お人よし
「……」
場には、静寂と……そして、僅かな困惑が漂っていた。
ライスケが、アスタルテと名乗った女が……そして突如として現れた幼い少女が、姿を消した。
その速さは、とてもではないがわたしや、それに神々にだって、追えるような速度ではない。
それは、実際に神々がここに居残っていることからも確かだろう。
気配を追おうにも、その気配の尾すら感じることは出来ない。
――誰も、口を開かなかった。
それぞれが、きっといろいろなことを考えている。
アスタルテが語った話。
この世界に神が生まれる前の、原初の話。
それを聞いて……もしそれが事実というのであれば……それは、どれだけおかしいことなのだろう。
正直、ライスケの力について、まだわたしはほとんど理解しきれていない。
ただ……漠然と、途轍もないものである、ということだけは分かっていた。
そして、その力は――重さは……この世界に押し付けられたものだった。
この世界とは本来ならば関わる筈のなかったライスケに、この世界が原初の欠片を押し付けたのだ。
それがどれほど彼を苦しめたのか……。
一緒にここまで旅をしてきたのだから、あいつの苦しみをきちんと解ってやるべきだった……とは言わない。いや、言えない。
わたし達は、この世界で生きて来た人間だ。
広義で言ってしまえば……わたし達は、加害者。
この世界の全てを、ライスケを虐げたのだ。
……それこそ、アスタルテが言ったように。
加害者であるわたし達が、被害者であるライスケを解ってやるなどと、それはどれほど傲慢なことだろう。
アスタルテ、という者がどういう存在なのかもよく分からないが、どうやらライスケと同じく原初の欠片を押し付けられた者の一人らしい。そして、同じような存在が、他にもいる。
だとしたら、一体この世界はどれほど罪深いと言うのだ。
……いや。
今は、それはいい。
そんなことよりも……。
「ウィヌス」
声をかけると、彼女は肩越しにこちらを見た。
「貴様は……どうするつもりだ?」
「……」
答えは帰ってこない。
「決まっとるやろ」
代わりに、ツィルフが口を開いた。
「ワイらは神や。例え世界がどれほど汚い真似していたとしても、それでも世界を守る為に動くに決まって――」
「貴様には聞いていない」
「げび……っ!」
天の魔剣でツィルフの身体を縦に真っ二つに割る。
まったく。少しは空気を読め。
私は改めて、ウィヌスを見た。
彼女は小さな溜息を零すと、私から視線を切った。
「私は、神よ。この世界を守る為なら、なんだってする。それが役目だもの」
「――……本気で言っているのか、貴様」
つまりそれは……ライスケを……。
「ええ。本気よ」
次の瞬間。
わたしは、天の魔剣を振るっていた。
神すらも切り裂く刃が、ウィヌスの首に――、
「そんなの、ひどいです!」
――届く前に、メルの叫び声。
刃は、ウィヌスの首のほんの少し前で止まっていた。
「ライスケさんは、私を助けてくれました! いつも、いつも! でも私達はライスケさん達に重いものを押し付けて……それでまだ、ライスケさん達を……そんなこと、どうして出来るんですかっ!?」
今にも泣き出しそうなメルの顔。
……そうだ。
ライスケは、助けてくれたのだ。
メルだけではない。
私はいつだったか、ライスケに助けられたことがある。
あの時の、気持ち。
嬉しかった。
助けに来てくれる仲間がいることが、私を守ろうとしてくれる人間がいることが、何故だか、どうしようもなく嬉しかった。
そんな気持ちを私にくれたライスケを……まだ虐げると言うのか。
「そーだぜ、ウィヌスさんよぉ」
ヘイが、ウィヌスを軽く睨む。
「ライスケはあんたがちょっと姿を見せなくなったからって、顔を青くして心配するようなやつなんだぞ? そんないいやつ、滅多にいるもんじゃねえのによ……そんなあいつに、どうしてそこまで出きんだよ。元はと言えば、この世界が全部悪いんじゃねえか!」
ヘイにしては珍しく、感情を露わにしていた。
言葉は、それほど荒々しくはないが……それでも確かにそこには、怒りが籠もっていた。
理不尽になにかを奪われる……そういう点では、ヘイとライスケは少しだけ似ているのかもしれない。
だからこそ、ヘイもここまで真剣にライスケの為に怒っているのだろう。
「……馬鹿な人間達」
そんなわたし達の言葉に返されたのは、ウィヌスのそんな短い言葉。
「っ、貴様……っ!」
ここまで言って、なにも思わんのか。
「本当に貴様は、ライスケと一緒にやってきたここまでの道を全て、嘘にするつもりなのか……!」
「……ねえ、ナワエ」
わたしなどいないかのように、ウィヌスがナワエを見た。
「なんですか?」
「ライスケは、アスタルテの手を取った?」
……?
