彼女と彼の日々
「忙しいです……」
言いながら、ソフィーは次々にサインに署名をしていく。
今回の件で、特に被害のなかった王国は帝国と神聖領の間にたって、様々な処理をすることになった。
まあ、中立だからこそ寄った皺だな。
「ふ……大変そうだな」
「そう思うなら手伝ってください」
恨めしそうにソフィーがわたしを睨んだ。
「生憎、この身は病弱でね。辺境の城で療養しなければならないほどだから、書類仕事などとてもじゃないができない」
肩をすくめながら、そう嘯いてみせる。
嘘じゃない。
表向き、私は深窓の姫君という扱いだからな。
「……私も病気になりたいです」
「そうしたらわたしがすぐに治してやるから安心しろ」
笑い、ソフィーの頭を撫でる。
「まあ、けれどことは案外早く落ち着くだろうし、そう弱音を吐くな」
「……それは、まあ……そうかもしれませんけど」
現在、各国には――特に今回被害を最も被った帝国、神聖領の両国には神々が事情の説明に向かっている。
世界の危険が訪れ、神々がそれを救った。
まあ、そんな内容だ。
神々から直々に伝えられるのだ。神聖領はもちろん、帝国とて納得せざるをえないだろう。
……なお、そこにライスケの名前は出ることはない。
ライスケ自身が、自分の名は出さないようにと言ったのだ。
あいつには功名心とか、そういうものはないのだろうか。
……。
「ないのだろうな」
思わず、苦笑がこぼれた。
「え、なんですか?」
わたしの声を拾ったソフィーが首を傾げる。
「いや。なんでもない」
「……一つだけ、いいですか?」
ふと、ソフィーの表情が変わる。
「……なんだ?」
「今回の件……ライスケさんは、関わったのでしょうか?」
――ふむ。
我が妹ながら、よく気付くものだ。
「何故そんなことを?」
「分かるに決まってます」
ふふん、と。
ソフィーが軽く胸を張る。
「どこかの誰かさんが、さっきまでライスケさんの話を楽しそうに聞かせてくれていましたから。そんなライスケさんだから、きっと世界を救う戦いに参加するくらい、していそうだな、と」
「……」
軽く呆けてしまう。
……なんだ。
わたしは、そんなに楽しそうにライスケのことを話していたのか?
――これは、あれだな。
手遅れ、というやつか。
まったくわたしというやつは……。
しかしソフィーも一つだけ間違っている。
ライスケは世界を救う戦いに参加したのではない。
世界を救ったのだ。
わたしや神々の力など微々たるもの。
世界はライスケ一人に救われたといっても過言ではない。
まあ、そう言ったらあいつはきっと大袈裟に否定するのだろうが。
「……負けちゃ、駄目ですよ?」
負け、ねえ。
ソフィーの言葉に苦笑する。
「もちろん、やるのならば勝つさ」
「頑張ってください」
と、そこで部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
ソフィーの言葉に、部屋に一人の近衛騎士の格好をした男が入って来る。
オルネス、だったか。
彼は部屋に入って来るとわたしを見て……自分はなにも見ていない、とでも言うかのように視線をそらした。
……まあ、現在わたしは不法侵入している最中だしな。見逃してくれるのはありがたい。
「追加の書類です、ソフィア様」
どさり、と。
ソフィーの机の上に新しい紙の山が築かれる。
「……」
涙目でソフィーが私を見た。
……仕方ない。
「少し手伝おう」
またしばらく、ソフィーには会えないだろうしな。
ここらで姉として、甘やかしてやろう。
†
「おやー。これはまた、こんな短期間に貴方に二度も会うなんて思いもしませんでしたねえ」
花束を孤児院の瓦礫の上に置いたところで、背後からそんな声が聞こえた。
……この声は、間違いない。
振り返って、苦笑。
その剛槍……懐かしい――でもないか。少し前に見たばかりだ。
「俺も同じだよ」
まさか、また会うなんてな。
二度と会うことなんてないと思ったのに。
「お前の方こそ、よくここには来るのか?」
「ええ、隊長の墓参りに」
「……いや俺死んでねえし」
勝手に殺すな。
「いえいえ。普通あんな惨状の中で姿消したら、魔物に喰われたか相討ちしたかと思いますから」
「俺の実力信じろよ」
溜息。
「……まあ、今回は墓参りじゃなく、少しばかり、決別への勇気を貰いにここに来たんですけどね。ほら、一人で魔物の群れに立ち向かう感じの勇気、ここにくれば手に入るんじゃないかと……」
「魔物の群れと戦うのか?」
「腐敗した政治、っていう魔物と戦うんですよー」
思わず目を見開いた。
政治、って……まさか、革命でも起こす気か?
「また、お前がそんなこと言うなんて、どういう心境の変化だ?」
神聖領大好きっ子だった癖に。
「ほら。本物の神々、来たじゃないですか?」
……ああ。
今回の事件の事情説明に、こっちに確かツィルフとナワエが来たんだっけ。
「神々の姿を見て思ったんですよ。ああ、やっぱり神様っていうのは凄い存在なんだな、って」
……片方中身が幼女趣味だったりする変態だけど?
あえてそこは言わないでおこう。
ナワエは普通に神様、って感じだけどな。
「そうしたら、なんだか神々の為でなく、私利私欲の為にこの国を操る腐肉共が嫌になりましてー」
「それでやっちまえ、と?」
「ええ」
にこり、と。
清々しい笑み。
「ちなみに私、リーダー的な立場だったりします」
「偉くなったもんだ。俺に模擬戦で一度も勝てなかったくせにな」
「なんなら今から少し、やってみますか?」
槍をつきつけられる。
――前に、腰から剣を抜いて彼女の喉元に突きつけた。
彼女の目が丸くなる。
「まだまだ甘いな」
「……ですね」
どこか嬉しそうに、彼女が笑った。
……なにが嬉しいんだか。
剣を鞘に戻す。
「一応聞いてみますけど、戻って来ませんか?」
「……いいや」
首を横に振るう。
「ですか。まあ、そうでしょうね」
残念がる様子はない。
「理由、聞いても?」
「ある女の子の気持ちに返事をしにいかなくちゃならなくてな」
「……は」
呆けてから、彼女は、笑みをこぼした。
「ははっ、なんですか、それは。革命よりも色恋沙汰なんて、随分軽くなっちゃったんですねえ」
「違いない」
まあでも、これは大切なことだから。
「ちなみに、どう答えるんですか?」
「秘密に決まってるだろ?」
「残念ですねえ」
呟き、彼女は身を翻した。
「残念ですねえ」
二度目。
その言葉を二度繰り返した意図は、なんなのか。
「もう行くのか?」
「はい。勇気はけっこう頂けたので」
「ならよかった」
彼女が、肩越しに俺を見る。
「今度、その人、連れて来て下さいよ。私も話してみたいので」
「……さあ、それは、どうするかな」
なんかからかわれそうだから嫌だな。
そんな考えがよぎるが、まあでも……連れてこようか。いつか。
彼女が、歩き出した。
「――頑張れよ!」
声をかける。
彼女は片手を上げて、そのまま歩き去っていった。