求める勝利
これで、身体を何回破壊されたろう。
痛覚はすっかり麻痺してしまっていた。
「――!」
バアルから常闇が放たれ、それを寸のところで回避する。
……どうにか、バアルの攻撃にも慣れて来た。
避けるくらいなら……なんとか。
もうこれ以上バアルの常闇に身体を喰われるのは、マズかった。
表向き、再生は一瞬だ。
けれど……その内側。俺が喰らってきた命が、バアルの方に奪われていく。
ただえさえ俺は、基本的なところからしてバアルに劣っているのだ。その上俺が弱くなり、バアルが強くなっていくのは、当然不利になる一方だ。
正確には把握出来ないが、既に、人数にすれば五千万ほどの命がバアルに奪われたのだと思う。
次々に放たれる常闇を避けて、その合間にこちらも常闇を放つ。
回避し、相殺させ――俺とバアルの戦いは微妙な均衡を保った。
しかしそれでは駄目なんだ。
一刻も早く俺はバアルを倒して……喰らって、ティレシアスのところに行かなくちゃ……。
だから……俺は前に出た。
胸のど真ん中がバアルの常闇に貫かれる。
そんなの、気にしない。
俺の内にある命が奪われるのは、望ましいことではない。
けれど……、
「ここ、だ――!」
その分、取り戻せばいいだけのこと!
俺に攻撃を当てて僅かに油断したのか、隙が出来たバアルの頭部を鷲掴みにする。
バアルの泣き声。
それを、渾身の力で握りつぶす。
ぐしゃり、と。
指と指の間から、赤黒い何かが飛び出す。
嫌な感触。生温かくて、少しぬめりのある、そんな感じ。
生理的な嫌悪感を抑え込んで、俺は更に、常闇を放つ。
バアルのことを俺の常闇が包み、そして尾の先まで喰らう――その直前、バアルの身体から常闇が溢れだし、俺の常闇と、そして頭部を握りつぶしていた俺の手を消滅させる。
ひとまず距離をとる。
……今ので、大分取り戻したな。
身の内にある渦の状態を把握して、そう考える。
視線の先では、完全に再生したバアルが大きく羽ばたいて、常闇を纏ったまま俺に突進してきていた。
それを……真正面から受け止める。
俺とバアルの間で、常闇が炸裂した。
無差別に、お互いをお互いの常闇が喰らっていく。
これじゃあ、埒があかない。
でも、だからって他に手があるわけではなかった。
「う、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
咽喉の奥から、雄叫びが沸き上がって来る。
ただ、力を込める。
勝つんだ、と自分に言い聞かせて、その強さを求める。
俺の常闇が、のたうつ様に脈動した。
と、すぅっと身体の芯から何か――熱く燃えあがっていたものが抜け落ちたかのような錯覚。
……え?
次の瞬間、僅かにではあるが……俺の常闇が、バアルの常闇を圧した。
バアルから動揺が伝わって来る。
なんだ、今の……。
バアルだけではない。俺も、動揺していた。
けど……今はそんなことを考えている場合ではないと、すぐに正気を取り戻す。
これをきっかけに、一気に圧し込んでやる……!
押せ……。
捺せ……!
圧せぇええええええええええええええっ!
ごう、と。
俺の常闇の威力が、さらに増した。
バアルが堪え切れなくなって、空高くへと逃げる。それを、常闇が追いかけた。
まるで巨大な龍の顎が開くように、常闇が二つに割れて、バアルを挟み打つ。
それを掠めるようにバアルは空を切って飛んだ。
なら……!
龍の顎が、爆散する。
否。
爆散するかのように、数え切れない細い糸になり、糸雨のように降り注ぐ。
その隙間を、バアルが正確に縫うように飛翔し、俺の目の前にやってくる。
しま……っ。
広範囲に常闇を放ってしまったせいで、手元で自由に出来る常闇が少なすぎる……!
馬鹿か、俺は。後先も考えずに力を振るうなんて……。
後悔しても遅い。
俺は、せめてもの抵抗に薄い常闇の盾を作り出す。
しかし、至近から放たれたバアルの常闇はその盾をあっさり貫くと、そのまま俺の首から下を一気に飲み込んだ。
「っ、く……ぁっ!」
痛みは、最早完全にない。
けれど代わりに、酷い喪失感があった。
俺の中の命を、大量に奪われてしまった。
これまで散々忌避してきたくせに、それを失ってみればこれかよ……。
どんだけ情けないんだ、俺ってやつは。
こんなんじゃ、駄目なのに……!
自分を叱咤して、真っ直ぐバアルを睨みつける。
「もっと……もっとだ……!」
口にして……でもまるで蜃気楼のように、その熱が消えてしまう。
代わりに、常闇の勢いがまた増した――ような気がする。
……まさか。
思い至る。
まさか……俺の、感情を?
常闇が、俺の感情を喰らって、強くなっている?
…………は。
はは……ははは……。
だったら……、
「だったら……」
もう、構わない。
後のことなんて、考えていられない。
とにかく、今、この瞬間の勝利を願う。
だから……、
「感情なんて全部、持っていけぇええええええええええええええええええ!」
黒い嵐が、吹き荒れた。
†
こちらの攻撃は全て防がれ、アスタルテの攻撃は回避する以外の選択肢を取れない。それも、回避に成功するのは、僅かな確率。
ほとんどは私にあたり、そして私の内から命を奪い取っていく。
およそ状況は、私に極めて不利な方向に傾いていた。
普通に考えれば、とてもではないが抵抗できない。
しかし私は、何百年もアスタルテを側で見て来た。
彼女の行動の癖や、おおよその考え方……そのくらいならば、多少は把握している。
合わせて、私自身のここまで培ってきた経験。
それらによって、かろうじて状況は最悪の場合を回避していた。
最悪とはつまり、何の抵抗も出来ずに私がアスタルテに食われ、アスタルテがそのままライスケを喰らい、バアルも喰らい、全ての欠片を集め、原初を完全に蘇らせてしまうこと。
それが、本当に、どこまでも最悪の結末。
その結末だけは、絶対に招いてはいけない。
故に……勝つことは無理だとしても、せめて彼女を抑えなければならない。
そうすれば、彼がバアルに勝利し、こちらに駆けつけてくれる。
そう信じるしかなかった。
†
っ……。
ウィヌス達が乗った馬車に並走していた私は、遠くから、その気配を感じ取った。
不気味でいて、強大な気配。
それに、覚えがあった。
これは……。
「ツィルフ……」
「ああ、わかっとる。怖いくらいに感じとるわ」
これは……間違いない。
あの時と同じ。
欠片と出会った時と、同じだ。
つまり、この先に……。
「ウィヌス!」
馬車に声を投げかける。
と、言っても……、
「分かっているわ」
馬車の中から、ウィヌスが飛び出して、私達の横につく。
「この先に……きっと、いるのね」
「おそらく、そうでしょう」
それも、一人二人ではない。
気配が、大きすぎるのだ。
それにこの気配の質は……そう。
戦いの、気配。
この先で、戦いが行われている。
多分それは……世界の全てを賭けた、戦いだ。