第28話 届かぬ物資と辺境の嵐
ヒューバート殿下に婚約破棄されてから、早いもので三か月が過ぎた。
領地で過ごす日々は刺激に満ちていて、あっという間に月日が過ぎ去る。
水車の改革は領地管理部門のルイスの学友で『水力を利用した精製の効率化』論文作者のアビー・コストが、稀少な薬草『ブルードゥーム』の栽培はセシリア・ロックが栽培していて、どちらも順調である。
そして、公爵領での二人の女性の活躍を聞いて、今まで能力がありながら女性だというだけで仕事を奪われた人たちが、公爵領への移住を希望してきた。
大工だったり、魔道具職人だったりと、その職種は様々だ。
身元調査をして、きちんとした人柄であることが分かれば移住を認めるようにしたら、またそれが噂になって、能力の高い女性たちが公爵領へと集まってきた。
それもあって、毎日がとても忙しい。
今日もこれから色々な指示を出さなければと思っていると、母の部屋から声が聞こえてきた。
まだ朝の早い時間帯だというのに、母は既に何やら調べ物をしているようだ。
私は何か用事があるだろうかと、扉の前でノックをしてから、そっと部屋に入る。
「リリア、ちょうどよかったわ。あなたに話したいことがあるの」
母は執務机に向かい、分厚い書簡の束を片付けているところだった。
銀糸の縁取りが施された便箋が山積みになっていて、その一つひとつに王宮や各領地の紋章が見て取れる。手紙の封が切られ、内容の要点をまとめたメモが机の脇に並んでいるのを見ると、また大変な案件が舞い込んだのだと分かる。
「お母様、お疲れさまです。こんなに早くからお仕事していらしたのですね。私にも何かお手伝いできることがあれば、遠慮なく言ってください」
「ええ、もちろん。あなたも最近は領地の仕事を積極的に引き受けてくれるし、とても心強いわよ。……でも、今回の話はちょっと重たいの。心して聞いてちょうだい」
母の声音が少し硬い。私は軽く息を整えながらソファに腰を下ろし、母が向かいの椅子に移るのを待った。
日差しのまだ弱い窓辺から差し込む光が、母の表情をかすかに照らしている。
どこか深刻そうな雰囲気に、私も背筋が伸びた。
「実は……ヒューバート殿下のことなの」
母が口にした名前を聞いた瞬間、私は胸の奥がぐっと詰まるような感覚に襲われる。
もう忘れたと思っていたのに、まだこんなに気持ちを引きずっているのかと複雑な気分だ。
「殿下が辺境に送られて奉仕活動を命じられたことは知っているでしょう。魔獣の討伐に追われ、相当に苛酷な生活をしているらしいわ。そこまでは前にも聞いたわね」
「はい。私も、あまり詳しい情報は得られていませんが……」
学園卒業直後のあの騒動によって、ヒューバート殿下は事実上の追放状態だ。
王位継承権を凍結され、辺境の魔獣討伐隊で一兵卒も同然の任務を負っている。
彼の愚かな行いの結果ではあるものの、王族だった彼があんな過酷な場所で生き延びることができるのだろうかと思ったのは確かだ。
母は目を伏せがちにしながら、そっと一枚の書簡を取り上げる。
王家の紋章が刻まれた封蝋が割れていて、かなりの機密情報が書かれているようだ。
「少し前から、辺境で物資が行方不明になったり、支援が遅れたりする問題が多発しているらしいの。ある時は、急ぎ輸送するはずの食糧が途中で盗難に遭ったり、またある時は不自然な破損が生じて使い物にならなくなってしまったり」
「盗難……ですか。よほど治安が悪いのでしょうか」
もしかしたら魔獣討伐隊から逃げ出した者たちが、盗賊や山賊になってしまったのだろうか。
けれど、辺境での一番の脅威は、人ではなく魔獣だ。
盗賊や山賊程度で、魔獣も相手にしなくてはいけない辺境の地に根を張れるのだろうか。
「それが、どうも単なる盗難ではなさそうなの。あなたも覚えているでしょう。あのクラリッサが関わっていた違法な魔法道具の密輸組織。……その残党が、違法魔道具を使って物資を横取りし、辺境で混乱を起こそうとしているということよ」
私は思わず息を呑んだ。
クラリッサ・ユールは、違法魔道具を所持し、私を陥れるために利用していた。
他人へ嫌悪感を与える魔道具によって、私は学園の皆から嫌われてしまっていたのだ。
その魔道具は既に回収されたはずだし、物資を横取りするためには使えないだろうから、また別の魔道具が見つかったということだろうか。
クラリッサとその一族は内乱罪の疑いで断罪され、処刑される道へ進んだと聞いている。
だが、今まで巧妙に隠れていた一族の全てが捕らえられたわけではないはず。
まだ残党が潜んでいる可能性は十分にある。
かつて私を陥れようとした策謀を、今度は辺境に向けて仕掛けているということなのだろうか。
「つまり、王家がせっかく支援物資を用意しても、そのどこかで盗難や妨害が起こり、実際に辺境へ届かないままになっている……ということなのですね」
母は小さく頷いて、紙を指で弾きながら、その文字の一部を示した。
「ええ。この手紙には、ヒューバート殿下の名前も書かれているの。辺境の拠点では、殿下をはじめ討伐隊の者たちが奮闘してはいるものの、物資が不足していてどうにもならない、と。さらに最近の厳しい寒暖差で病気や怪我人が続出しているにもかかわらず、医薬品が届かないことが大問題になっているそうよ」
「そんな……。確かに国が定期的に物資を送るはずなのに、それがなければ日々の戦いは相当きついでしょうね」
医薬品や食糧、武器の補給なしに、魔獣討伐を続けろなどというのは酷い話だ。
特に辺境での魔獣被害は深刻だと聞く。
スタンビートなどが起これば被害は領地から王都に至るまで拡大する可能性があるのだから、支援が届かないというのは国家の存亡にかかわる問題だろう。
そこを狙って暗躍する残党がいるのだとしたら、早急に対策を打たなければならないはずだ。
「ええ。だからこそ、王家はヒューバート殿下を辺境に送ったのかもしれないわね」
母の言葉に、私は深く納得した。
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