掌の上の神
「うぉー! やべーナワエちゃん、これ見てやこれ! でかっ! でか穴! 穴って響きいやらし!」
「人目もないのでぶっ潰しますよ」
「すみませんっしたぁ!」
ツィルフが土下座する。
まったく……まあ、今回はお仕置きは勘弁してあげましょう。
それよりも、問題はこれですね。
私達がいるのは、神聖領と王国の国境付近。
そこに……底が見えないほどの大穴があいていた。軽く見て直径五百メートルはあるだろう。
……これは……。
「風変わりな井戸かもしれんなあ……」
「黙ってください」
穴を覗きこみながらそんなことを言うツィルフの背中を蹴る。
「のわぁああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……ぁ……ぁっ!」
ツィルフは叫び声とともに穴の底に消えて行った。
ふむ……かなりの深さがあるようですね。
しばらく待っていると、ツィルフが暗闇の向こうから高速で姿を現した。
このまま言ったらまたどこまでも飛んで行ってしまいそうなので、途中でその身体に風の櫛を十本ほど差して空中に固定する。
「痛い!?」
ツィルフの身体が燃えあがって、私の風を燃やした。
「ナワエちゃんなんてことするのワイの繊細な身体に!」
「は、繊細?」
「鼻で笑われた!?」
まったく、ツィルフは……。
本当に神のくせに頭に蛆でも沸いているのではないですか?
今度解体して調べてみることにましょう。
「なんか寒気!」
「それでツィルフ、穴の底はどうでしたか?」
「あー、底の方は溶岩ながれとった。いい湯加減やったで?」
「溶岩とは……地殻の殆どを貫いてるんですか……?」
そんなに深い穴……私やツィルフでも掘れはしない。
「古代の悪魔、ですか」
これは……なるほど。
世界が警戒していると見て間違いないですね。
であれば、それを始末するのは神の使命。
「ツィルフ、辺りに何かの気配は感じますか?」
「そう言うのはナワエちゃんのが得意やろ? んー、まあ、なんも感じへんけど」
「一応聞いただけのことです。私も何かの気配を感じると言うことはないので、この辺りにはなにもいないようですね」
そうなると、さてどこに向かえばいいものか……。
「ナワエちゃん、こんな真似するやつにワイらで対応できると思う?」
「自信がないのですか?」
「まっさかー。一応や、一応」
神が二柱も揃って敗北するなどという惨めは許されない。
そななことになれば、世界に一度分解されて再構築されてしまう。
流石に神と言えども、分解は恐ろしい。人間にとっての死と同等と言えばいいだろうか。
「それでは、とりあえずは国境沿いに探してみますか――!?」
刹那。
私の探知範囲に、その気配を感じた。
なんだ……これは。
「ナワエちゃん。分かるか?」
「ええ……」
ツィルフも、普段は見せない鋭い瞳でその気配が向かってくる方向を見た。
速い――!
その気配は、信じられないような速度で私達に向かって来ていた。
それに……なんだこれは。
気配の質が、よく分からない。
人でもなければ魔物でもなく、ましてただの獣でもなければ、神などでもない。こんな不気味な気配を、私は知らない。
そんなことを考えているうちに、視界にそれが飛び込んできた。
流星、だった。
そう。それはまるで、黒い流星。
黒い球体が空の彼方から、私達の近くへと落下した。
同時に球体が弾け、その黒が無数の鞭のようになって周囲に散らばる。当然、それは私たちにも襲いかかってきた。
迎撃しようとして、不穏な感覚に、咄嗟に回避行動をとる。ツィルフも同様だった。
私たちがいた場所を、黒い何かが叩き……そして、そこにあった地面を抉った。
抉った、という表現には違和感がある。
これは……。
地面には、鞭の形の綺麗な溝が刻まれていた。その底は、見えない。
黒い鞭しばらく暴れ回り、地面を大量に消滅させると、蒸発するように消えた。
……そうだ。
その様子に、やっと当てはまる単語を見つける。
――浸食。
まるで喰われてしまったかのように、綺麗にあの黒いものに触れたものが消えてしまう。
魔術でもなければ、何かしらの技術というわけでもない。
なんなのだ、あれは……。
黒い球体が落ちた場所には、二つの人影が立っていた。
一人は、幼い少女。
一人は、細長い印象の男。
どちらも黒い髪に黒い瞳、黒い服と……全体的に黒づくめだった。
一見すれば、人間。
だが……その気配は、明らかに人間を逸脱していた。
「あはっ」
少女が、不意に天真爛漫な笑みを零した。
「神様って、意外と普通なんだね」
「なんやあのロリっ子は」
いつもの軽口のような余裕が、ツィルフの今の声にはない。
「とりあえず、神様達……遊ぼうか?」
「――!?」
「――っ!」
次の瞬間、私は右に、ツィルフは左に跳んでいた。
それとほぼ同時に、私達の立っていた地面が砕ける。なんてことはない、あの少女が一瞬で移動して、拳を叩きつけただけのこと。
それだけのことで、あれだけの威力……!
