第15話 古い地図
湯あみをして旅の汚れを落としさっぱりした私は、夕食を軽く部屋で摂ることにした。
母も疲れていたらしく、私と同じように部屋で済ますそうだ。
夕飯の後はすぐに眠ろうと思ったのだけど、どうにも目が冴えて眠れない。
だが図書室へ行くには遅すぎる。目当ての本がどこにあるか分かっているならともかく、ランプの明かりで欲しい本を探すのは難儀だ。
「とりあえず、ここにある本でも読もうかしら」
部屋の片隅には小さな本棚があるので、見てみることにした。
するとそこには子供向けの本ではなく、領地に関する資料が置いてあった。
「お父様……」
きっと領地のために何かしたいと言った私のために、父が用意してくれたのだろう。
父の計らいに、胸が熱くなる。
資料の間には、古い地図が入っていた。
そういえば昔、父が使っていた地図を見かけた記憶がある。
領地の場所が細かく書き込まれており、農地や鉱山、さらには村や街道の状況まで反映されているものだ。
私は机へ持っていって、その地図を広げてみる。
小さな字で「水路の拡張候補」「橋の修繕要」といったメモが記されているし、色あせたインクで日付とともに父の名前が書かれていた。
「やっぱりあの地図だわ」
その地図の端には、当時の領地面積や税の状況を示すメモらしきものも書かれており、見ているだけで若き日の父の領地経営の歴史が垣間見える。
やはり、実際に領地へ来ると、こうして具体的な仕事に触れられるのがいい。
私も将来、公爵家の一員としてこの領地のために役立ちたい。学園で学んだ知識を生かして、ここをさらに豊かにしてみせたい。
そんな思いが、胸の奥で静かに燃え始めている。
この地図を見る限り、わが公爵領では昔から麦の栽培が盛んだ。
大河の流れを生かした水路も充実しているし、気候も比較的安定しているので、王国の中でも良質な麦を大量に生産できる地域として知られている。
それに加えて山間部には鉱山もあって、宝石や希少な鉱石を産出しているのだ。数こそ多くないが、質の良い鉱石が採れることで評判になっているらしい。
学園では領地経営の基礎を習ったけれど、実際にこうして地図に描かれた父のメモを目にすると、頭の中に具体的な計画が浮かんでくる。
麦や宝石は国内だけでなく、外国へ輸出しても需要があるはず。
特に麦は、隣国との交易が活発になれば品不足を補う形で輸送できるし、宝石なら王族や貴族たちが装飾品に用いるだけでなく、他国の富裕層にも売り込める。
問題は、王都を経由せずにどうやって効率よく海路へ繋げるかだ。
「……港を使えればいいのだけれど」
ぽつりと呟きながら、私は地図の端へ視線を走らせる。
そこには隣接する王太子領の範囲が薄く示されていて、海辺に大きな港町が描かれている。
アルフレッド殿下、つまり王太子殿下が治める領地には、港を擁する大きな商業都市が存在しており、国内でも屈指の交易拠点として知られている。
もしあの港を利用できるなら、船での貿易ルートを開拓できるだろう。
ただ、王太子領の港を借りるには、それなりの交渉や許可が必要になる。
「慰謝料として許可して頂けないかしら」
ヒューバート殿下との婚約破棄に伴う慰謝料の話は、まだ具体的に詰めてはいない。
この先、王家と交渉していく必要があるのだろうが、その中である程度の条件を提示して、領地への協力を取り付けることも可能かもしれない。
私が直接交渉に出向くべきなのか、それとも父の代理人として誰かが動くべきなのか。
そのあたりの手順は要検討だけれど、実現できれば公爵領の発展に大きく寄与するはずだ。
いずれにしても、あまり感情的になることなく、冷静に利益を得られるように交渉すべきだ。
公爵家を守るためにも。
そう考えていると、ふと王太子殿下の話が脳裏をよぎる。
アルフレッド殿下は現在、まだ婚約者を迎えていないと聞く。
他国の王族との婚約を模索しているとも言われるし、実際に複数の国との間で政略的な話し合いが進んでいるとも。
しかし今のところ、正式に決まった報せは聞かない。
その一方で、アルフレッド殿下には心を寄せる相手がひそかにいるのではないかという噂もあった。
私にはまるで心当たりがないが、思い当たる節のある人はいたのかもしれない。
もしかすると学園の同級生とか、王宮で働く女官の誰かとか……。
憶測は尽きないが、実際のところ当人たちしかわからない。
あのお方は人格者として評判も高く、国を思う心も強い。将来、王となって国家を背負っていくには申し分ない人物だと、私の父や兄も認めている。
ヒューバート殿下のように騙されて、国に仇なすような女性を選ぶことはないだろう。
どうか殿下が心から愛せるお相手を得て、幸せな未来を紡いでくれるようにと、願わずにはいられない。
「私も……もう過去のしがらみに囚われるのはやめないと」
そう、小さく呟いた。
ヒューバート殿下への想いは、あの醜い裏切りと共に吹き飛んだ。
まだ心に痛みは残るけれど、同時に、未来へ向けての新しい一歩を踏み出す気持ちも芽生えている。
公爵領をさらに豊かにしたい。
そのためには、知識だけでなく実際の行動と人脈が必要だ。
私には家族がついているし、王都で得た学びや縁を活かすこともできる。
やりたいことはたくさんある。私が歩むべき道は、きっとここから先に広がっているのだ。
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