重要なこと
神聖領、帝国の国境に展開していた両国の軍隊が、巨大なクレーターを残して消滅した。
その噂は、あっというまに広まった。
私達も、ライスケが消えた二日後にはその噂を耳に挟んだ。
古代の悪魔……いや。
原初の欠片の仕業なのは、明らかだった。
まさか、それほど大規模の被害を出すとは……その話を聞いた時、不覚にも、少しだけ怯みそうになった。
……問題は、それを誰がやったか、だな。
神々の話によれば、原初の欠片を持つ五人は既に姿形は確認さているらしい。
昨日現れたアスタルテという女。そしてアスタルテにヘスと呼ばれていた少女。ツィルフを傷つけた鳥。
そして、ヘスが口にしていたティレシアスという名前。
それは、驚いたことにメルが知っていた。
どうやら以前、そういう名前の男と出会ったことがあるらしい。その時は、ライスケも一緒にいたそうだ。
まさか以前から欠片が接触してきていたとはな……。
ともかく、それで四人……性格には、三人と一匹か。
最後の五人目は……言うまでもないか。
ライスケ。
問題は、この中の誰が国境で被害を出したか……だな。
まさか、ライスケではあるまい。
あいつは、そんなことが出来るような男ではない。
……だが、万が一、ということもあり得る。
その時は…………。
「まあ、許してやるか」
そう。許そう。
なにせ、あのライスケだ。
もしあいつがそんなことをするとしたら、まず間違いなく、どうしようもない理由があったのだろう。そして、そのことに酷く後悔している筈だ。それはもう、見ているこっちが苛立ってくるくらいにうじうじと。
そんなことを考えていると、何故だか、ひどくあいつの顔が見たくなった。
なあ……ライスケ。
お前はどこにいる。
夕暮れの町を、宿の屋根の上に座り、見下ろしていた。
高いところにいれば、ライスケが見てるとでも思っているのだろうか、わたしは。
思わず苦笑が零れた。
やれやれ……。
「……許すって、何を?」
不意に、背後から声がかけられた。
「ウィヌスか……いや、なんでもない」
肩越しに、ウィヌスの姿を確認する。
あれから、神々は全員がウィヌスの考えに賛同し、ライスケを探している。もちろん、ウィヌス自身も。
だから……こうしてわたしがまともにウィヌスと顔を合わせたのは、実はあの夜以来だったりもする。
「……」
「……」
ウィヌスが、無言で私の隣に座る。
「ライスケは?」
「見つかったら、とっくに連れて来てるわよ」
「それもそうだな」
ならばこんなところで油を売っている暇はないだろう、と口にしようとして……やはりやめた。
ウィヌスに、聞きたいことがあったのだ。
それに、彼女の方からこちらに出向いてきたのだ。多分、ウィヌスもなにか、わたしに話があるのだろう。
とりあえずは、ウィヌスの話から聞くとしよう。
そう決めて、私は彼女が口を開くのを待った。
しばらく、そうして静寂が続く。
「……正直、動揺した」
それを破って、ウィヌスが言う。
「動揺?」
なんの話だ?
「あの時の貴方の言葉よ。裏切った私に恨みごと一つ言わないライスケが、どれほど私を……って」
「ああ……」
それか。
しかし、動揺した、か。
なるほど。
納得した。
だからか。
いきなりウィヌスが、ライスケと手を組もうなどと言い出したのは。
だとしたら、私の言葉も無駄ではなかったということだな。
「あれから、少し考えてみた。ライスケのこと」
「今更だな」
もうそれを考えるには遅すぎるだろうに。
「いいじゃない。遅くとも、取り返しがつかないわけではないし」
「ふん。それもそうだな……それで?」
ライスケのことを考えて、どうしたというのだろう。
「……やっぱり、分からないのよね」
ぽつり、と。
ウィヌスが呟く。
「少なくとも、嫌いではない。一緒にいて、楽しいと感じることもある。これからも共に旅を続けられるなら、それもいいかもしれないと、そう思う」
……おい。
「でもそれをなんと言えばいいのか……分からない」
……おいおい。
「ウィヌス。貴様……実は馬鹿か」
「は……?」
ウィヌスが呆けたような表情を作る。
「いきなり、なんでそんなことを言うのよ。私は別に――」
「馬鹿だな。ああ、間違いなく馬鹿だ。まったく、貴様それは普通に……」
続きは、口から出なかった。
……言わないでおこう。
「普通に、なによ?」
「いや、なんでもない。わざわざ敵に塩を送ることもあるまい」
「……敵? なに、まだそんなことを言っているの?」
「そっちの意味ではない」
「……?」
しかし、ふむ……。
敵、か。
自然とその言葉が口から出て、自分でも、少しびっくりした。
「それよりも、私も貴様に聞きたいことがある」
これ以上この話題を長引かせることもあるまい、と。転換を図る。
「……なに?」
「貴様は本当に、最初からずっと、世界の命令でライスケといたのか?」
「……」
ウィヌスは、すぐには答えなかった。
たっぷり溜めてから、ようやく言葉を口にする。
「そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない」
「なんだ、それは」
結局どっちか判別がつかないではないか。
「仕方ないじゃない。私自身、本当に、分からないのよ」
そう言うウィヌスの横顔は……どこか、苦しそうに見えた。
……そうだな。
もしウィヌスが本当にライスケのことをそう思っているのならば、自分の意思がどこにあるか分からない現状が、苦しくないわけがないか。
「まあ……けれどウィヌス。そんなことはどうでもいいではないか」
「え……?」
なんだ。自分で気づいていないのか?
「ライスケとここまで来た、その切っ掛けは確かに世界の命令だったのかもしれない。だがな……貴様は言ったではないか。これからも共に旅を続けられるならそれもいいかもしれない、と」
「それが……どうしたのよ」
「まったく……どうして気付けんのだ」
呆れる。
「始まりの切っ掛けなど、些細なことだ。重要なのは、切っ掛けなどではなく、貴様の思い。これからも旅を続けたいと思うということは、これまでの旅を悪いものと感じていなかった証拠だ。世界も、まさか神の感情までは操れまい?」
「……ええ。それは、そうだけれど……」
ならば、なにも懸念することはない。
「次会った時、貴様の今の気持ちをライスケに言ってやれ。それで、問題なんて何も無くなる」
「……どういう、ことよ?」
「さて、な」
しかし、どうしてだろうな。
メルにウィヌスに、わたし。
まったく……どうしてなのだ?