記憶の残骸
「な……ん……だよ、これ……」
その炎を視界に収めた俺は、全力で町に戻った。
そして俺を迎えたのは、魔物の恐怖から解放された町の人々の顔ではなく……一面に広がる、紅蓮の海だった。
地面に、膝をつく。
目の前の光景が現実だと、信じられなかった。
「これは……!」
後から追い付いてきたヌルサが、町の惨状に表情を歪めた。
「隊長!」
炎の中から、部下の一人が現れる。
「これは、どういうこと?」
言葉を失くした俺の代わりに、ヌルサが尋ねた。
「それが……隊長達が向かった方向とは違う方向から、別の魔物の群れが現れて……我々も対抗したのですが、あちらの数が圧倒的に多く……」
つまり、この町は最初から魔物に囲まれてたってわけだ。
そうとも知らず、俺は最初に見つけた一群に気を取られて……。
町を守りたいからと、必死になって……それで、結局馬鹿をした。
戦うべきじゃなかった。
あの時。
最初に魔物の炎を見た時、俺ならどうにか出来ると、そんな過信があったんだ。
なにが、俺なら、だ。
ふざけるな。
握り締めた拳から、血が流れた。
あの時、取るべき選択はもっと別のものだった。
俺はこの町に残って、町の人間の避難を優先させるべきだったんだ。そうすれば、馬鹿な高官に多くの騎士を持って行かれることだってなく、守りに徹することだって出来た。
そうすれば、少なくともこんな早く町が焼かれることはなく、住人が逃げだす余裕だってあった筈なんだ……。
それ以前にも、もっとやるべきことはあった。
それは、リセに聞いた話。近くの町が、魔物の群れに襲われて、壊滅した。
その群れは、きっとこいつらのことだ。
リセに話を聞いた直後に、もっと警戒を強めるべきだった。
なのに……俺は……!
俺は……っ!
「住人の、避難状況は……?」
最も聞きたくないことを、ヌルサが聞く。
それに、一瞬部下は言葉を失い、しかしすぐに毅然と背を伸ばすと、絶望しそうな自分を鼓舞するかのような大きな声で答えた。
「避難誘導中に、横から魔物の群れに襲われ……恐らくは」
「そう……」
ヌルサが、痛々しい表情をする。
ちくしょう……なんて、愚か。
取り返しのつかない過ちだ。
この町には、たくさんの人間がいて……。
俺の弟や妹みたいな孤児がたくさんいて……。
そして……リセが、いたのに。
……リセ。
リセは、どうなったのか。
考えるだけで、身体が震えた。
この惨状で……悲鳴一つすらもはや失せたこの場所で……。
っ――!
気付けば、剣を握り締めて、俺は立ちあがっていた。
ふらりと、一歩を踏み出す。
「隊長……なにを……」
「お前達は、もう逃げろ」
言うと、ヌルサが俺の腕を掴んだ。
「まさか、戦うとか言わないですよね?」
「……それが、どうした」
「無茶です!」
ヌルサの手を、振り払う。
「いいから、さっさと逃げろ」
「逃げるなら隊長も……!」
「俺は……これをどうにかしてから、行くよ」
「どうにか、って……そんなの無理に決まって……!」
「――いいから、行け」
言うと、ヌルサが震えた。
俺の顔は、きっとひどいものだ。
畏怖が、ヌルサと、そして部下の顔に浮かぶ。
ああ、それでいい。
それ以上、俺を止めたりしないでくれ。
そんなことをされたら、俺は剣をお前達に振るわない自信がない。
「……隊長、貴方は……」
そこでヌルサは言葉を切り、僅かばかりの逡巡の後、表情を切り替えた。
そこにいるのは、俺を今まで支えてくれた一人の騎士
「隊長は、これをどうにかすると、仰るのですね?」
「ああ……」
「……私は、それを無謀だと判断します」
「だろうな」
「だから、私は部下を連れて、この戦場から逃げなくてはなりません。神々に仕える騎士達を犬死させるわけには、いかない」
「そうか」
そして……ヌルサが、俺から一歩、距離を置いた。
「……それじゃあ、隊長。また、いつか」
いつか……か。
は。
無謀だなんだ言って、それで俺が生き残ると思ってるんだな、こいつは。
俺は、それに何も返せなかった。