「あはっ、やっぱり人間とは違うなあ」
嬉しそうに言って、少女が口元に指先をあてて、私とツィルフを交互に見やった。
「そっち」
そして……私の目の前にその姿があった。
「――!?」
今度は、反応できなかった。
少女の拳が、私の胸を捉える。
――視界が、暗転。
自分の上半身が吹き飛ばされたのだと気付いた時には、既に体は再生していた。
「すごいすごい!」
その様子を間近で見ていた少女は、何が面白いのかはしゃいでいる。
「こんなロリは求めてへん!」
少女の背後から、巨大な爆炎。
身体中から炎を吹き出したツィルフが、少女へと飛びかかった。その身にまとう炎は、簡単に地面を溶岩に変えてしまう。
「更生したらまた来いやっ!」
言って、ツィルフから巨大な炎の塊が放たれる。
「きゃは!」
それに対して、少女は動かない。
私は飛んで、少女から距離をとった。それでもやはり、彼女は微動だにぜず、自らに向かってくる小型の太陽を見ていた。
着弾。
巨大な爆発と共に、灼熱が地平を吹き荒らした。
「んー、あったかい」
「んな……!?」
その炎の中から、少女は悠然と歩いて出て来た。
これには、ツィルフも同様する。
あの熱量に、服にすら焦げがないなんて……。
一体、なんだこれは!?
内心で取り乱しながら、しかしそれでも思考は冷静に、私は巨大な風の刃を作り上げると、それを上空から少女に向けて振り下ろした。
風の刃の一撃によって、一直線に、地面が砕け散る。
しかしその線上にいた少女は……まるでそよ風にでも感じるかのようにそこに立っていた。私の攻撃があったことが嘘のようで……しかし、はらりと空に舞った彼女の数本の黒髪だけが、私の攻撃が確かに彼女に命中したことを教えてくれていた。
私の攻撃が、髪の毛数本分とは……。
「ねえ、もしかして、もう本気を出してるなんてことはないよね?」
少女の口から出たのは、純粋な疑問だった。
っ……。
私達の攻撃が、少女から見れば「まさか本気」と問うようなものなのだと気付いて、息を呑む。
「……なーんだ」
私達の様子に、少女が肩を落とした。
「神様って、この程度かぁ」
失望したように、私達を一瞥して、少女は溜息を吐く。
「もういいや。つまみ食いしておーわり」
少女の言葉と同時に……彼女の足元から、黒い何かが溢れだした。
「――っ!」
本能、というものが神にも備わっているのか。それは、分からない。
けれど何の根拠もなく、私も、ツィルフも、その危険度を理解した。
風が、炎が、闇の塊であるかのようなそれに襲いかかる。
けれど……。
「な……っ!」
「そんなんありか!?」
私達の攻撃は、それに触れた瞬間に消滅した。
文字通り、消滅だ。
魔術も、そこに込められた魔力も、なんの手ごたえもなく、完全に無くなった。
「なんだ……それは」
「貴方達は知らなくていいよ」
つまらなそうに言い捨てて、少女が私に手を掲げる。
そして――黒いなにかによって形作られた槍が、私に突き出された。
速すぎる……!?
初撃をどうにか交わした私に、更に次の槍が突き出される。
「っ……!」
それも避けて、さらに次々に私に襲いかかって来る槍を避ける。
だが……、
「うーん。それじゃ、これでお終い」
同時に八本の槍が、それぞれ別方向から来た。
しま……っ!
避けられない……。
やられる、と。そう覚悟した、その瞬間。
「ナワエちゃん!」
私の手を、誰かが引いた。
誰か、だなんて、そんなの一人に決まっていた。
ツィルフだ。
八本の槍が、私から外れる。
「むぅ……」
少女がつまらなそうに頬を膨らませた。
「アスタルテ……全部喰らわないようにするって、意外と難しいよ」
彼女がなにを言ったのかは、よく分からない。
ただ、おぼろげに彼女が私達に対して手加減をしている、ということは伝わってきた。
これで、手加減……?
何の悪い冗談だ。
ただえさえ、あちらに少女の仲間と思わしき男が一人いるのに……。
「もういいや。バアルー、手伝って」
少女が空を見上げて言った。
バアル?
あの男の名前だろうか……?
いや、ならばどうして空を見る?
まさか……まだ仲間が!?
その考えに行きつきまでに、瞬きをするほどの時間もいらなかった。
けれど、それだけの遅れが、決定的だった。
空から降り注いだ黒い杭が、私の身体目がけて落ちてくる。
その杭の向こうに覗いたのは……、
「ナワエちゃん!」
身体が、また引っ張られた。
「ツィルフ!」
まずい!
このままでは……!
黒い杭が、ツィルフを捉えた。
――ツィルフの、頬の薄皮を。
彼の頬が浅く裂ける。
「っ、危なっ……!」
ツィルフの声が飛び出して、それに無性に安心する。
よかった……。
「あ、丁度良かった。これでアスタルテのお願いは完了だ」
そんなツィルフを見て、少女が笑んだ。
「教えてあげる。私達の同胞が一人、覚醒しきってないよ、世界」
……なに?
私ではなく、私を通して、世界に語りかけているのか?
「それじゃ、ばいばい」
次の瞬間。
少女と男が黒い何かに包まれて、そして幻のように消えた。
……なんなのだ、あれは。
ツィルフと二人、少しだけ呆然とする。
少女に、男に……そして、
「あれは……鳥?」
空から私に黒い杭を放った、鳥。
何者なのだ……。
「なあ、ナワエちゃん……」
震えた声。
「ツィルフ?」
彼は、頬をおさえて、私の方を見ていた。
その手が、どけられる。
「――!?」
馬鹿……な。
「これは……やべえ、よな?」
「……」
返事は出来なかった。
ツィルフの頬には、一筋の傷。
……治らない傷だ。
†
――……馬鹿な。
――……なんで、こんなこと……。
――……何故なの…………?
こっから終盤に入る……のかな?