第六章:戦えない女神
夜が訪れ、神社は静寂に包まれていた。
風がそっと吹き抜け、木の葉が擦れ合い、枝がきしむ音がかすかに響く。
最後の陽光が完全に消えた時、
境内にはぽつりぽつりと提灯の灯りがともり始めた。
その時だった。
花音は、はじめて「光の女神」としての変身を経験することになる。
眩い光が彼女の全身を包み込み、
空気がピリピリと痺れるような感覚に変わった。
まるで、すべての気配が静まり返り、ただ光だけがそこにあった。
普段の制服は姿を消し、代わりに、煌めく金糸の模様が施された純白の袴を身に纏っていた。
黒かった髪は白金色に染まり、月明かりを受けてやわらかく輝いていた。
驚きに目を見開いたまま、自分の姿を見下ろす。
その手には、一振りの刀が握られていた。
それは、まるでクリスタルでできているかのような、
純白に輝く神々しい武器だった。
戸惑いながらも、
花音は目の前で稽古に没頭する明と雷花の姿を、じっと見つめていた。
明は大幣を振ってお祓いをしており、
雷花は不気味なほど正確に矢を次々と射っていた。
そんな中、花音は自分の手にある刀を見つめ、戸惑いを隠せない声で口を開いた。
花音「えっと……変身したのはいいけど、刀の使い方が全然わかんないって……やばいよね?」
その言葉に、明と雷花は動きを止め、ぽかんと彼女を見つめた。
明「……なんだと!? 戦い方を知らないのか!」
雷花「戦い方を知らぬ……と?」
二人はほぼ同時に、信じられないといった声を上げた。
すぐに雷花は弓を引き、鋭い視線で花音を狙う。
雷花「光の女神の生まれ変わりであれば、この武器を扱う本能が宿っているはずにございます。」
その声は冗談一つない、真剣そのものだった。
そしてためらうことなく、矢を放つ。
ビシュッ――!
矢はまるで稲妻のような速さで、花音に向かって突き進んだ。
「――っ!」
驚いた花音は、とっさに両手で刀を握りしめた。
反射的に構えたその瞬間、鋭い音とともに矢を受け止める。
ドガァンッ!
雷鳴のような衝撃音が響き、矢は地面に弾かれた。
花音は、自分の反応に目を見開いた。
体が、勝手に動いた。――いや、
それは……きっと、本能だった。
雷花「手の位置が逆にございます。」
乾いた声でそう指摘すると、明に向き直った。
雷花「訓練には、どうやら課題が山積のようですね。あいにく、私の武器は長弓でございますゆえ、刀術のご指導はいたしかねます。」
明「……マジか。勝手に体が動くとか、そういうのかと思っていたのに……」
青ざめた顔で、がっくりと肩を落とす。
雷花はふうとため息をつき、軽く首を振った。
雷花「確かに、お身体は反応しておられますが……何をなさっているのか、ご理解には至っておられぬようです。」
明「悠長なこと言ってられないって。剣士、誰か知らないか?」
少しの間考え込んだ後、花音の口から思い出した名前がこぼれた。
花音「深野くんはどう? 少なくとも、竹刀なら扱えるし。」
明は深いため息をつきつつも、その目にはわずかに希望の光が宿っていた。
明「……竹刀と刀は全然違うけど……まあ、一つの手段ではあるか。
深野に聞いてみてくれ。もしかしたら、他に誰か適任がいるかもしれないし。」
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花音は、この問題を一刻も早く解決しようと心に決め、
翌日の昼休み、廊下で優夜に声をかけた。
季節はすでに秋の気配を帯びており、肌寒さが増したせいか、
生徒たちは皆、冬服のブレザーを羽織っていた。
花音「ちょっと、いいかな?」
優夜は廊下の壁にもたれたまま、
少し驚いた表情で彼女のほうを見た。
優夜「ん? どうしたの?」
花音「えっと、深野くんって剣道得意だよね?
