決意の言葉
「……ヘスティアを、喰らった……だって?」
ティレシアスが口にしたその言葉に、俺は愕然とした。
――そうだ。
言われて、はっきりと感じ取ることが出来た。
アスタルテを、今までと違うと感じた。その違和感の正体。
彼女の内にある欠片が、大きくなっている。
それはつまり……ヘスティアを喰らい、その欠片を取り込んだと、そういうことなのだ。
「なんで……!」
思わず、問う。
「もう、甘さは見せないと決めたのよ……復讐の為に。もう、復讐以外の全ては、捨てると決めた――例え、同胞であっても」
アスタルテから、常闇が伸びてくる。
咄嗟に、俺も常闇の壁を目の前に作った――が。
「無駄よ。もう貴方と私とでは、格が違う」
あっさりと俺の常闇は、アスタルテの常闇に貫かれた。
いくらかアスタルテの常闇が削れたが、それだけだ。
っ……。
「君の欠片は二つ。こちらは、一つが、二人だ。ならば、二人でやれば君に対抗出来る」
と、横からティレシアスの常闇が、アスタルテの常闇に衝突。
その二つが、消滅した。
俺が削った後だったからこそ、ティレシアスの常闇が届いたのだろう。
……なら、これで戦えば――……。
「忘れてはいない?」
アスタルテが、笑う。
その笑みに、背筋に悪寒がはしった。
――それに反応出来たのは、奇跡だったのかもしれない。
空から、常闇が降り注いて来る。
それを同じく常闇で払いながら、空を見上げる。
そこに、一羽の鳥が飛んでいた。
ティレシアスに、事前に聞いていた。
あれが……バアル。
「こちらは欠片が二つと、欠片が一つの二人。そちらは欠片が一つの二人なのよ?」
そうだ……。
こうなると、欠片の量は、向こうの方が多い。
どうする……。
視線で、ティレシアスに問いかける。
ティレシアスはそれに、どことなくシニカルな笑みを浮かべた。
「ライスケ。バアルを頼む。私は……彼女の相手をしよう」
「っ……」
そんな……一人で相手をするつもりなのか!?
「そんなこと……!」
「これが一番正しい選択だ。分かるだろう?」
「それ、は……っ」
……ああ。
分かるさ。
俺は、まだ常闇の扱いに完全に慣れたわけでもなければ、戦い方も素人そのもの。そんな俺が、ただでさえ強力な力を持ったアスタルテとまともに戦えるわけがない。
でも……それでも……これじゃあ、ティレシアス一人に危険を押し付けているみたいじゃないか。
「気にすることはない。私には、アスタルテと相対しなくてはならない理由がある。だから、任せて欲しい」
「……」
相対、しなくてはならない、か。
そこにどんな理由があるのかは、分からない。
でも、ティレシアスがそう言うのであれば……俺も、俺の戦いをしよう。
「分かった」
頷く。
「すぐに片付けて、助けに来る」
「それは待ち遠しいね」
ふ、と。
ティレシアスが微かな笑みをこぼす。
俺がバアルに勝てば――欠片を一つ喰らえば、立場は逆転する。
だから……。
「貴方では、バアルには勝てないわ」
アスタルテが冷たく言い放つ。
それを真正面から受け止めて……その上で、はっきりと言う。
「勝つさ」
そして俺は、魔術によって空に飛びたった。
皮肉なことにその魔術は、あの国境で喰らった人々の力だ。
それでも、今は迷わずそれを使おう。
†
頬を風が撫でる。
俺は、空の上で、バアルに向かい合っていた。
肌がぴりぴりする。
プレッシャーのせいだ。
その重圧が、あんな小さな鳥から放たれているなど、実際に見なければ誰も信じはしないだろう。
そのくらいに不自然な状況。
先に動いたのは……俺。
右腕から、巨大な常闇の爪が伸びる。
大きく翼をはばたかせ、バアルはそれを軽々と回避してみせた。
そして、その翼から細い漆黒の矛が何本も打ち出される。
常闇でそれを受け止めると、俺は音よりも速く、バアルの腹の下に潜り込んだ。
抉る様に、常闇を放――とうとして、しかしそれよりも先に、俺は大きく身をのけぞらせた。
その俺の肩口を、バアルの尾から伸びた常闇が掠める。
浅く喰らわれたところから、俺の内側からほんの僅か、渦が吸い出される。
でも、気にするほどのことではない。傷口も一瞬でふさがる。
改めて、俺は常闇を放った。
しかし、バアルの出した常闇の盾に防がれてしまう。
っ……正直、鳥だからと、侮っていた。
でも駄目だ。
これは……油断すれば、すぐにでも負けてしまう。
「く、ぁ……!」
バアルがその全身を矢のようにして、俺に突っ込んできた。うっすらとだが、常闇を纏っている。
当たるわけにはいかなかった。
一度、大きくバアルから距離をとる。
しかし――バアルはそれを許してはくれなかった。
ぴったりとバアルの影が俺を追撃してくる。
だったら……!
常闇を散弾のように放つ。
それを、慣性を無視した動きでバアルは回避した。
それでも、その回避行動分、俺との距離がひらいた。
その隙に、俺は身を翻すと、今扱える限界の常闇を放射状に一気に放った。
視界一杯に黒が広がる。
軽い眩暈。
そして、身体の内側を指先で引っかかれるような、気色の悪い感覚。
あと一歩間違えれば、常闇が暴走する。そんな境界。
これで、どうだ……!
やったか……?
その問いに、すぐに答えは返ってきた。
何かを喰らった感触がない。
つまり――、
ドン!
気付けば。
俺の常闇を突き破って、何かが俺の左肩を貫いていた。
その衝撃で、肩どころか、首の半分ほどまでが吹き飛んだ。
信じられないような激痛に、目の前が真っ赤に染まった。
しかし怪我自体は、一瞬で治る。
痛みだけは、強く残っていた。
その痛みに、奥歯が砕けるんじゃないかと言う位に歯を噛み締める。
少しでも気を抜けば気絶してしまいそうだった。
そうしながら、どうにか俺は、自分の身体を貫いたものの正体を突き止める。
バアルだ。
バアルが、常闇と突き破って、俺の肩を吹き飛ばしたのだ。
それと共に、俺の中の渦が、小さくなる。
パーセントで言えば、一にも満たないが……それでも確かに、その分だけバアルが強くなり、俺は弱くなる。
急に、追い詰められたかのような錯覚に襲われる。
……いいや。
そんなこと、ない。
自分の弱音を押さえつける。
俺はまだ、やれる……!
奮い立たせる。
バアルに、鋭い視線を突き刺す。
「……負けない」
終わりの始まりなんて、俺は望みはしない。
だから、そんなことを望む、こんなやつらに、負けられないんだ。
「俺は……勝つ……!」
その決意を胸に、俺はもう一度、バアルに飛び出した。