三柱の神
「神聖領は、やはり至るところに印が刻まれているな」
歩きながら、イリアが小さく呟いた。
確かに。
ヴェイグニア教の印があちらこちらにある。建物の壁に刻まれていることもあれば、道端で売られている工芸品などにも。はてはすれ違う人の中には首筋などに入れ墨をしている人間までいる。
さすが、神聖領とでもいうべきか。
国としての水準は大したことがない癖に、民の信心の深さは知れない。
……正直、馬鹿だと思う。
信仰したって私は人なんて救わないし……この国がしていること、普通に全部無駄なんだけれど。
「ウィヌスとしては何か感想があるのではないか?」
「別に。現実逃避御苦労さま、といったところかしら」
宗教なんて、なんの意味があるのか……。
心の弱い人間が縋りつく幻想じゃないの。
それを言ったらライスケも宗教にはまりそうね。
「実際の神がこれと知ったら、この国の人間は絶望するな?」
「まあ、この国で考えられてる神様像とウィヌスさんは正反対ですからね」
イリアの苦笑に、ヘイがのっかる。
正反対、ねえ。
「それはどういう意味かしら?」
びくっ、とヘイの肩が震えた。自分の失言に気付いたのだろう。
「……いえ、それは、ですね……」
「それは?」
ヘイの肩に手を置く。
「ウィヌスさんが強く気高く美しい優しさの塊みたいな神様ってことでぐぁああああああああああ肩が、肩が潰れた!? 何故だぁあああああああ!?」
肩をおさえてヘイが地面に倒れる。
あからさま過ぎて一瞬感心しそうになったじゃない。
「それにしても……景気で言えば帝国と変わり映えはしないな」
後ろで変な叫び声をあげているヘイは無視して、イリアが周囲を見回す。
「そうね」
町は、静かだ。
決して人がいないというわけではないけれど……多分、生活の苦しさは帝国と比べてもどっちもどっち、というくらいだろう。
それでいて帝国よりかは空気が淀んでいない。人も、あちらよりはましな顔をしている。
生活が苦しければ気持ちが沈むのが人間だと思うのだけれど……。
「信じてるんですよ。いつか神々が助けてくれる、って。大真面目に」
不意に、復活したヘイがそう言う。
「だから今は苦しくても平気、というわけか」
イリアが、少し険しい顔をした。
気持ちは分かる。
ことあるごとに神々だ。それで民の心の操るなら、それはもう立派な洗脳だろう。
だいいち、知らないうちに縋られているこっちの身にもなって欲しいわね。
人間に頼られたところで鬱陶しいだけでしかない。
「この国は、負けますよ」
当然のようにヘイはそんなことを口にした。
「せめて今の国のお偉方がもう少しましだったら分かりませんけれど、今この国の上に居座ってるのは、なにも知らない馬鹿ばっかりですから」
それはこの国を見れば分かる。
……まったく。
人間というのは、馬鹿ばかりね。こんな国を作った人間もそうなら、それに従う人間もまた。
まあ……そんなのはどうでもいい。
それよりも、今は気になることが一つ。
さっきから後ろをちょろちょろついてきている、二つの気配。あれで気配を隠せていると思っているのだろうか?
