少女と神の平穏
「ただいま」
そう言うのに、少し迷った。
多分、慣れた家ではないからだろう。
私の家族はイリアさんの紹介で、王国のとある町に移り住んでいた。
その新しい家に初めて訪れたのだから、やっぱり、ただいま、とは言いにくい。
「――お姉ちゃんだ!」
最初に飛びついて来たのは、ルリ。
王国にきて生活水準があがったのか、その顔色は、帝国で再会した時より、ずっとよくなっていた。こころなしか、身長も伸びた気がする。
ルリに続いて、家の奥から皆が飛び出してきた。
どうやら皆、もう家に帰っていたらしい。
「メル!」
「おかえりなさい」
「おぉ、帰ってきた!」
「元気みたいだね」
お父さん、お母さん、リナ、リグと、次々に私を見るなり声をあげて喜ぶ。
……こんなふうに家族に帰りを迎えられて、私は幸運だと思う。
うん。
本当に……幸せ。
「ただいま、皆」
もう一度、そう言う。
今度は、自然に、心の底から、その言葉が出た。
そうだ。
私が帰るのは、家ではない。
私が帰るのは、家族のいる場所。
なら、やっぱりここは、ただいま、だ。
「……メル」
お父さんが、優しげな声で私の名前を呼ぶ。
「少し、成長したか?」
「え? そうかな?」
別にそんなことはないと思うけれど……。
自分の身体を見て、首を傾げる。
服もまだこの大きのものを着られるし、成長はしていないだろう。あまり嬉しくないことだけれど。
「そういうことじゃない」
お父さんは苦笑し、お母さんと顔を見合わせた。
そして二人とも、肩を小さく震わせて笑う。
「え……な、なに?」
ちょっと不安になる。
私、変な所があったろうか?
「顔が変わったわ」
お母さんが私の頬に手を添える。
「少し、大人になったかしら?」
「大人……?」
そう、なのだろうか?
まだまだ私なんて、子供だけれど。
「恋でもしたのかしらね?」
「――!」
悪戯っぽくお母さんがそんなことを口にして、思わず過敏に反応してしまった。
「あら、その様子だと、図星ね?」
「なに!?」
お父さんが大げさに驚いて見せる。
「相手は誰なんだ、メル!」
大きな手で肩を掴まれて、前後に揺さぶられる。
「お、お父さん……あの、ちょっと……」
「ほら。あなた、そのくらいにしてあげてください」
「む……悪い」
お母さんが嗜めて、お父さんが私から手を離す。
「それでメル。相手は……ライスケさんかしら?」
「お、お母さん!?」
だから、どうしてそういうことを言うのかな!?
「おー!」
「好きなのか!」
「恋なのね!」
そこの三人も興奮しないでよ……。
どうして久しぶりに家族の下に帰って来たのに、私はこんなことを追求されているのだろう。
おかしいと思う。
とにかく、それはそうと今はお母さんをどうにかしないと。
なんだかんだで、誰よりも興味津津って顔しているし……止めないと大変なことになりそうだ。
「お母さん。別に私とライスケさんはまだそんなんじゃ――」
「まだ、ね?」
あ……。
しまった……!
「さて。それじゃあメル。久しぶりに母と娘のおしゃべりをしましょうか」
「む、もちろん――」
「あなたは来ないでくださいね?」
「え?」
「来ないでくださいね?」
お父さんが固まる。
……そのまま、私はお母さんに引きずられいった。
うう……もっと温かな感じを想像してたのに、
†
「結局は、ウィヌスの選択は正しかったのですね」
ナワエが、不意にそんなことを言い出した。
「どういう意味かしらね?」
「そうでしょう? 貴方は、最初から彼を信頼していた。それが正しかったと言っているのです」
彼……ライスケのこと、でしょうね。
「そうかしら?」
肩を竦める。
彼を信頼していた?
甚だ疑問だ。
未だに、私は分かってはいない。
彼と歩んできた旅路が本当に私の意思によるものなのか、どうか。
それに戸惑い、思考を放棄した。
果たして、そんな私は、彼を信頼していると言えるのだろうか?
「私はただ、ライスケにすがっただけよ。情けないことにね」
「おかしなことを」
微かに、ナワエが笑む。
「ならば彼は、貴方がすがれる程の相手、ということでしょう? そして、実際にすがった。それは、他ならぬ、信頼というものなのではないのですか?」
「……」
そうかしらね。
やっぱり、自信がない。
私は、彼を信頼することが、できているのだろうか。
ああ、そうだ。
信頼したい、と思っている。
彼のことならば、信じ、頼りたいと思っている。
不思議な感覚だ。
これまで存在してきて、こんな想いを抱いたことは、一度もなかったのに。
……でも、悪い気分じゃない。
「そう言うナワエは、ライスケのことはどう思っているの?」
「感謝していますよ。彼には申し訳ないことをしましたが、その上で彼は私達の代わりにこの世界を救ってくれた。仇を恩で返してくれたので。感謝しないわけがないでしょう?」
「そういう意味じゃなく――」
「一個人として言うのであれば、好ましくはあれど、それ以上の特別な感情は抱いていませんね」
……ふうん。
「そう」
「安心しましたか?」
「……どういう意味よ?」
「分かりませんか?」
どこか挑発的な目で、ナワエが私を見る。
「分からないわね」
「嘘つきですね」
眉をひそめる。
「私のどこが嘘つきだって言うの?」
「それは自分の胸に聞いてみたらどうでしょう」
なんとも曖昧な言葉ね。
ここまで言って、最後だけはぐらかすなんて。
「つまりナワエちゃんはウィヌスがあの坊主のことを――へぶらっ」
突如現れたツィルフの顔面の私の爪翼が吹き飛ばし、胴を風が引き裂いた。
「ひでぇっ!」
「うるさいわね」
「黙ってください」
「……ひでぇ」
ツィルフが地面にうずくまる。
……まったく。
溜息をついて、ふと空を見上げる。
青空。
この空を守った彼は、今どこにいるのだろう?
――一ヶ月。
唐突に、ライスケがその期間、一人で世界を見て回ると言い出した。
自分がこれから生きていく世界を知りたい、とか言っていたけれど……実際はどうなのだろう。
彼はあれで、意外と大きなところがあるから。
もしかしたら他になにか目的があって、その為の行動なのかもしれない。
だとしたら……彼はまたなにか、重荷を背負っているのだろうか。
それならば、それを一緒に背負ってあげたい、とは思う。
まあ、世界を救ってもらった恩もあるしね。
にして、一ヶ月というのは、以外に長いわね。
まだ半分くらいしか過ぎてない。
速く時間が過ぎないかしらね。
思い、そして笑ってしまう。
おかしなものだ。
昔は、十年や百年ですら短い時の流れだと感じていたのに、今や一ヶ月が、それよりも長く感じるのだ。
不思議なものだ。