竹刀だけじゃなくて、本物の刀も扱える?」
優夜「木刀での練習もするし、刀も一応使えるよ。
実は居合道もやってる。ただ、学校では部活にしてないだけだけど。……なんで?」
その瞬間、花音はパッと目を輝かせ、身を乗り出した。
花音「すごい! それなら教えて! 本気で覚えたいの!」
優夜「居合道を? 別にいいけど……いつがいい?」
花音「今日の放課後!」
優夜「今日? ……うーん、部活あるけど、その後なら大丈夫。
それでいい?」
花音「十分! ありがとう! じゃあ、部活が終わったら橘神社でね!」
彼女は元気よく手を振りながら駆け去っていった。
その背中を見送りつつ、優夜はふと首を傾げた。
優夜(どうしてそんなに、急いで刀を習おうとしてるんだ?)
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放課後、花音は明と合流し、二人で神社へ向かった。
灰色の雲が空を覆い、風が雨の匂いを運んでくる。
山道を並んで歩く二人の間に、言葉はなかった。
静けさの中、花音の押す自転車のきしむ音だけが響いていた。
ふと、花音が口を開く。
花音「見えない妖怪って、どうやって人を襲うの? そんなに危ないって言うけど……よく分からなくて。」
明「妖怪が直接、手を出すことはあまりない。
やつらは人の負の感情に取り憑いて、それをどんどん膨らませる。
そして、心や精神を壊すまで追い込んでくる。
悪霊ってのは、影の世界から這い出ようとする存在だ。
人間の魂を喰らい、その力をため込んで……やがて実体を得ようとする。
それができたら、この世界で自由に動けるようになるんだ。」
花音「……そっか。妖怪って、昔話みたいに姿があるものだと思ってた。」
明「普通は、そう思うよな。
でも、影の世界に潜むやつらは、こっちの世界に足を踏み入れるチャンスを常に狙ってる。
雷花様が結界を強化してるから今は持ってるけど……
それが壊れたら、何が起きるかわからない。
もっとヤバいやつらが、一気に流れ込んでくるだろうな。」
言葉が途切れた。
一呼吸おいてから、重い声で続けた。
明「それだけは……どんな犠牲を払ってでも、防がなきゃならない。」
花音は頷き、目を伏せた。
花音「私も……できること、全部やる。」
二人は再び歩き出し、山道を登っていく。
その途中、花音の眉間には深い皺が寄っていた。
霧のように形を持たない妖怪に、どうやって刀を振ればいいのか。
その答えは、まだ見つかりそうになかった。
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神社に着くと、雷花が足早に近づいてきた。
その表情は真剣そのもので、すぐさま明に向き直り、落ち着いた低い声で話しかける。
雷花「神主様。
光の女神に現状をご報告し、必要な知識を共有するお時間を、お取りいただけますでしょうか。」
提案を受け入れるように小さく頭を下げ、視線を花音へと向ける。
その瞬間、表情は少し和らいだ。
明「聞きたいこと、まだあるだろ? 遠慮せず、何でも聞いていいよ。」
花音「……それで、体がない相手って、どうやって倒すの?」
雷花「我らの武器は、ただの鉄や鋼ではございません。
それらは聖なる力を宿し、その力こそが悪霊の本質を穿つのです。
たとえ霧のように形を持たぬ存在であっても、肉体ある者と同様に攻撃を受けますわ。」
そこで雷花はふと言葉を止め、
遠くを見つめるような目をした。
雷花「……ただ、それは“殺す”ということではございません。
すでに死した者を、再び殺すことなどできませぬゆえ。」
その言葉に、花音は小さく息を呑んだ。
ただの説明以上の、深く重たい響きがその声にあった。
雷花「我らが果たすべき使命とは、悪霊の力を鎮め、封じ込めること。
そして封じた力を、結界の強化に用いることこそが、影の世界を押し返す唯一の手立てなのです。」
