闇に挑む
目の前に広がる闇に、腕を振るう。
まるで水中でもがくかのような感覚。
いくつかの水泡が生まれ……それだけ。
どこまでも深い闇には、一筋の傷すらつかない。
「……っ」
そして、体から力が抜けた。
この闇に、俺の身体が溶かされているのだ。
『我ガ渦ニ沈メ』
「断る!」
誰がそんなふざけた終わり、望むものか。許すものか。
そう。
望んじゃいけないし、許されないのだ。
こんな簡単な結末。
こんな、あまりに馬鹿げた結末など。
俺が終わって、世界が終って……そんなこと。
それじゃああまりにも……簡単すぎるじゃないか。
俺は、俺の背負った罪を償うまで終われない。
だからこそ、このまま闇に溶けて俺が終わるなんて結末は、俺にとって、あまりにも優しすぎる。
俺の行く先は、償いの道でなければならない。
世界の行く先は、ずっと続く明るい未来でなければならない。
だから俺は……決して負けはしない!
負けないと信じ、負けないと誓い……勝つのだ。
俺の最初の一歩は、きっと、やっとそこから始められるのだから!
「俺は確かに、お前のような存在の前じゃちっぽけなもんだろう。少し力を込めれば簡単に押し潰れてしまうような、そんなものなんだろう。この力だって、もともとは全てお前のものだ……けどな!」
その力を抱いて生きてきた人生は、俺のもの。
そこに生まれた感情だって、俺のもの。
それさえあれば、俺は……戦いぬける。
手を伸ばせるんだ。歩いていけるんだ。
どこまでだって。
「俺は、絶対にお前みたいなのには負けない!」
全部を一つに?
ふざけるな。
そんなこと……俺は、許さない。
「皆生きてて、それが世界で……それがどれほど素晴らしいことか、分かるか!」
俺には、分かる――なんて偉そうには言えない。
でも、一つの世界を喰らってしまった、多くの世界を喰らってしまった俺は、少なくともこんなやつより、世界の重みを知っている。
それはとても重くて、俺一人で背負うにはあんまりにも重くて、でも投げだせるようなものでもない。
それを……その重みを、すべて原初の渦に沈めさせてなどやるものか。
『誰モガ貴様ノ様ニ思ウ訳デハナイ』
常闇の声は、どこからともなく消え得た。
それが、なおさらに気味が悪い。
「そうかもしれない……でも、それでも、俺はそんなのは嫌なんだよ!」
俺なんて、まだまだ子供だ。
何も知らない。
そんな子供の我儘なのかもしれない。
それでもその我儘を、通したいと願うんだ。
『一ツニナレバ争イモ、憎シミモ、悲シミモスラモ無クナル』
「それで温もりも愛も喜びも全部なくしたら、どうしようもないだろう!」
俺の体から、常闇があふれ出す。そしてあふれ出した片っ端から、常闇は闇に溶けてしまった。
やっぱり、もとは原初の力ということか。
いくらかの残滓が俺に残っているとはいえ、やっぱり、効かない……。
『無駄ダ』
「無駄なら、別の手を使う!」
拳を握りしめ、闇を殴りつけた。
ただの純粋な筋力。
当然のように、感触はない。
「っ……!」
くそっ。
どうすれば……。
奥歯を噛みしめた――その瞬間。
なにかが、こみあげてきた。
なんだ……これ……。
これは……。
白い……――。
†
状況は、混乱。
目の前にそびえる闇の巨人――原初。
私達神々より先にこの世界に存在したという、原初にあった神。
ライスケ達が持っていた欠片が全て交わって呼びがえった存在だ。半端なものでないことは、十分に承知している。
それでも……やはり、少しばかりもどかしい。
それに、焦りも出てくる。
こちらの攻撃は全て、原初の表面に触れた途端に、それに喰われるかのように――いや事実喰われているのだろう。さっぱりと綺麗に消えてしまう。
むしろわずかにではあるが、原初に力を蓄えさせてしまっているようなものだ。
なんてふざけた存在なのだろう。
あらゆる攻撃を、自らの力に変える。
出鱈目だ。
それでも、攻撃の手をやめることはできなかった。
無駄と分かっていても、それを続けることで、どうにか私達は自分達の意思を支えているのだ。
そうでなければ、きっととっくに原初という圧倒的な力の前に、心なんて折れている。
――原初は、最初にあらわれた場所から、まだ一歩も動いていない。
時折その身体がかすかに動くが……それでも、決定的な動きというものはない。
中で、きっとライスケがなにかをしているんどあろう。
それだけははっきりしていた。
ライスケが、このまま終わるものか。
あんなお人よしで、誰よりも優しくて、そして……強い彼が。
今は、彼を信じて、私達に出来ることをしよう。
でも……出来ることなら。
私達の力を、直接彼に分けてあげたい。
きっと、今ライスケは、厳しい状況に置かれているに違いないから。
――ねえ。
世界に問いかける。
お願いよ。
どうか。
彼に、力を。
無茶を言っているのは分かっている。
すでにライスケは全面的な世界の加護を受け取っているのだ。その上で、さらに力を、なんて……でも、分かっていても……。
彼に、今以上の力を、あげてほしい。
†
戦いは……というよりも一方的な攻撃は、時間とともに衰えるどころか、激しさを増す一方だった。
こんなとき……自分に戦う力がないのが恨めしい。
「メル」
と、ヘイさんが私の頭に手を置いた。
「ヘイさん……」
「戦う力がないのは、俺も一緒だ。流石に、こんな戦いには、俺でも加われない」
苦笑し、ヘイさんが原初を見上げる。
「とんでもねえよなあ……」
「……はい」
「ライスケも、戦っているんだろうな」
「ええ……」
きっと、誰よりも辛い戦いを、しているのだと思う。
「応援してやらなくちゃな。せめて」
「応援……」
「ああ。戦えない分、ライスケに、頑張れよ、ってな」
「……そう、ですね」
応援、しなくちゃ。
ライスケさんのことを。
勝って、って。
この世界を、皆を、守ってください、って。
……ライスケさん……。
――その応援、彼にきっと、届けて見せましょう。
「――え?」
耳元で、声が聞こえた……気がした。
今の声って……もしかして……。
「どうかしたか、メル?」
「……いえ」
ヘイさんに首を振って、私は空を見上げた。
……なら、お願いしてもいいですか?
私達のこの気持ちを、ライスケさんに届けてあげてください。
ティレシアスさん……。