覚悟の美しさ
皆さん覚悟はありますか?何があっても何を成しても目的を達する覚悟です。
覚悟とは、悟り覚めるという字が当てられています。
では何を悟るのか?それは、目的を達する手段を他の考えで鈍らせないことです。
喩え話をしましょう。
貴方が戦いに赴き人を殺さなければならないとき、人を殺すには覚悟が必要です。
その覚悟とはその人のすべてを奪いその人を待つ人々から奪い去ること、そして倫理観を無視することでしか殺しを成し得ないという覚悟です。
つまり、殺すという目標を達するために倫理観という必要のないものを捨て去り戦いに純粋になることです。
それは殺すことを楽しむという覚悟のない誤魔化しではなく、相手が自分を殺すことを覚り生きたいのならば相手を殺すという手段を倫理観で鈍らせずに遂行するという意識を持つことです。
相手を殺すことを楽しむというのは手段の中に嗜虐性が混じっていて殺すという手段を濁らせる。それはつまり油断になり、つまり純粋さと覚悟と油断しないことは同義であるというのが習いです。
喩え話を重ねましょう。
あなたが拳銃を持ち、相手が小さな果物ナイフを持っている。
あなたは倫理観に縛られ殺し合いを覚悟していないが、相手は覚悟を完了している。
どちらが勝つだろうか。それは間違いなく果物ナイフを持つ相手だろう。
人間を殺すのに拳銃程の大火力は要らず、唯頸動脈を掻きむ切ればいいのだから。
喩え話を重ねましょう。
貴方がFPSゲーム…それも何度死んでも変わらないカジュアルなゲームではなく、ランクマッチの成績だったり収集しした装備だったりという価値あるものを失うゲームだったとしよう。
相手はあまり強くない装備で、あなたは強く高価な装備だとしよう。
普通に考えたらあなたが勝つ。よほど下手でもない限りは、人間というやつは大した違いはないからだ。
では、何が大した違いとなるだろうか。…それは覚悟に慣れているかだろう。
普通の戦いならば現実に死ねばそれまで、覚悟は一度で済むかもしれないし、或いはその一度さえ無いかも知れないがゲームは違う。
ゲームサービスが終了せずにあなたがプレイを続ける限りに於いて、何度でも覚悟をする機会がある。
何度でも死ねるゲームで失いたくない一心でプレイし続ければ、嫌でも戦いを覚悟せねばならないことを悟る事態になる。そして覚悟を決めて、殺されずに生き残り失わないことに純粋に、そうあることに慣れさえすれば判断を誤らずに行動が鈍ることはない。
荒木先生作ジョジョの奇妙な冒険に登場するファニー=ヴァレンタイン大統領は【我が正義と行動に曇りなし】と言い放ち、非道なことでさえ平気で行うと聞いているが、純粋であり油断せず覚悟しているというのはこういうことだという見本だろう。
同じ様に、生き残るという目標があるならば倫理観を行動に及ぼしてはいけない。
同じ様に、相手を殺めるという目標があるならば自分の命を顧みて手段を鈍らせてはいけない。
化学兵器を使えば三千万の犠牲で一人の目標を殺せるなら迷いなく行い、己の命一つで何か叶えたい夢を現に為せるなら、何かどうしても遂げたい目標があるのなら、喩え命が惜しく未来が欲しくとも、一時の間は命を惜しんではならない。
それが結果的に命を守ることになると信じて命を刃として突き出さなければならない。
それが覚悟であり、行動の純粋さは美しさであり、覚悟もなく行動することで手段を鈍らせることは醜い。
私はそう考えるわけである。
以上、数ヶ月疾走していた言い訳終わりっ。
最後まで拝読有難う御座いました。…評価、コメントお待ちしております。
皆さんにとっての季語は何だったか、何を覚悟して何を捨て去りましたか?或いは、何を捨てないと決めましたか?それを私に教えてください。
私は過去に執着することをやめました。過去は美しく恵まれたものでしたが、それに溺れることの愉快さ…醜さを忘れて、何時か何処かの幸せな未来を何よりも欲しています。…そう、美くしています。