私から隠れるなんて、何百年の前から無駄だと分かっている筈なのに。
「いい加減、出てきたら?」
「ん?」
私が唐突に足を止めて後ろを振り向くと、イリアとヘイが不思議そうな顔をした。
流石にこの気配を人間に気付けというのは無理な話か。
路地の隅にたてかけられていた木の板が、倒れる。その陰から姿を現したのは、二人。
片方は、赤髪に赤い服という、全身赤ずくめの男。
片方は、翠と銀を混ぜ合わせたような髪を首の後ろでひとくくりにした女。
ツィルフと、ナワエ。
「さっすがウィヌスやな。気付かれてもうた」
「だから言ったでしょう。ウィヌス勘違いしないでください、馬鹿はこの馬鹿一人ですので」
……なんでこいつらがここにいるんだろう。
なんな急に疲れた。
「ふむ、どこかで見覚えが……ああ、そっちの男はあれだな、帝国で一度、道端で倒れていた神の……」
「どうもお嬢さん。覚えててくれるなんて嬉しいわぁ。今夜ワイといっしょに夜空の見えるとこでにゃんにゃんせんか?」
私の蹴りがツィルフの膝を本来とは逆方向に折り曲げ、ナワエと手が撫でるようにその首をあらぬ方向に曲げた。
「あふん! 二人に責められてワイ、ちょっといけない性癖に目ざめちゃ痛い痛いやめてお願いワイが悪かったからいやぁあああああああ!」
地面に倒れて変なことを口にするツィルフを、ナワエが無表情のまま何度も踏みつけた。特に顔面を中心に。
「なんだそいつ、変態か?」
「ちっがぁああああああう!」
「……!?」
ヘイの言葉に、急にツィルフが立ち上がる。
「ワイは、変態という名の紳士なんやぁあああああああああああん!」
「結局変態なのですね。そんな貴方が私は大嫌いです」
ナワエがツィルフの髪を掴んで、近くの壁に押し付けて、さらに擦りつける。ごりごりとツィルフの顔面が削れていった。
「そんなこと言って実はツィルフさんが大好きなんやろ? ナワエちゃんってば恥ずかしがり屋さんだなっ」
次の瞬間。
ナワエの拳がツィルフの横顔を捉え、そのままツィルフの身体が二十メートルほど吹き飛び、何度か地面を跳ねながら転がって行った。
「ナワエ……あまりそういう、神の力を見せびらかすような真似はよしなさい」
周りに神だなんて知れたら、面倒なことになるというのに。
この国でなら、なおさらに。
首を折るのがせいぜい限界よ。
「失礼。つい」
「つい、であの威力……!?」
なぜかヘイがおののいていた。
「明日は我が身だな。気を付けろよ、ヘイ」
「言わないでくださいよ!」
なにか騒いでいる二人は無視して、私はナワエに尋ねた。
「ツィルフとは合流できたのね?」
「ええ、一応は。ウィヌスも、人間と行動を共にしているという話は本当だったようですね」
「悪い?」
「いえ。私はウィヌスがどうしようが、あまり興味がないので」
ナワエは相変わらずね。
「それで、そっちはどうしてこんなところに?」
「古代の悪魔というものを見に。世界の命令かもしれないので、一度きちんと確認しておこうかと」
「……そう」
世界とは、この世の全てではあるが、全知全能ではない。世界の足りない部分を補うのが神の役割だ。
ちなみに世界が神に命令するときは、大抵が神自身の意思に介入する。
だから、古代の悪魔を見に行こう、と考えたナワエの行動は世界の命令かもしれないし、もしかしたらナワエ自身の自由意思かもしれない。よほど具体的で限定的な命令でもないかぎり、神ですら命令を受けたと言う自覚は生まれないのだ。神もなんだかんだで曖昧な部分が多い。
どちらにせよ、ナワエは古代の悪魔を見ておいて損はないと判断したのだろう。
「古代の悪魔、ねえ……」
「なにか御存じですか?」
「いいえ。別に」
ライスケが少し気になるけれど、それはわざわざ伝えるほどのことではないだろう。
それに、伝えるまでもなく、ライスケの情報は私を通して世界に知られている。もし世界がライスケに何か感じたならば、それはやはり大した問題ではないと言うことだ。
――少なくとも、今は。
「まあ、見に行くなら急いだ方がいいんじゃない? この間も急に消えたし、またいなくならないとも限らないわ」
「そうですね。では、再会もこの程度に、私達はそろそろ」
「ええ」
気を付けて、という言葉が口から出掛けた。
……馬鹿馬鹿しい。
神に気を付けろ、だなんて。神は不死だ。何に気を付けることがあるだろう。
「ツィルフ。そういうわけですので、立ってもらっても?」
いつのまにかツィルフがナワエの足元まで這ってきていた。
ナワエの服装は、薄緑のワンピース。
……。
「だがここで諦めてなにが男かっ!?」
ツィルフがナワエの服を掴んで、そのまま思いきりたくしあげ――ようとして、そのままナワエの拳によって地面に叩きつけられた。
そして、だらりと力の抜けたツィルフの足を掴んで、ナワエが私達に一度視線を向けた。
「それでは」
「ええ」
軽く頭を下げて、ツィルフを引き摺るナワエが去っていく。
「……神ってこんなのばっかりか」
「こんなの、とはどんなのだ? 教えてくれ」
「あら、それは私も知りたいわね。私は一体、どんなのかしら?」
「ひぃっ!?」
……。
にしても。
なんだか、嫌な感じだ。
古代の悪魔に、滅多に集まらないはずの神が三人もこんな近くにいて、ライスケという常識外の存在……。
……何も、起こらなければいいけれど。
んー、どんどん神喰らいの完成度が下がっているような気がする。
頑張らないと。