ヒロ「それだけ。夢みたいに……記憶がぼやけてる。」
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ようやく、三人が戻ってきた時、
雅恵が真っ先に気づいた。
雅恵「あ、戻ってきたじゃん!」
その声に、美月とニコールも顔を上げる。
優夜はほっとしたように息を吐き、翔と菫も彼らの姿を見つめた。
翔「……何があったんだよ。」
ヒロは無言のまま、どこか疲れた様子で手をひらひらと振る。
花音も答えようとしたが、口を開いたまま言葉が出てこない。
花音「……うまく説明できないの。」
ただ、それだけをぽつりとつぶやいた。
明は何も言わず、みんなを一通り見渡してから、穏やかに言った。
明「とにかく……もう遅いし、そろそろ戻ろうか。」
誰も異論はなかった。
みんな黙ったまま、夜道を引き返していく。
誰もがどこか疲れた表情で、言葉少なに歩いていた。
だが、雅恵だけは口を閉ざしていられなかった。
雅恵「ほんと、のんちゃんってさ……こっそりいなくなる才能あるよね。」
その声には、わざとらしく軽い調子が混ざっていた。
でも、隠しきれない安堵の色もあった。
花音「……その才能、そろそろ返上したいんだけど。」
小さく息をつきながらも、どこか力の抜けた調子でそう返した。
すると、周囲に笑いが漏れた。
旅館に戻った後も、その雰囲気は続いていた。
いつものような騒がしさはなかった。
布団を敷く音、洗面所から聞こえる水音、控えめな足音だけが響く。
花音も、布団に横たわりながら天井を見つめていた。
何かを思い出そうとするたびに、胸がぎゅっと締め付けられる。
花音(思い出せない……。でも……何か、大切なことが起きた気がする)
明の言葉も、あの鈴の音も、頭から離れなかった。
──翌朝。
新幹線のホームは、どこかぼんやりとした空気に包まれていた。
まるで、昨夜の出来事が夢だったかのように。
けれど、誰もそれが「ただの夢だった」とは言い切れなかった。
明だけが、どこか物思いにふけるように空を見上げている。
その隣で、花音もまた、小さく目を細めていた。
すべてが、まだ始まったばかりだということを、二人だけが知っていた。
その時だった。
人の波の向こう、少し離れたホームの端に、一人の男が立っていた。
帽子をかぶり、白いマスクをしていたせいで、最初は誰なのか分からなかった。
でも、目が合った瞬間、分かった。
あの目。
冷たくて、どこか人間じゃないみたいな視線。
それは、記憶の奥でうっすらと残っていた“何か”を強く揺さぶった。
花音(……あの人……)
思わず、口から息が漏れる。
花音(……まさちゃんが好きな、あの歌手……)
頭では思い出せない。
でも、心が覚えている。
忘れたいのに、忘れられない感覚。
花音「まさちゃん、見て……あそこ……!」
雅恵「え? 何?」
花音「いるよ……!」
そう言って振り返ったその瞬間、
もう、そこには誰もいなかった。
花音「……あれ……?」
キャラクター紹介 009
三上 翔
誕生日:7月7日(17歳)
所属:○○高校・2年3組
身長:179cm
血液型:B型
兄弟姉妹:なし
趣味:水泳
性格:
怖いもの知らずで、肝が据わっているタイプ。
常に落ち着いていて、多少のことでは動じない。
とはいえ、無神経なわけではなく、周囲の雰囲気をよく読み、場を和ませるのが得意。
思ったことをズバッと言うが、不思議と嫌味には聞こえない。
備考:
♢ ヒロの親友で、つねに良き理解者。無口なヒロの気持ちを、言葉にしなくても自然と察することができる
♢ 妖怪や心霊現象にも動じない。というより、「そんなもの、いるわけないだろ」と本気で思っているタイプ
♢ 実は身体能力が高く、スポーツ全般が得意。特に水泳は得意種目。泳ぎ方もフォームが美しいと評判
♢ 人懐っこく、初対面の相手にもすぐ打ち解ける。女子からも人気があるが、本人はあまり気にしていない