3.シルキィ・デ・ラ・シエラ③
「この野郎!」
いきり立った男は、大股で少女へと近づく。すると今まで少女の傍で微動だにしなかった侍女が、男の前に素早く立ちふさがった。
「どけ! メイド風情に用はねぇ!」
「なりません」
長いポニーテールを結った年若い侍女は、自分よりはるかに目線の高い男を前にしても眉一つ動かさなかった。彼女の腰には立派な剣が提げられている。その鞘に手をかけたせいで、場の空気は瞬時に剣呑さを増した。
「このお方はラ・シエラ辺境伯のご令嬢、シルキィ・デ・ラ・シエラ様にあらせられます。狼藉は許されません」
侍女が口にした家名に、男は驚きを露わにする。それは周囲の傍観者たちも同様であり、大広間に一陣のざわつきをもたらした。
「ラ・シエラの」
セスも例外ではなく、思わず声を漏らしてしまう。傍観者として最も近い位置にいる彼の呟きは、シルキィの耳にも届いたようだ。彼女はセスを一瞥したが、すぐ男に向き直った。
「そう、ラ・シエラ。無教養な野蛮人でも、父トゥジクスの名くらいは知っているんじゃないかしら? 五年前の戦争においてアシュテネ王を討ち取り、この地を帝国に併合した立役者」
そういった背景がある以上、現在はヘネレア領と呼ばれるこの地での名声も大きい。
男は見るからに青ざめている。
「理解できたようでなにより。それじゃあ、そのお粗末な剣で一体何をするつもりだったのか、教えてくれるかしら?」
言われてから、男はようやく剣の柄にかけられた自身の手に気が付いたようだ。
「こ、これは」
追い詰められた人間は何をするかわからない。えてして激情は合理的な行動を阻害するものだ。案の定、引くに引けなくなった男は錯乱して剣を抜き放つ。
眉を寄せたメイドが剣の柄に手をかける。こうなっては誰も彼を庇えない。
「狼藉は許さぬと申し上げたはずです。ぶっ殺すぞ」
侍女の瞳が鋭く細まり、剣を抜こうとして――横合いから飛んできた拳が、男の横っ面に直撃した。
強烈な拳撃によって男の巨躯は宙に舞い、カウンターを飛び越えて奥の棚に激突。棚板は割れ、置かれていた本や書類が音を立てて散らばる。棚の天板に積もっていた埃が舞って、にわかに事務員がせき込んだ。
誰もが唖然とし、場は水を打ったように静まり返る。
「ミス・シエラ。同業者がとんだ無礼を。この拳に免じて、どうか水に流して下さいませんか?」
拳をさすった後、セスは努めて慇懃な態度でシルキィに向いた。
彼女はしばし返答に詰まる。理解の及ばぬ展開を前にして、頭の回転が止まっていたのだ。カウンターの奥で気絶した男と微笑むセスを交互に見比べてから、ようやく事態を呑みこめたらしく、忌々しげな瞳をセスに向けた。