雷花の声には揺るぎない確信があった。
けれどその目の奥には、悲しみが宿っていた。
雷花「私は、かつて妖怪たちが自由に跋扈し、人間にとってあまりに過酷な世界を目にしたことがございます。
あの地は混沌と闇に支配され、生きる光すら見いだせぬ有様でした。
その時の記憶は、今もなお、心の奥に焼き付いて離れません。
ゆえに……あの時代を、決して繰り返させてはなりませんの。」
その言葉に、花音は圧倒された。
自分がそのような世界の命運を担うなど、想像すらできなかった。
刀の技も、知識も持たない自分に、一体何ができるというのか。
胸の奥では、不安と自己嫌悪だけが渦を巻いていた。
一方で、明は口を閉ざしたままだった。
その視線は地面に落ち、何を思っているのかは読み取れない。
だが、その横顔には確かに苦悩の色が浮かんでいた。
神主としての役目を果たさねばならぬ立場でありながら、
準備不足の自分を許せずにいるようにも見えた。
雷花「失敗は、決して許されません。
この世界と影の世界の境界は、日を追うごとに薄れております。
このまま手をこまねいていれば……この世が影に呑まれるのは、時間の問題でございますわ。」
その言葉に、花音の胸は締めつけられるような痛みで満たされた。
重すぎる使命と、あまりにも無力な自分――
その狭間で揺れる心は、どこにも逃げ場がなかった。
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夕陽が沈みかける頃、優夜も橘神社に到着した。
肩から武器が入った長い袋を下ろし、それを慎重に足元に置くと、花音の方を見て微笑んだ。
優夜「木刀を持ってきたよ。持ってないかもしれないって思ってさ。」
花音「ありがとう。それで十分だよ。」
神聖な力を宿す自身の刀を、ただの練習で使うつもりはなかったからだ。
ましてや、彼の前では使えなかった。
優夜は頷くと、袋から一本の木刀を取り出し、花音に基本的な動きを教え始めた。
これまで一度も刀を手にしたことがないのは明らかで、手の動きはぎこちなく、木刀を強く握りしめすぎていた。
しかし、その目には揺るぎない決意が宿っていた。
少し離れた場所で、明と雷花が黙ってその様子を見守っていた。雷花の鋭く冷たい目は花音の一挙手一投足を捉え、明は腕を組み、眉をひそめながら立っていた。
二人が練習を続けるうちに、太陽は山の向こうに沈み、暗くなった。神社の照明が灯る稽古場に引き上げると、優夜はその場所を見回して驚いたように口を開いた。
優夜「ここに道場があるなんて知らなかったよ。」
感心した声で呟いたが、この道場は雷花しか使っておらず、主に弓道のためのものだった。
優夜「今日、どこまでやりたい?」
花音「できるようになるまで。」
再び優夜から教わった動きを繰り返し始める。
小さくため息をつき、首を振った。
優夜「一日で全部は無理だよ。時間がかかるんだ。」
花音「でも、私は……もっと上手くならなきゃ……」
その言葉は、喉の奥から絞り出すようにこぼれた。
唇をかみしめ、木刀をさらに強く握り締め、動きは焦りを帯び始めていた。
優夜はその姿を注意深く見つめ、彼女の強い決意に感心していた。
優夜「宮島さんには才能があるよ。動きもすぐ覚えて、指示にもしっかり従ってる。でも、本当に自信を持って振れるようになるには、もっと時間が必要だ。」
花音の肩がわずかに震えた。
花音「分かってる。でも……もっと強くならなきゃいけないの。」
必死に言葉を吐き出し、技を何度も繰り返した。
その声には、どこか哀願するような響きがあった。
優夜「時間はあるんだから、焦る必要はないよ。」
その言葉を、突然響いた冷たい声が遮った。
雷花「剣士さん、時間はありません。彼女は一刻も早く刀を使えるようになる必要がございますわ。」