無言の俺から、ヌルサは部下を連れて離れていく。
……炎が燃え盛る音が、耳の奥を削るように響く。
灼熱のなか、家々が崩れ落ちていく。
そこから、俺の目の前に一匹の魔物が現れた。
さっき俺が倒したのと同じか、それ以上の体躯をもつ、巨大な炎の魔物。
対して、俺の剣は一本。
だから、どうした。
気付けば俺は、魔物に跳びかかっていた。
こちらに震われる圧倒的な破壊力を秘めた腕を避けて、それを踏み台に、魔物の首の辺りに跳びかかる。
そして、剣を突き立てた。
硬い感触。
とてもじゃないが、貫けるようなものじゃない。
だけど……それが……。
「それが……どうしたぁああああああああああああああああああああああああああ!」
剣尖が、魔物の咽喉へと埋没した。
無理な力を発揮した腕の骨が、相応以上の威力が込められた剣の刀身が軋みを上げる。
それを無視して、剣を引き抜く。
あとは、もう止まらなかった。
魔物を見つけて、殺す。
殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して――。
気付けば、日が天上に昇っていた。
俺は地面に膝をついて、根元から折れた剣を握っていた。
周りには、山のように積まれた魔物だった肉塊。
町も、森も、残り火と炭だけしか残していない。
ああ……終わったのか。
手から使い物にならない剣が滑り落ちて地面に落ちる。
目の前にあったのは……俺の家の、門の跡だった。
孤児たちが、リセが暮らしたそこは……日常の陰すらも残さず、焼失していた。
人の声は、聞こえない。
自分の意志とは関係なしに、俺の身体は崩れかけた門をくぐろうとして……しかしその直前で、足が止まった。
怖かった。
この先に……今までの思い出がある場所に、踏み込むのが。
現実を突きつけられるようで……自分の罪を責められるようで……。
再び、膝をつく。
焦げた門の支柱によりかかって、ただ、呆然とした。
不意に、記憶が浮かび上がって来る。
小さいことから、ずっと一緒だった、リセとの記憶。
近くの川で遊んだことがある。
木登りはどちらが早いか競ったことがある。
一緒に夜空を見上げて夢を語り合ったことがある。
その嬉しそうな顔も。
その悲しそうな顔も。
その寂しそうな顔も。
なによりも。
いっつも俺の側にあった、笑顔を、思い出す。
胸の奥から、熱いものが込み上げて来た。
全部、覚えてる。
覚えていて……そして、その全てが、もう思い出の中にしかないのだと、思い知る。
全部なくなってしまった。
俺のせいで。
俺が、馬鹿なせいで……。
込み上げてくるものを、もう我慢することは出来なかった。
視界が滲み。
どうしようもないくらい、全身が震えた。
「あ……」
地面に、水滴が落ちる。
「ああ……!」
なにも、なにもない。
なにも……。
「ぁああああああああああああああああああああああああああああ!!」
†
「それで、俺は騎士団にも戻らず、国を出て……で、結局食いつなぐために王国で兵士やってたってわけだ」
ヘイの話が終わって……誰も、口を開かなかった。
誰も、励ましの一つすら、ヘイにかけてやれない。
普段のヘイの気楽な様子からは、想像もできない過去。
俺は……正直、ひどいショックをうけていた。
こんな身近なところにいる人間に、こんな凄惨な過去があったなんて……。
何故だか知らないけれど、それが、とにかくショックだった。
そういうこともあるのだと、思い知らされる。
そして、怖くなった。
もしかしたら、いつか俺もそんな状況を経験するのかもしれない。それを思うと、ひどく、ひどく恐ろしい。
「……ヘイ」
静かに、イリアが口を開く。
「過去にけじめを付けろ。わたしの側近なら、そのくらい出来るだろう」
それが当然であるかのように言われ、ヘイは少しだけ目を丸めた。
少し、その言葉を噛み締めるようにして――。
「もちろんです」
小さく、頷いた。
というわけでヘイ君の過去話はお終い。次回は町跡に向かいます。