後悔の業火
「暇ですね」
「ああ」
屋敷の門によりかかりながら、ヌルサと喋っていた。
時間はすでに夜遅く。町は完全に静寂に包まれている。
「というか隊長に夜の見張りをさせるって、どうなんだよ」
昼間サボってたんだから、と部下に無理矢理この役目を押しつけられたのは、何時間前のことだったろうか。
「むしろそれを言うなら、サボってもないのに隊長に付き合わされる私はどうなのか、と」
ヌルサが地面に突き立てた槍に全体重を預けながら愚痴をこぼす。
「知るか」
「酷い。特別手当を要請します!」
……む。
特別手当、か。
適当に隊長権限で特別手当がつく任務を持ってきて、それやれば金入るか?
……よし、それでいこう。
帰ったら大隊長のご機嫌取ってから相談だな。
「聞いてるんですか隊長ー」
「悪い聞いてない」
「……もういいです。今度ご飯食べる時に本気を出すので」
その時はおごらないと心に固く決めた。
「でも、本当に平和ですね」
ヌルサがぼんやりと町の方に視線を向けた。
「だろう?」
「これなら今回の任務は楽勝ですねー」
「だな。まあ、来ても魔物が数匹とかだろ」
この町の外縁には魔物避けの炎が一定間隔で灯されている。他にも森に棲む魔物が嫌う臭いの花が植えられていたり、罠が設置されていたりと、森の中に町を作るだけあって、魔物への対策はそれなりだ。
……魔物、か。
そういえば、つい最近どこかで魔物の話を聞いたような……。
ああ、そうか。
リセだ。
昼間、リセに近くの村が魔物に襲われて壊滅したという話を聞いたんだ。
物騒だな。
新種の魔物でも出たのだろうか。
「どーしたんです、隊長。そんな難しい顔して」
「いや……なんでもない」
まあ余計な警戒をしても気疲れするばかりだ。
今は、そういうまさかの事態に備えて最低限の警戒をして、その時にすぐにでも対応できるようにすれば――。
刹那。
森の一角が、爆発した。
轟音とともに紅蓮の炎が、木々を粉々にして空高くまで叩き上げる。
な――。
驚きながらも、俺の身体に染み付いた騎士の習性は冷静に指示を下していた。
「ヌルサ! 全員叩き起こせ!」
「了解!」
この時ばかりは普段呑気なヌルサの声も厳しい。
「それと、半数はお偉いさんの護衛! さらに何人かには町の人間の避難を指示しろ!」
「隊長は?」
「俺は先行する」
「――危険です」
「分かってるさ」
だが、こうしている今の森の異変は続いていた。
森で、次々に新しい爆発が起こる。
その爆発は、徐々に町の方へときている。
このまま放置できるわけもなかった。
この町には、守んなきゃならないものがあるんだ……!
俺はヌルサの忠告を無視して、森の中へと飛び込んだ。
†
爆発に近づくにつれて、その被害の深刻さが分かってきた、
森が、燃えている。
さっきの爆発のせいではない。
俺の目の前にいる、背中から炎を噴出させる熊みたいな魔物のせいだ。
それも一匹や二匹ではない。十匹以上の群れ。
っ……。
背後から攻撃するのは無理。
だったら、真正面からいけばいい――!
身を低くして、木々の隙間を縫うように駆け抜けるL
そして、森の陰からまず最初の一匹に襲いかかかる。俺に反応することもなく、そいつは右目を貫かれて絶命。
さらに二匹目の咽喉を先、三匹目に腹を縦に割る。
そこでようやく、他のやつらが俺に気付いて、悲鳴じみた声をあげた。
四匹目が俺に腕を振るってくる。
それをくぐる様によけて、肘の下から剣を潜りこませ、腕を斬りあげる。と、背後に嫌な予感を感じて、咄嗟に右に全力で飛ぶ。
遅れて、灼熱が俺のいたところを吹き飛ばした。
当然、俺が相対していた魔物は全身を焼かれ悶えている。どうやら背中以外は炎も効くらしいな。
にしても、味方がいるのも無視して攻撃してくるのかよ……。
炎を放ってきた五匹目の脇に飛び込むと同時、脚を斬りつける。それによって魔物の身体が傾き、その隙をついて首にもう片方の剣を突き立てる。
剣を引き抜くと、耳元に風を斬る音。
首を曲げる。紙一重のところを、魔物の爪が掠めた。
さらにもう一匹が俺の胴に腕を振るってくる。
高く跳んで、その攻撃を回避。先に攻撃してきた方の魔物の顔面を空中で切り裂く。が、致命傷ではない。
とりあえず苦悶の声をあげているそっちは一旦無視して、もう片方の魔物の心臓に剣を突き立てる。
そして、振り向きざまに顔を刻まれたやつの心臓にも剣を立てた。
引き抜き、飛び退く。
近くの樹の幹を蹴って、その勢いで木の枝に上る。
あと、四匹――。
俺は狙いをつけると、樹の枝から飛んだ。
一番近くにいた魔物の頭の上に、着地する。俺の全体重と衝撃で、魔物の首が嫌な音とともに折れ曲がった。
さらにそこからもう一匹、魔物の口の中に剣を刺しこむ。
よし――あと二匹……!
その瞬間。
目の前の光景が吹き飛んだ。
っ……!