優夜「でも、そんなに急が――」
驚いて雷花の方を振り返りかけたその瞬間、彼女は無言のまま弓を持ち上げ、一瞬の迷いもなく矢を放った。
矢は風を切る音もほとんど立てず、優夜の頬をかすめて的に突き刺さった。
優夜「……!」
冷たい空気が頬を撫で、優夜は一瞬その場に固まった。
心臓がドクンと跳ね、その音に遅れて、じわじわと恐怖が広がっていった。
だが、次にどう反応すべきか、脳が追いつかない。
息を飲み込み、雷花の冷たい視線を受け止める。
言葉が喉に詰まり、反射的に一歩後ずさりそうになる足を必死に踏みとどめた。
顔は強張っていたが、視線はそらさなかった。
怖かった。
それでも、ここで引き下がるわけにはいかないという意地があった。
雷花「もう一度申し上げませんわ。」
その冷淡な声が、静まり返った道場に響いた。
優夜は唇をきつく結び、何とか落ち着こうと深呼吸した。
だが、手はわずかに震えている。
視線だけで、怒りと困惑を雷花にぶつけた。
その時、明が慌てて割って入った。
明「雷花様!」
その必死な声が、優夜の緊張を少し和らげた。
けれど、胸の奥に残った不安と怒りは簡単に消えなかった。
明「……無理に急がせるのは、違います。
宮島さんには、彼女のペースで学ばせてやるべきです。」
雷花はゆっくりと弓を下ろし、緊張した肩を少しだけ緩めた。
そして、一言も発することなく踵を返し、そのまま音も立てずに道場の扉を開けた。
外には夜風が吹いており、足音がそっと木の床に響いた。
張り詰めた静寂が残り、嵐が去った後のような空気はまだピリピリとしていた。
明は深いため息をつき、短く雷花の背中に視線を送った後、優夜の方を向いて申し訳なさそうに頭を下げた。
明「ごめん、深野。雷花様は……時々、感情が先走ることがあるんだ。
決して悪気があるわけじゃない。ただ、その思いが人一倍強すぎるんだ。」
その声には、後悔と焦りがにじんでいた。
明「もし、もう来たくないと思うなら、それも仕方ない。でも……」
彼の視線は床を見つめている花音へと向けられた。
明「宮島さんには、この訓練が必要なんだ。理由を全部説明するわけにはいかないけど、今は……僕たちには深野しか頼れる人がいないんだ。」
優夜は困惑した様子で立ち尽くし、明と花音の間を交互に見つめた。
突然、花音が口を開いた。
花音「大丈夫だよ、深野くん。」
控えめだけど、どこか優しげな微笑みを浮かべる。
その微笑みが、言葉に込められた力強さを少し和らげた。
花音「今日はもう十分だよ。帰って休んで。教えてくれて、本当にありがとう。」
優夜「宮島さんは帰らないのか?」
少し驚いた様子で問いかける。
訓練が終わっているのに、まだ残ると言われ、不可解に思えたのだ。
花音「もう少し、ここにいなきゃいけないの。」
その言葉は、ほとんど囁きのようだった。
優夜はさらに困惑したが、それ以上追及はしなかった。
優夜「そうか……」
彼は手元の荷物を整え、道場を出ようとした時、ふと立ち止まった。
優夜「木刀、まだ使うなら貸しておくよ。練習を続けるなら、その方がいいだろ?」
花音は感謝の気持ちを込めて彼に微笑んだ。
その微笑みは、言葉の芯にあった強さをほんの少しだけ和らげてくれた。
花音「ありがとう。それは助かるわ。本当に。」
優夜「とんでもないよ。それじゃ、またな。」
軽く頷き、道場を後にした。
彼の後ろで、重い引き戸が閉まり、道場に残されたのは花音と明だけだった。
明「本当は、もう帰ってもいいんだ。こんなに遅いしな。」
壁に掛かった時計をちらりと見る彼はそう言った。
花音は頷いたが、その足は地面に縛り付けられたように動かなかった。
花音「分かってる。でも……深野くんと一緒には帰れない。」
俯いたまま、小さな声で続ける。
花音「もし、いろいろ聞かれたら、正直に答えられないから……」