なにを言っているのだ、こいつは。
「いいえ。彼は彼女の手を取りませんでした」
「そうね……ねえ、一つ聞かせて頂戴」
ウィヌスの瞳が、細まる。
「もしも五つの欠片をそれぞれ宿した存在が敵に回ったら、私達は勝てるかしら?」
「無理ですね」
ナワエは、自分達のことだというのに、そう即答した。
「世界五つ分の戦力です。勝てるわけがありません」
「そうね」
本当に、どういうつもりだ?
そんなことを言っていて、なんの意味が……。
「ナワエ、ならばこうは思わない? ライスケは、アスタルテの手を取らなかった。つまり彼女達の仲間ではない……」
――待て。
ここまできて、なんだかすこし……話の質が変わってきたのを感じとる。
これは……、
「だったら、アスタルテ側の戦力はライスケを抜いた、最大で世界四つ分になるわ」
「そうですね」
まさか……、
「なら、こうは思わない?」
ウィヌスが言う。
「いっそ、ライスケと手を組んでアスタルテ側を倒す……それのほうが、勝率は高くなる」
――!
「ウィヌス……貴様……!」
彼女の口元に、笑みが浮かんでいた。
「……ウィヌス。分かっているのですか? 世界は彼も処理するように我々に命じているのです。それでは、その命令に逆らうことになる。下手をすれば、分解されて、再構築される可能性だってある。再構築は、全てを一度白紙に戻すと言うこと。感情も、記憶も……つまり、再構築は貴方の死に他ならないのですよ?」
なんだと?
ナワエが口にした内容に、ウィヌスを見る。
「そんなことは分かっているわ」
ウィヌスも、それは百も承知、という顔だ。
「けれどね、ナワエ。私は、この世界を守るのが役目なの。この世界を守る為なら、この世界の命令に背くのも、またやむなしとは思わない? まあ、もしそれで再構築されるというなら、それでもいいわ」
あくまで、軽く。
軽く、ウィヌスは言った。
「しかし、肝心の彼に我々は攻撃を加えたのですよ? 殺すつもりで。そんな相手に今更協力すると思うのですか?」
「思うわよ」
どこか、自信のある声でウィヌスは頷いた。
「だってライスケは、お人よしだもの」
……そこには、全面同意だよ。
あいつは本当に、馬鹿なのではないかと思うくらいに人がいい。
余計な力をもってしまった、ということも関係しているのだろうが……それにしたって、ライスケの本質はきっと、お人よし、だ。
けれど……このまま話を終わらせるわけにはいかないんだろうな。
「ウィヌスさんが消えちゃうなんて、私は嫌です!」
メルが叫ぶ。
……ああ、まったく。
本当に、メルという人間は……。
ウィヌスも同じことを考えたのか。
わたしと二人で、同じ苦笑をこぼす。
「ライスケのことも、私のこともだなんて……メルは随分とわがままになったわね……」
「皆さんについていけば、誰だってこのくらいわがままになります!」
おいおい、人のせいにするのか……本当に変に成長してしまったな。
「まあ心配してくれるのは結構だけれどね……どうせライスケと手を組むという選択を認められないくらいにこの世界が能無しなら、結局あとはこの世界は滅びるだけだもの。だったら、私は別に再構築されるのは怖くない。だって、どちらにせよそれじゃあ最後は死ぬのだもの」
なかなか、随分と破滅的な理由だな。
まさか自棄にでもなっているのではないだろうな?
「ウィヌス。貴様、本当にそれていいのか?」
「いいわよ。これが神の役目だもの」
「……」
神の役目、ね。
「だったら貴様個人としての気持ちはどうなのだ?」
「……そんなのは、どうでもいいでしょう」
誤魔化したな。
……ふん。まあ、いいさ。
「さて、と。とりあえず、ライスケを見つけなければ話は進まないわね……私と同意見の神はさっさとライスケを探しなさい。再構築を怖れて世界を滅ぼしたい神は、黙って見ていればいいわ」
†
「どないするん?」
「……まったく。ウィヌスは少し、変わりましたね」
「そやなー。まさかあいつがああまで人間に――いや若干人間とは違うかもしれんが――ともかく一個人に入れ込むとは……もしかして惚れてるんかな?」
「下世話な話はそのくらいにしてください。まったく」
「で、どないするん?」
「決まっているでしょう」
「……まあ、ああまで言われてもーたら、なあ」
「ええ」
「んじゃ、仕方ない」
「ええ、仕方がありません」
「あの小僧を探すとするか」
「そうですね」
†
まったく……お人よし。
ライスケが、ではない。
イリアも、ヘイも、メルも、誰も彼もお人よしだ。
そんな人間の言葉に揺らされた私も、大分お人よしなわけだけれど。