衝撃によって、身体が吹き飛ばされる。
近くの樹に背中を打ちつけた。
「っ……かは」
視界が白濁する。
気絶しそうになるのをどうにか堪えて、俺はいったい何が合ったのかを確認するために、視線をそちらに向け……絶句した。
そこにあった木々が消え、地面が大きく抉れていた。魔物の姿もなく、ただ傷跡に炎が揺れている。
これは……。
次いで、地面が振動した。
なん、だ……?
そして現れたのは……やはり、あの魔物だった。
だが……、
「なん……っ!?」
大きい。
さっきまで俺が空いてをしていたものの三倍、いや四倍はあるだろうか。
さらに身体を覆う毛が、まるで金属のような光沢を持っている。
明らかに、 別格だった。
そいつの目が、俺を見下ろした。
本能的に、俺は後ろへと飛んでいた。
魔物の腕が、木々ごと俺を薙ぎ払わんと振るわれる。
その爪が、俺の鼻先を通り過ぎた。
全身に嫌な汗が噴き出す。
速い……!
大きいだけじゃ、ないのかよ。
ふざけんな。
悪態をつきながら、俺は前に飛び出していた。
退くわけにはいかない。
町の人間の避難だって、すぐに終わるわけじゃない。今の今まで眠っていたんだ。少しでもこいつはここで足止め――いや、出来ることならば倒してしまわなくては。
俺の剣が巨大な魔物の胴に叩き込まれ……弾かれた。
硬……!
こんなの、俺の剣だけじゃ……。
「隊長。しゃがんでください」
その声が聞こえたと同時、俺は身を屈めていた。
頭の上を、風を巻きこみながら巨大な槍が奮われた。
剛槍の刃が、魔物の体毛を削り、僅かに血が噴き出す。
「あー、なんですかこの硬さ。びっくりしますよ」
魔物はそれを意に介さず、俺へと腕を振りおろしてきた。
それを回避して、俺はそいつ――ヌルサの横に移動した。
「お前だけか?」
「高官殿が警護に無理矢理ほとんどの騎士を持って行ってしまいまして。残りも町で住民の避難に動いてます」
騎士のほとんど……くそ。他の人間の事を考えるつもりはないってことか。
流石は下種なお偉いさんだよ。
「……そうか」
まあ……とりあえず、避難が進んでるならいい。
「こいつ、やれると思うか?」
「無理です」
「即答かよ」
苦笑し、俺は再び振るわれた腕を避けた。
「けど、そんな弱音は認めない」
「なら聞かないでくださいよ」
剛槍が魔物の腕を殴りつける。
だが、やはり決定的なものはない。
これは……多少の無茶をしなきゃならないか。
「どーするんですか?」
「……次あいつが腕を振ったら、縫いつけられるか?」
「あー……了解です。きっちり仕留めてくださいよ?」
その返事を確認して、俺は飛び出した。
魔物が俺に狙いをつけて、腕を振り下ろす。
それを、左に跳んで避ける。
「ヌルサ!」
「はいはーい」
気付けば、あいつの身体は空高くを舞っていた。
剛槍を頭上に構え、そのまま魔物の手の上へと落下する。
その勢いと、そして全身のしなりによって突き出される槍の穂先。
一点のみに集中したその威力によって、魔物の手が貫かれ、槍はそれを地面へと縫いつけた。
魔物がここにきて初めて叫ぶ。
鼓膜が破れるんじゃないかというくらいの音の中、俺は地面に縫い付けられた腕を駆けのぼり、肩を駆け、そのまま魔物の顔面へとたどり着いた。
魔物の二つの眼球を斬りつける。
ぐちゃ、という感触。
魔物の叫びがさらに大きくなる。
無事な方の腕が、俺目がけて振るわれる。それを跳んで避けると、腕はそのまま魔物自身の顔面を殴りつけた。
魔物の身体が傾き、そして後ろに倒れる。
地面が激しく上下した。
「っ、おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
宙に身体を投げ出していた俺は、左の剣を眼下に倒れた魔物の潰れた眼に投擲した。
勢いよく剣が根元まで沈んだ。
さらに、右の剣を投擲する。
僅かなズレも許されない。全身全霊を込める。
空を裂いて、剣がぶつかった。
先に投擲され、潰れた眼球に沈んでいた剣の柄尻に。
剣が、さらに深く沈みこんだ。
そして、最後。
俺の脚が、後に投げた剣を柄尻を叩き、それはそのまま先に投げた剣を、魔物の頭蓋の奥深くまで潜り込ませた。
やったか……!?
一瞬の静寂。
魔物の腕が……地面に沈んだ。
動きはない。
「……隊長はバケモノですか」
ヌルサがいっそ呆れたと言わんばかりに肩をすくめて、槍を魔物から抜いた。
人をバケモノよばわりかよ。
思いながら、俺は魔物の眼球に手を突っ込んで、剣を引き抜いた。
……奥に潜り込んだ方の剣は、回収できないな。
そっちは諦めるしかないか。
くそ……。
手にこびりついた何かわからない体液や血液を振り払い、剣を鞘に収める。
「だけどまあ、これで――」
その光景を、俺は永遠に忘れない。
自分の愚かさが、憎い。
何故俺は、こんなにも浅慮だったのだろう。
もっと他にやるべきことが合った筈なのに。
調子に乗っていたんだ。
騎士団でも随一の剣士とか、最年少隊長とか、そんな風に持ち上げられて……本当に、馬鹿だった。
それが、こんな結末をもたらした。
気付けば。
町の方で、巨大な火柱が幾つも立った。
本当はもっとドロドロな展開にしたかったんだけど……ごめん。これが作者の限界だった。
……うーあー。