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数日が過ぎる中、花音は優夜から教わった技に没頭していた。
それは多くはなかったが、彼女にとっては、何よりも重みのある学びだった。
それでも、あの日の道場での一件を思い返し、彼はもう二度と戻ってこないだろう、と花音は考えていた。
あの場に漂っていた緊張感が、彼を遠ざけてしまったに違いない。
そして、その日初めて、花音は自らの神剣を召喚する勇気を振り絞った。
道場の真ん中で立ち、柄をしっかりと握りしめる。
手の中に伝わる感触は不思議と馴染んでいて、まるでその刀がずっと自分の一部であったかのようだった。
花音は深く息を吸い込み、優夜から教わった動きをゆっくりと再現していく。
道場の隅では、明が小さなクッションの上に座り、古びた書物や巻物に囲まれていた。
彼は眉を深く寄せ、時折ノートに何かを書き込んでは、古代の言葉に隠された手がかりを探していた。
その言語は複雑で、依然として手強い敵だった。
ふと明は、父がもう少しこの役目に備えてくれていたらと、苦い思いを抱いた。
一方、雷花は壁にもたれ、腕を組みながら花音の一挙手一投足を、鋼のような眼差しで射抜くように見守っていた。
普段の余裕ある姿勢を保ちながらも、どこか警戒心をにじませている。
そして突然、雷花は口を開いた。
雷花「来ましたわね。」
その静かだが確信に満ちた声が響く。
雷花「剣士さんが戻られました。」
花音は一瞬、身を強張らせたが、すぐに神剣を消し去った。
銀の霧へと変わり、まるで空気に溶けるように姿を消した。
その直後、道場の扉が開き、優夜が姿を現した。
短い沈黙が場を包む中、優夜は何事もないように振る舞おうと努めていた。
優夜「邪魔をしてないといいんだけど。」
控えめに挨拶しながら、明や雷花、そして花音へ順番に視線を送る。
その視線は少し長く花音にとどまり、彼が次に言葉を発する時、その口調は柔らかだった。
優夜「宮島さん、もう少し教えようかなと思ってたんだ。もちろん、まだ僕に教わりたいって思ってるならだけど。」
花音は一歩近づき、軽く頭を下げた。
感謝の気持ちが顔に表れ、瞳は輝いていた。
花音「深野くん、ぜひもっと教えてください。」
その声には純粋な喜びがにじんでいた。
優夜は安堵の表情を浮かべ、肩の荷が少し軽くなったように感じた。
言葉を交わさずに、荷物を置き、中から木刀を取り出して稽古の準備を整えた。
優夜と花音は向かい合い、集中した沈黙の中でただ立ち尽くす。
衣擦れの音だけが、道場に響いていた。
花音は両手で木刀を握った。
優夜の動きを、一瞬たりとも見逃すまいと目を凝らす。
優夜は息を吸い、木刀を軽く握り直した。
迷いのない目で、次の技を見せる。
滑らかな動きで木刀を上に導き、柔らかな弧を描いて横へと流す。
その動作をゆっくりと繰り返し、花音が細部まで理解できるよう慎重に教えた。
優夜「姿勢に気をつけて。足をしっかり地面につけていれば、木刀のコントロールがもっと楽になるよ。」
小さく頷き、動きを真似しようとしたが、その動作はまだぎこちなく、木刀が不安定に揺れた。
花音「こうでいい?」
少し震える声で再び試みた。
優夜は無言で彼女に近づき、そっと肩に手を置いて正しい位置へ導いた。
優夜「ほとんど合ってる。」
彼女の体全体のバランスを調整しながら、さらに説明を続けた。
優夜「刀を振る力は腕じゃなく、体全体から生まれるものだよ。体と刀が一つになる感覚を、少しずつつかんでみて。」
目を閉じ、一度深く息を吸い込み、刀と体の繋がりを意識しながら、もう一度動作を繰り返す。
その動きは今度は滑らかで、先ほどのぎこちなさは消えていた。
優夜「そう、それでいい。」
満足げに微笑みながら、再び彼女の前に立つ。
優夜「その調子。少しずつ、馴染んできてるみたいだね。」
