いない神
イリアとの夜の散歩から一夜明けて。
これまた約束通り、俺はメルと町を散策することになった。
朝食を食べた後、二人で宿を出る。
「昨日はイリアさんとなにをしていたんですか?」
そして、本日三度目の質問。
「だから、さっきも答えたろ? ただちょっと話をしてただけだって」
「……本当ですか?」
なんでそんな疑うような目をするんだ。
イリアとは本当に話をしただけなのに……。
「あやしいです」
「いや、なにが」
「……うう」
もどかしそうに、メルが肩を落とした。
……?
とりあえず、なんだかメルの機嫌が悪いようなので、すぐ近くにあった果物店で、甘い果物を二つ買う。
その際に、「神々に感謝しましょう」と言われたが、どうやら神聖領ではごく普通の行為らしい。そういえば宿を借りる時も同じようなことを宿の人間に言われた覚えがある。
まあ、それはいいか。宗教色が強いというだけのことだ。それで俺達が何か、迫害されたりするわけでもないし。
俺はその果物を片方、メルに渡した。
「ほら」
「え……?」
「いるだろ?」
さっき朝食を食べたばかりだが、まあ水分の多い、桃みたいな果物だし、平気だろう。
「あ、ありがとうございます」
笑顔でメルはそれを受け取る。
……うん。やっぱりメルは笑顔が一番だな。
「でも、食べ物で女性のご機嫌をとろうというのは、ちょっと単純ですよ?」
「ぐ……」
そ、そうなのか?
ウィヌスやイリアはこれであっさり機嫌がよくなるんだが……。
……あの二人の食い意地が張ってるだけか。特にウィヌス。
食は神の癒し、っていつぞや会った赤づくめの神も言ってたし。ツィルフ、だっけか?
そういえば昨日、ウィヌス達はあの神と再会したらしい。すぐにいなくなったらしいけど。
と、それはともかく。
「悪い」
「まあいいです。嬉しかったですから」
言って、メルの笑みがさらに明るくなる。
……嬉しいなら、単純とか言わないでほしかった。
次回からは気を付けよう。
「にしても、どうしてイリアとのことをそんなに気にするんだ?」
「そ、それは……っ」
なんだかメルがたじろいだ。
どうしたんだ?
「えっと……それは……」
「それは?」
「そ、れは……っ」
メルの顔が、少し赤くなる。
……あれ? 怒ってる?
これ聞いちゃいけないことだった?
「っ、そ、それはもういいです! それよりライスケさん、行きましょう」
……これ以上藪蛇をつつくこともないだろう。
俺はそれ以上は尋ねるのをやめて、素直にメルの横を歩いた。
「ん……甘いですね」
メルが、果物を両手で掴みながら、ちょっとかじる。
俺も一口果物に口を付けた。
口の中に、酸味よりの甘味が広がった。酸味といってもあまり刺激的ではなく、舌で程良く感じる程度のものだ。
「適当に買ったけど、当たりだったな」
「はい」
もう一口。
これは、ちょっとやみつきになるかもしれない。
「あとでまた買いにいくか。ウィヌス達も食べるだろうし」
「そうですね」
そんなふうに喋りながら食べていると、あっという間に果物を食べおわってしまった。
「そういえば」
「ん?」
「ウィヌスさん、見かけませんね」
「そういえば……」
今朝はウィヌスを見なかったな。
別に会う約束はしていないが、同じ宿にいるんだから顔を合わせても不思議じゃないのに。
「でも部屋は一緒なんだろ?」
「はい……けれどウィヌスさん、昨日は部屋に戻ってきていませんでした」
ってことは、いないのは昨日からか?
どうしたんだろうな……。
「まあ、でもあいつのことだから、ひょっこり帰って来るんじゃないか?」
「……そう、ですね」
メルが、浮かない顔をする。
「心配か?」
「……なんだか、少し嫌な感じがして」
嫌な感じ、か……。
いやでも、まさかウィヌスに限って……。
「でも、多分気のせいだと思います」
少し暗くなった雰囲気を元に戻そうと、メルが分かりやすいくらいの笑顔を作った。
わざわざそこで余計なことを言うこともないだろうし、俺もそれに合わせてちょっとだけ笑う。笑うのは苦手だけど。
「まあ、大丈夫だろ。なんせ、ウィヌスだぞ」
「ですよね」
†
肩に、黒い鳥――バアルが止まった。
それに続いて、後ろにヘスとシアスが現れる。
「アスタルテ、アスタルテ! ちゃんと言われたとおりにやってきたよ!」
「お帰り、ヘス。どうだった?」
尋ねると、ヘスは不満そうに口をとがらせた。
「あんまり楽しくなかった」
「そう。まあ、所詮はこの世界の下僕だもの。仕方がないわ」
けれど、無事にことが進んでいるならばよかった。
彼の側にいた神も離れたようだし……順調ね。
他の気配も想像以上に早く集まってきている。
これなら、今夜あたりには……。
「ふふっ」
思わず、笑みがこぼれた。
あともう少しで彼が私達のもとに来るのかと思うと、その時が待ち遠しくて仕方がない。
しかし、そんな私の気持ちに水を差す言葉がなげかけられた。
言わずもがな。
言葉の主は、シアス。
独特の、どこか透明と汚濁が混じり合ったような声で、シアスは言う。
「果たして、万事うまくいくと思うかね?」
……。
「それは、どう言う意味かしら?」
「君の思う通りにことは進む。確かに、それは彼にとっては最悪だろう。だが、だからと言って彼がこちら側に立つとでも?」
「思うわ」
そんなこと、決まっている。
「信じていたものに裏切られて、追い詰められて、そこで縋るものがあれば、誰だってそれに縋る。例外はない」
「確かに」
鷹揚にシアスは頷く。
「確かに、縋る。だが、その縋るものは、はたしてなんだろう?」
「……何が言いたいの?」
シアスのことが、分からなかった。
彼が裏切ってから、今まで、なにも分からない。
本当に目の前の彼が、私の父代わりとも言えるシアスなのかと自問する。
いや、間違いない。
彼の娘のようなものとして生きてきた私だからこそ分かる。彼は間違いなくシアス。
でも、やっぱり分からない。
それがすこし……嫌だった。
「始まりから今までの全てを否定された彼が、まさかそれでも仲間を縋るとでも思うの?」
出会いも、時間も、全てが裏切りの上にあって、それでそれをまだ縋る?
馬鹿げている。
「そんなの、ありえない」
「それはどうかな」
シアスの瞳が私を真っ直ぐに射抜いた。
鋭い眼光ではない。
けれど……まるで身体の内側まで覗かれるような、そんな気分。
「正直、私にも分からない。ただ一つだけ言えることはあるがね」
「言えること?」
「彼は裏切られても、憎しみはしない。きっとね」
笑うことすら出来なかった。
呆れすぎて。
「憎しまない?」
そんな言葉が貴方の口から出るとは思わなかったわ。
私達は、憎しみの意味をなにより深く理解しているでしょうに。
どれだけ人の心が憎しみに染まりやすいか、我が身をもって知っているのに。
「シアス。貴方の戯言は聞き飽きたわ」
本当に嫌だった。
私が知るシアスが、どんどん別物になっていくようで。
そんなの、認められない。
「貴方がどう思おうとも、欠片は最終的に一つになる。そして、私達は原初をもって復讐を果たすのよ」
んー、もしかしたら三作品で一番早く終るのって神喰らいかも。