第12話 私は前を向く
広間を出た私の心には、一抹の寂しさと安堵が混じっていた。
すべてが終わったという感覚は、まだ完全には実感として湧いていない。
けれど、家族と一緒に広間を後にしながら、これまで私を縛っていた重圧が少しずつ溶けていくのを感じた。
王宮の大きな扉をくぐり抜けると、そこには暖かな春の陽射しが降り注いでいた。
柔らかく照らされた石畳は白く輝き、庭の花々は一斉に咲き誇っていて、その鮮やかな彩りが目に飛び込んでくる。
薄紅色の薔薇に、純白の百合、そして黄色い水仙――それらが織りなす美しい風景に、一瞬、心が奪われた。
私は思わず立ち止まり、深呼吸をする。
澄んだ空気が肺に入り込み、長い間締めつけられていた胸が、ふっと軽くなったような気がした。
冷たい冬の風ではなく、穏やかな春風が頬を撫でていく感触が心地よい。
「リリア、大丈夫か?」
隣を歩いていた兄が、少し心配そうに私を見つめていた。
「ええ。ただ……少しだけ立ち止まって、この風景を眺めたくなったの」
そう答えると、兄は何も言わずに小さく微笑んで頷いた。
この庭の景色は、私が初めて訪れた時に見た時とそれほど変わっていない。
それなのに、今の私には素晴らしく美しいもののように映る。
不思議なものだ。私自身が変わったからだろうか。それとも、この庭の美しさを忘れていたからだろうか。
庭を見つめる私の横顔を、兄だけではなく、父と母も見ている。
父が、いつも通り厳格な表情のまま一言だけ言った。
「よく耐えたな、リリア」
それだけで十分だった。
ただそれだけで、ヒューバート殿下の婚約者として過ごした年月が報われるようだった。
私は、言葉では表せない寂しさと、相反する解放感を胸に秘めて、父に向って頭を下げた。
「リリア、しばらく領地に戻ってゆっくりするのはどうだ? 王都はしばらく騒がしくなるだろうから」
馬車に乗った父の提案に、私は思わず微笑んだ。ちょうどそんなことを考えていたからだ。
いくらヒューバート王子に責があるといっても、私が王族に婚約を破棄されたという事実は覆せない。
きっと社交界ではおもしろおかしく騒ぎ立てられることだろう。
「それがいいだろうね」
父の横で兄も同意している。
「そうしましょう。私も領地へ行くのは久しぶりだわ」
母がそう言って優しく私の腕に触れる。
「うむ。君が行ってくれるのなら私も安心だ」
父の言葉に、母は手にした扇を口に当てた。
「当然ですわ。家族ですもの。私たちで心無い噂から娘を守らなくては」
両親と兄の言葉に感動する。
ああ、私はなんて優しい家族に恵まれているのだろう。
「ありがとうございます、お父様、お母様。そうさせていただきます」
ヒューバート王子への愛は失った。
でも私は、こんなにも深い家族の愛に包まれている。
だから、私は前を向いて歩いていく。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日後の朝、私は荷物の準備をしていた。
王都では、父の予想通りユール男爵家の事件とヒューバート殿下の処分についての噂が飛び交い、私の元にもお茶会の誘いが次々と届いていた。
侍女のベスが私の手紙の山を整理しながら、苦笑する。
「すごい量のお誘いですね。みなさん、リリア様から直接お話を伺いたいのでしょう」
私は呆れたように息をついた。
もう既に仲の良い友人たちには、詳細は無理だけれども、大体の話は手紙に書いた。
しばらく領地に行くとも伝えている。
だからこの大量の手紙は、ほとんど付き合いのない貴族家からのものだ。
「そんなに人の不幸話を聞きたいのかしらね」
つい嫌味な言葉が口をついて出たが、ベスは微笑みを絶やさずに答える。
「興味本位というのもあるでしょうけど、リリア様が見事に真実を証明なさったことに感嘆しているのも事実でしょうね」
その言葉に、少しだけ心が温かくなった。
私が証拠を示したことで、公爵家の名誉は守られ、私自身の立場も回復された。
それを評価してくれる人がいるのなら、あの苦労も無駄ではなかったと思える。
「でも、しばらくは領地で過ごすから、そんなお茶会には出席できないわ」
そう言うと、ベスが「それが一番ですね」と微笑んだ。
旅支度が整い、荷物が馬車に積み込まれる様子を見ながら、私はふと遠くの空を見上げる。
青空が広がり、春の穏やかな日差しが注いでいる。
その光景は、まるで新しい人生の幕開けを象徴しているようだった。
「領地に戻るのが、楽しみだわ」
そう呟く私の言葉に、ベスが「きっと素敵な時間になりますよ」と返してくれた。
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