次の数分間、二人は絶え間なく動きと修正を繰り返した。花音は木刀を空中で回し、集中しながらも全力で打ち込んでいく。
優夜はすぐに動きを加速させる。
優夜「今度はもっと速くやってみよう。体はもう分かってるはずだ。信じて。」
その間、動きをじっと見守り、時折「よし」「気をつけて」と低く声をかけながら、彼女の進歩を確認していた。
やがて、手を挙げて稽古を終わらせた。
優夜「今日はここまでだ。体は休息が必要だ。そうしないと、覚えたことが身につかない。」
肩で息をし、手は軽く震えていたが、その目には強い決意が宿っていた。
花音「でも、まだ……」
優夜「今日は十分だよ。」
花音は木刀を下ろし、床を見つめる。
全身に疲れを感じながらも、胸の奥には確かな誇りがあった。
花音「また明日、続けよう。」
軽く頷きながら木刀を片付け、穏やかに答えた。
優夜「うん、また明日。」
雷花はまだ練習を終える気はなかったが、明がなんとか落ち着かせた。
明自身も、優夜が戻ってきたことに心から安堵していた。
その力を借りれば、勝算は格段に上がる。
雷神である雷花も、それを誰よりも理解しているはずだった。
その夜、花音と優夜は並んで道場を後にした。
澄んだ夜気の中に、足音だけが淡く重なっていく。
風が木々の間をすり抜け、枝がささやくように揺れるたび、二人の間に流れる静寂がいっそう際立っていた。
そこで、花音が口を開いた。
花音「本当にありがとう、深野くん。」
彼は自分の原付のそばで立ち止まり、ヘルメットをかぶりながら彼女を見つめた。
優夜「とんでもない。ところで、僕のことはユウって呼んでいいよ。他の友達もそう呼んでるし。」
花音「わかった。私のことも宮島さんじゃなくていいよ。」
その時、優夜は刀術だけでなく、その信頼できる性格で、花音にとってかけがえのない友達になっていく予感を感じさせていた。
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その日、朝から降り続く冷たい十一月の雨が、容赦なく空から落ちていた。
ビニール傘を激しく叩く雨音の中、花音はその柄をぎゅっと握りしめる。
止む気配のない雨の中、彼女は今、優夜と一緒に神社からの帰り道を歩いていた。
普段なら穏やかな公園も、今日はまるで別の場所のように見えた。
道の両側に並ぶ黄色いイチョウの木々は、扇状の葉を地面に黄金色の絨毯のように敷き詰めていたはずなのに、
灰色の空と叩きつけるような雨の下では、不気味な影となって佇んでいた。
雷が閃くたびに、その影が異様に歪み、不安をさらに掻き立ててくるようだった。
秋の冷たい空気が服越しにじんわりと体に染み込んでくるのを感じながら、足元の濡れた落ち葉は滑りやすくて気が抜けなかった。
それでも、隣に優夜がいるだけで、嵐への恐怖がほんの少し和らいだ気がした。
昔から雷が苦手だった。
でも今は、それだけじゃない。
周りには妖怪が潜んでいるのだと、花音にはわかっていた。
直接目にしたことはなかったが、その存在を肌で感じていた。
花音は思わず身震いする。
優夜「ほんと、最悪な天気だよな。」
そう言って、彼は黒い傘を少し持ち上げ、花音の顔を覗き込んだ。
花音「うん……すごく怖い。」
彼女の視線は落ち着きなく周囲を彷徨い続ける。
見られているような、そんな感覚がどうしても拭えなかった。
もしもっと経験があれば、イチョウの木々の影に潜む邪悪な存在――
空虚で赤く光るその目が、飢えた獣のようにこちらを見据えていることに、気づけていたかもしれない。
ゆっくりと、じわじわと。
まるで獲物に忍び寄る捕食者のように、それらは距離を詰めてきていた。
雨に混じる風の音は、もはやただのざわめきではなかった。
どこか邪悪なものの囁きのように響き、花音の神経を逆撫でしていく。
突然、轟音とともに稲妻が夜空を裂き、
