動く欠片
――古代の悪魔が、また現れた。
そんな話を、ヘイの故郷から一つ離れた町の料理屋で耳に挟んだ。
しかもそれは、神聖領と王国の国境付近にある村や町、集落などに集中して現れているらしく、既に多くの場所にその爪跡が刻まれているらしい。
背筋が、凍った。
古代の悪魔……。
それは……つまり――。
「……まずい」
思わず、呟いていた。
まずい……もしかしたら、このまま王国に向かって進んだら……あいつらに、出会ってしまうかもしれない。
それを考えて、不安とよぶにはあまりにもしっかりとしすぎた感情が沸きだしてきた。
「ライスケさん……?」
「あ……ああ、なんだ?」
メルに声をかけられて、弾かれるように顔を上げる。
「あの……顔が、真っ青ですけれど……どうかしましたか?」
「……そうか? 別に、どうもしないけど……」
我ながら、この言い分には無茶があったかもしれない。
この時浮かべた愛想笑いは、自分でもあまりに不格好だと自覚した。
「今日はこの町で宿をとって、さっさと休んだほうがいいかもしれないな」
「そうですね。特に先を急ぐわけでもないですし」
イリアとヘイの言葉に、僅かに安堵する。
そうか……今日は、もうこれ以上あいつに近付かなくていいのか……。
胸をなでおろす俺を、ウィヌスが見つめていることに気付く。
「な、なんだ……?」
「別に?」
別に、って様子じゃないだろう。
……そういえば。
あいつらと出会った直後の俺を起こしてくれたのは、ウィヌスだったんだよな。
あの時、あの場所の惨状から、ウィヌスは俺と古代の悪魔の間に何かしらの関係があるんじゃないかと、うっすらと気付いている筈だ。
そんな俺が、今古代の悪魔の話を聞いて顔色を悪くする。
ウィヌスからしてみれば、怪しいことこの上ないだろう。
……俺は、それ以上はもうウィヌスから視線を逸らすことしかできなかった。
それからずっと、俺は胸に靄を抱えたままだった。
†
部屋の扉がノックされた。
「んー、誰だ?」
俺よりも扉に近かったヘイが、ノブを回して扉を開ける。
そこにいたのは……ウィヌス。
「あれ、ウィヌスさん。どうかしたんですか?」
「ちょっと席を外してもらうわよ」
「へ……ぶはっ!」
ヘイはそのまま顔面を掴まれると、廊下に引きずり出された。
そしてウィヌスが代わりに部屋に入ってきて、扉を閉める。
廊下からヘイが何か文句のようなことを言っているが、すぐに静かになった。どうやら散歩にでも出かけたらしい。
ウィヌスは俺の正面――ヘイのベッドに腰を下ろした。
「さて、と。それじゃあ、何か私に話すことはないかしら?」
「……なんの、ことだ?」
馬鹿な俺の返しに、ウィヌスの双眸が細められる。
そしてそのまま、しばらくして……。
「はぁ……まあ、あの時、言いたくないなら言わなくていい、なんて言ったのは私だものね。今更前言撤回はしないわ」
あの時って……あいつらと出会った後のことだよな。
そういえば、あの時のウィヌスは何も聞かないで済ませてくれたんだっけ。
「……悪い」
「悪いと思うなら喋ればいいと思うのだけれどね」
「…………悪い」
俺には、それだけしか言えなかった。
「もういいわ。それより――」
ウィヌスがいいかけたところで、部屋の扉がノックされた。
「ヘイ……ではないわね」
気配から調べたのか、ウィヌスが呟く。
そして、誰も返事などしていないのに扉が開けられた。
「ヘイ、少し席を外――これはどういう状態だ?」
入ってきたのは、イリア。
イリアもヘイがこの部屋にいたら開口一番に追い出すつもりだったらしい。気を遣えとはいわないが、時期が時期だし少しはヘイに優しくしてもいいと思うんだけど……。
彼女は俺とウィヌスの姿を見ると、首を捻った。
「多分私も貴方も同じ目的ではないの?」
「……ああ」
同じ目的……つまり、俺から何か聞きだそうってことか?
