そして喰らう
大地が抉れる。
天空が震えた。
たった二人の衝突で。
けれどそれは六つの世界の衝突で。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「はぁああああああああああああああああああ!」
――俺達は、高い場所にいた。
雲よりも高い場所。
いつのまにこんなところまで来たのか、それは自分でも分からない。
でも、多分無自覚に、皆を巻き込まない為にここまで来たのだろう。
それでも、距離は遠くとも……大丈夫。
皆を、側に感じる。
負けは、しない……!
その想いの全て。
この身に宿る全て。
それらを乗せて、常闇を放つ。
それはまるで、空にある黒い大海。
その大海にあるのは、二つの海流。
アスタルテの常闇だ。
その二つの海流がぶつかり、飛沫を上げる。
「力を……力を、貸してくれ……!」
願い、そして俺の内にある全てが、その意思に応えてくれる。
ありがとう。
常闇が、さらに強くなる。
「っ……!」
圧され始めたアスタルテの相貌が、歪む。
「力を、よこせ!」
感じたのは、強制力。
アスタルテの常闇が、蠢いた。
苦悶に呻くように。
「力を……復讐の為の力を! 全部、全部、なにもかもを差し出せ!」
「やめろ……」
それは……そんなことは、許されない。
アスタルテがしていること。
それは……無理矢理に、欠片に喰われた存在の力を略奪しているのだ。
一体、どこまでやるつもりなんだ……!
罪に、罪を上塗りして……、
「私が喰らった! だから、喰らわれたものは全て、私のものだ! さあ――」
「もう、やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
「寄こせぇええええええええええええええええええええええええ!」
互いの常闇が、激しい衝撃を生み出した。
世界が、震える。
「全て……全て、終わらせる」
アスタルテの瞳が、俺を見据える。
息を呑む。
その瞳の奥に覗く、闇。
「なにもかもが、私を否定するなら……今度は、私が否定する番だ!」
「それじゃあ、いつまでだって終わらないじゃないか!」
否定されて、否定して、そうしたら、また否定されるだけだ!
「どうして、歩み寄れない!」
「歩み寄らせてもらえないのよ!」
「そんなの、お前の勝手な思い込みだ!」
ただ、アスタルテは歩み寄ろうとしなかっただけ。
自分の一歩を踏み出す勇気のなさを、誰かの責任にしたがっているだけだ。
ふざけんな。
「いい加減、自分がただ臆病なだけだって気付けよ!」
「違うっ!」
――っ。
まるで軋むような痛みが、身体の奥に生まれた。
……常闇の衝撃が、俺にまで届いているのだろうか。
でも……ここで終わるわけにはいかないから。
辛いだろうけど……あと、少しだけ。もう少しだけ、俺に力を貸してくれ。
「臆病者は、私じゃない! 私の周りにある全てよ! 私を怖れ、受け入れなかった。そういうのを、臆病者と呼ぶのよ!」
「だったら、お前が勇気を出して、自分の弱いところをさらけ出せばよかった。そうすればきっと、誰かが手を差し出してくれた! お前が弱くて、他の誰とも違わない、ただのちっぽけな存在だって言えば! だからお前は、弱さを見せる勇気すらない、臆病者だ!」
「だから……そんな綺麗事、ありはしない!」
アスタルテの常闇の高波が、俺を真っ二つにする。
「それは、お前の決めることじゃない!」
アスタルテを、俺の常闇の濁流がのみ込んだ。
しかしその濁流を突き抜けて、アスタルテが俺の首を鷲掴む。
「この、甘ったれが!」
「ならお前は単なる弱虫だ!」
ゼロ距離で、互いが互いを常闇で喰らう。
――もう、これ以上問答するつもりはなかった。
それは俺も、アスタルテも同じだろう。
常闇が波打つ。
俺の常闇に浮かびあがるのは、希望を望む全て。
そしてアスタルテの常闇に浮かぶのは、絶望に染められた全て。
正反対の力をたたえた二つの常闇が、混ざる。
互いを喰らい尽さんと、溶けあって行く。
だが、均衡にして同等。
常闇と常闇は、どちらが勝つこともなく、負けることも無い。
このまま、どこまで戦い続けるのだろう。
そんな疑問。
――不意に……。
「え……?」
漏れた声は、アスタルテのもの。
彼女の常闇の勢いが、急に弱まった。
なにが……?
そう思いながら、この機会を逃すわけにはいかないと、俺は常闇を圧しこんだ。
徐々に俺の常闇がアスタルテの常闇をかき分け、彼女に近づいて行く。
「なに、よ……これは!」
それを目の前にして、アスタルテが叫ぶ。
「一体、何が……!」
――と。
彼女の背後に浮かび上がる者を、俺は確かに見た。
それは、二人。
ティレシアス。
ヘスティア。
アスタルテに喰われた筈の二人が、確かにそこにいた。
常闇の渦に喰らわれて、その水泡になった筈の二人が。
どうして……?
幻覚、なのか?
違う。
自分でその考えを否定する。
俺の視界に映る二人は、間違いなく本人達だった。その確信がある。
感じるのだ。
そのまなざしに、意思を。
欠片を宿していたから、完全に渦の中に消えはしなかったのか?
……いや。
それは、今考えてもどうしようもない。
なにより、二人の目が俺に言っていた。
――もう、アスタルテを楽にしてあげて?
ヘスティアがそう、悲しげに微笑む。
――我々の罪を、君に預けさせてもらいたい。
ティレシアスが、いつもの不敵な顔で、けれどどこか申し訳なさそうに言う。
「……ああ」
頷く。
「やってやるさ」
お前達のその想いも、俺はしっかりと喰らっていくよ。
終わらせよう。
もう、こんなこと……。
俺達は、こんな力に踊らされるだけの人形じゃないのだから!
「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
力を振り絞る。
なにもかもを、一撃に込めた。
アスタルテのことは、ティレシアスとヘスティアが押さえてくれている。
これが、最後の一撃だ……!
「なによ、なんなのよ、これは……!」
自分の思い通りにならない常闇に、アスタルテは激しい動揺を見せて、何度も何度も首を乱暴に振った。
その姿は……泣きわめく、ただの少女にも見えた。
……。
「もういいんだ、アスタルテ」
――そうだよ。もう、いいよ。
――君は、休んでもいいのだよ。
「いやぁあああああああああああああああああああああああああああ!」
絶叫。
「嫌だ! 私の、私の復讐が……やめろ……やめて! 私には、これしかないのに! もう、他のものはみんななくしちゃったのに!」
そして、彼女は涙を流す。
本当に、ただの少女みたいに。
……だから、俺は常闇を振り下ろした。
全部、喰らう。
アスタルテの背負うものも、全部。
俺の常闇が、彼女を喰らう。
「ぁ……」
アスタルテは自分の身体を見下ろして、そして……哂う。
「どうせ……変わらない」
嗤う。
「結局、私が喰らわれたところで……」
笑う。
「でも――ありがとう」
そして。
アスタルテを、俺は喰らう。