その閃光が、漆黒の闇を一瞬だけ銀色に染め上げた。
優夜は傘を少し傾け、空を仰ぐ。
優夜「……これ、本当は傘さす天気じゃないよな。」
眉間には深い皺が刻まれ、
その視線には、どこか驚倒がにじんでいた。
さっきから続く雷光は、どうにも自然のものとは思えない。
でも、花音には分かっていた。
この雷、雷神の仕業だと。
そして、雷花が動いているということは――
間違いない。
近くに、妖怪が潜んでいる。
花音「ねえ……ちょっと、急がない?」
その声は震えていた。
寒さのせいなのか。
それとも、恐怖のせいなのか。
自分でも分からなかった。
優夜が返事をする間もなく、
耳をつんざく雷鳴とともに、近くの木々のあいだに稲妻が炸裂した。
焦げた木の匂いが風に乗って漂い、
公園全体が、一瞬だけ白昼のような明るさに包まれる。
優夜「賛成。僕、ここで丸焼きになるのは遠慮したい!」
二人は、タイミングを合わせるように一斉に駆け出した。
風はどんどん強くなり、もはや傘をさす意味すらなかった。
冷たい雨が容赦なく全身を叩きつけ、制服はすぐに重く冷たくなる。
それでも、足を止めるわけにはいかなかった。
まるで、妖怪の気配がすぐ背後まで迫っているかのようで、振り返る勇気さえ湧かなかった。
悪霊たちは、花音が女神としての力を完全に使いこなせない今のうちに、排除しようとしているのかもしれない。
やっとのことで公園を抜け、街灯の灯りが増えても、胸に残った冷たいものは、最後まで消えなかった。
優夜「気をつけて帰れよ。」
道が分かれる交差点で、彼は振り返ってそう言った。
花音「うん……ユウもね。」
笑みを浮かべ、そっと別れを告げた。
二人はそれぞれの道を歩き出した。
だが、どこかで、何かが、誰かが。
まだじっとこちらを見ている。
……そんな気がしてならなかった。
雨音に紛れるように、影の中から一人の男が姿を現した。
降り注ぐ雨に濡れることも気にせず、その存在感を暗い路地に滲ませていた。
手にしたライターが一瞬だけ炎を灯し、無造作にタバコをくわえて火を点ける。
深く吸い込んだ煙が白く細い筋となって雨空に溶けていった。
彼の黒いコートは風にあおられ、重たい雨水を含んでいた。
視線は、急ぎ足で坂道を登る花音の背中をじっと追っており、低くしわがれた声でつぶやいた。
男「ようやく悪霊どもが綺羅さんの封印の持ち主を嗅ぎつけやがったか。」
その言葉は、彼の背後、闇がより濃く渦巻く場所に潜む誰かに向けられていた。
再びタバコを吸い、煙を長く吐き出して、わずかに顔を上げる。
その瞬間、路上に灯る街灯がフードの陰からその顔を照らし出した。
精悍で整った顔立ち。
その目には氷のような光が宿り、唇には意味深な笑みが浮かんでいた。
そして、その存在感をさらに際立たせていたのは、胸元に刻まれた異様な痕跡だった。
その傷跡は、「死」の文字を形作っていた。
笑みはさらに深まり、まるで舞台の幕が上がるのを楽しむ観客のように口を開いた。
男「面白くなってきたじゃねえか。」
キャラクター紹介 006
雷花
雷神
誕生日: 不明
所属: 橘神社
身長: 174cm
血液型: 超常的(分類不能)
兄弟姉妹: なし
趣味: 読書・星を眺めること
武器: 長弓
イメージカラー: 紫
翼の色: 白
性格:
普段は冷静で誇り高く、威厳のある存在。
感情をあまり表に出さないが、計画通りに進まない時には、思わず語気を荒げることもある。
他者を見下しているわけではないが、「甘さ」には厳しく、時に冷たく見えることも。
備考:
♢ かつて存在した神々の中で、唯一の生き残りとされている。
♢ すべてを語ろうとはしないが、その知識と経験は人類にとって貴重な手がかりとなる。
♢ 橘明を支え、神主としての務めと悪霊との戦いを共にしている。
♢ 若き神主や転生した神々に戦いの術を教える、いわば師のような存在。