「そう構えなくてもいいわよ、ライスケ。私としては一つだけ確認したいだけだし」
「確認?」
「ええ。イリアはどう?」
「わたしはさっき顔色が悪くかった理由と、今後の相談だな。顔色については、明らかに古代の悪魔とやらが関係しているようだし、ならばこのまま王国に向かうのは、ライスケとしては嬉しくはない展開ではないのか?」
「行き先の件は私がこれから確認したかったことと全く同じね。前の質問は諦めなさい、教えてはくれないわよ」
何にも知らない筈のイリアにはでそんなことを思われるなんて……俺、どれだけ考えてることとかが顔にでやすいんだろう。
今度から、気をつけないとな。
「それじゃ、ライスケ。改めて聞くわ。貴方、これからどうしたいの?」
これから……。
…………。
「正直、古代の悪魔には近づきたくない」
あいつらに近づいて、その先にいい未来があるとはどうしても思えないのだ。
だったら逃げたい……だが。
「逃げようにも、帝国側じゃ戦争が勃発する寸前だぞ?」
イリアの言う通りだ。
王国側に行きたくないからと帝国側にいけば戦争に巻き込まれる可能性がある。
前者は絶対に嫌だから、とるならば後者だが……でも、他にも選択肢はある。
「……俺としては、もう少し行ったところでしばらく滞在して、古代の悪魔の話題が消えるまで待ちたい」
神聖領が戦争状態に陥れば、前線以外でも多少の危険は増えるだろう。
けれど、それでも多分、それが一番危険が少ない選択だと思う。
「少し行ったところで、か。ヘイを気遣っているのか?」
「……一応」
ここは、あいつにとって嫌な思い出が残ってる場所の、すぐ近くだし……。
「まったく、お前と言う奴は」
呆れられているのか、溜息をついて、イリアはウィヌスに視線を送る。
それを受け取って、ウィヌスも軽い溜息をついた。
「……まあ、いいんじゃない?」
え……?
いい、って……なにが?
「ここまで散々他に振り回されてきたわけだし、そろそろライスケの我が儘を聞いてもいい頃合いでしょ」
「そうだな。なんだかんだで、わたし達のなかで一番主張が少ないのはライスケだ。今まで溜めていた分を消費しておけ」
……まさか、こんなあっさりと受け入れられるとは思わなかった。
「で、でもそんなこと勝手に決めていいのか? メルやヘイは――」
「あの二人が滅多なことで異論を口にすると思う?」
そりゃ……まあそうだけどさ。
メルは優しいから、まず嫌と言うことはないだろう。
ヘイもイリアやウィヌスに言われれば首を横には触れない筈だ。命が惜しくて。
……でも、いいのだろうか?
いや、俺としては願ったりかなったりなのだが……。
「ともかく、そういうことでいいわね?」
「あ、ああ……」
ウィヌスに、気付けば頷いていた。
……まあ、いいか。
「ありがとう……」
「いいわよ、別にお礼なんて」
「このくらいの器量を見せねば姫などとは名乗れんのでな」
ウィヌスとイリアが、軽く笑んだ。
†
「あはははははははははははははははははははははははははは!」
楽しいなぁっ!
人間の身体を千切って、その血を浴びる。
温かい。
人の温もりだ。
もっともっと、感じたいな。
いいよね?
確認するように、目の前を逃げる親子の頭を潰す。
ふっ、ふふっ、あははっ!
楽しい! 嬉しい!
久しぶりに人の温もりを感じる!
「ねえ、ねえ! アスタルテ! もっともっと、やっていいの!?」
「ええ……とりあえずは、彼は私達に苦手意識を持っている様子だし。こっちに逃げてこないように国境付近でなら、神は喰らわないという条件付きで、暴れていいわよ」
「やったぁ!」
いったい、どれだけ人がいるのかな?
わくわくするな。
「それじゃあ、行って来るね!」
「もうここはいいの?」
「うん! あとはアスタルテにあげる!」
「そう」
もうここは飽きちゃった。
それじゃあ、行こう。
「またね、アスタルテ! 行こう、ティレシアス、バアル!」
「……派手に動き出したものだね」
呼んだのに、ティレシアスはアスタルテに話しかけてしまう。
……嫌われちゃったのかな?
そんなことないよね、バアル?
視線を向けると、バアルが頬を撫でてくれた。
えへへ。
そうだよね。うん。きっと大丈夫だよね。
「どうせこの世界は永くない。だったらどれだけ噂が広まろうと困ることはないもの」
「そう思うのならば、まあ何も言いはしないがね」
「……シアス。今からでも遅くはないわよ?」
「いいや、遅いね」
なんの話、してるんだろ?
「余りにも遅い話だよ、アスタルテ。君のその言葉は、とうの昔に私には届かない」
「……っ、ふん。まあいいわ。望む望まないにしろ、最後には貴方もそうなる決まりなんだから」
「やれやれ。それはなんとも恐ろしいことだ」
「いい? 変な真似はしないことよ。近くにヘスとバアルがいることを忘れないことね。あの子達には、貴方の行動次第では、その時を待たなくてもいいと伝えてあるのだから」
「ああ、勿論。勿論だとも。今ここで私には何もできないと言うことくらい、承知しているさ」
「お話は終わった?」
それじゃあ、早く行こうよ!
「そうだね。では、行こうかヘスティア。君の行きたいところに。私は逆らえないのでね」
「うんっ!」
そして、私達が村を出た直後。
背後で、アスタルテの欠片の力がそこを喰らった。
欠片SIDE大暴れ。
神聖領涙目!