背中
「……っ」
鈍い痛みに、意識が覚醒する。
ここは……。
鼻腔を、草木の匂いが満たす。
……ああ、そうだ。俺はフォルの父親に必要な薬草を取りにきて……っ!
「フォルっ!」
慌てて身体を起こす――ことはできなかった。
俺の身体の上に、フォルの身体があったからだ。
身体中泥だらけだが、目立った怪我はない。
目は開いてないが息もちゃんとしている。気絶しているだけだ。
……とりあえずは、安堵する。
そこで、右肩にまた、鈍い痛み。
っ……。
やば……変に捻ったか?
動かせないほどじゃないが、動きは否応なしに鈍るだろう。
……っ、そうだ!
そういえば、さっきの魔物は……というか、俺はいったいどれくらい気絶していたんだ。
空を見上げる。
太陽の位置からして、どうやら俺が気絶していたのは意外なことに数十秒程度だったらしい。
……そりゃそうか。こんなところで呑気に気絶していたら普通に魔物の餌食になってる。
すぐに目が覚めたのは幸いだな。
しかし、これで安心しきるわけにはいかない。
さっきの魔物だっているのだ。
いつまた襲われるか……今この瞬間だってどこからこっちの様子をうかがっているか知れない。
「フォル、おい、フォル」
「ん……」
フォルの身体を揺さぶる。
彼女はゆっくりと目を開き、そして俺の顔を間近から見つめた、
「……え?」
その疑問顔が、徐々に赤くなっていく。
「ヘ、ヘイ……さん?」
「お、おう」
思わず俺まで言葉にどもる。
「こ、これ……あれ、なんで私ヘイさんの上に……!?」
どうやら状況が飲み込めていないらしい。
「とりあえず、どいてくれるとありがたい」
苦笑しながら言うと、フォルが慌てて身体を起こそうとして……、
「っ、ぁ……!」
崩れ落ちた彼女の身体を、慌てて支える。
「どうした?」
「いえ……足が……」
言われて、フォルの足首をみる。
……左の足首が、ひどくはれ上がっていた。
これは……下手したら骨にひびぐらいは入っているかもしれない。
「そっか……私、あそこから落ちたんですね」
フォルが、後ろの段差を見上げて言う。
高さは四メートルほど。あの上から俺達は転がり落ちて来たのだ。
「っ、そうだ! ヘイさん、私を庇って……!」
俺は、あの時どうにか空中でフォルの身体を抱き留めることが間に在った。
どうやら、そのあとの落下の衝撃で気を失ったらしい。
……しかし、格好がつかない。
「悪い、結局怪我させちまったな……」
結局守り切れなかったしな。
「あ、いえ。それは不注意だった私が悪いんです。それよりも、ヘイさんはお怪我は?」
「ん、まあ大した怪我はないよ」
実際、こんな肩の痛み、どうにでもなる。
「あの、もしよかったらこれ。痛み止めですから」
フォルが軟膏の入った小瓶を取り出す。
「ん、そうか? じゃ、ありがたく。お前もつけとけよ?」
「はい」
指先で軟膏を掬い取って、肩に塗っておく。
フォルも自分の足首に塗り終わってる。
「いくら痛み止めを塗ったからって、フォルはそんなんじゃ歩けないだろ?」
「……すみません」
「ああ、いや。いいんだ」
慌てて首を振る。
さて……これからどうするかな。
とりあえずは、
「……それじゃ、ほら」
俺はフォルに背中を向けて、しゃがみこんだ。
「え……?」
「一人じゃ歩けないんだから、こうするしかないだろ?」
「え……で、でも……」
「でも、じゃない。さっさとしろ」
少しだけ強く言うと、フォルはそれ以上何も言わなかった。
今は、ゆっくりしていられる場面でもないんだ。
「それじゃあ……失礼します」
フォルの驚くくらいに軽い体重が背中にかかる。
これくらいなら、苦もなく背負えるな。
「よっ、と」
立ち上がる。
「それじゃ、さっさと薬草みつけて帰らないとな」
「はい」
そんなことを言っていると、背後で草むらの動く音。
……あ。
なんとなく、嫌な予感がして、右に跳ぶ。
直後、俺のいた場所を黒い影が引き裂いた。
冷や汗が出てくる。
危なかった……あと一瞬遅かったらどうなっていたか……。
俺は、その影を改めて見つめ直した。
それは、四足の獣。
細く、鋭く、そして強靭な体躯からは大きな威圧感が発せられ、鋭い牙の隙間からは心臓を握りつぶされるような唸り声。
明らかに、先程までの植物の魔物とは存在を画する魔物だった。
「ヘイ、さん……」
「フォル、しっかりつかまってろ」
俺の首に回されたフォルの腕に力がこもる。少しだけ息苦しいけれど、今はそんなこと言っている場合じゃない。
獣の魔物が、こちらに向かって飛び出してくる。
俺は左手で剣を抜くと、その刃を下から魔物の顎目がけて振り上げる。
それを察知した魔物は、突如として進行方向を変え、草むらの中へと消えた。
……あの速度で突っ込んで来たって言うのに直角に方向転換するなんて、なんて出鱈目な動きだよ。
草むらの向こうで、なにかが動く気配だけが伝わってくる。
……ここじゃ、まずいな。
せめて、もう少し開けた場所じゃないと。ここは、多分あの魔物のテリトリーだ。
「……振り落とされるなよ」
フォルに小さく告げて、俺は……走り出した。
†
ヘイさんが獣道を左手の剣で切り開きながら走る。
周りからは、がさがさ、という草むらの揺れる音。
さっきの、魔物……?
背筋が冷たくなった。
どうしよう。
私達、もしかしてこのまま……。
「大丈夫だ」
不意に、ヘイさんがそう言った。
私が不安になっていることを感じて、声をかけてくれたらしい。
「……はい」
と、その時。
草むらから魔物が飛び出してくる。
「っ――!」
それに対して、ヘイさんが剣を振るう。
けれど魔物はそれを見ると、咄嗟に草むらへと戻ってしまう。
「厄介、な……!」
ヘイさんの呼吸は、酷く荒れていた。
当然だ。
私を背負って走っているのに、それで疲れないわけがない。
「ヘイさん……」
耐えきれなくなって、私は口を開く。
「なんだ?」
「もう、私はここに置いて行って下さい」
「……なんだと?」
これ以上、ヘイさんに迷惑はかけられない。
ここにきたのだって、元はお父さんの薬草を採る為。
これ以上は、もう……。
「このままじゃ、ヘイさんまで……私が足手まといだから……!」
「……ふざけんな。誰がそんなことできるか」
少し鋭い声で、ヘイさんが言う。
でも、やっぱり駄目だ。
「あの……きっと、大丈夫です! 私なんてきっと魔物も食べたがらないです! だから、ヘイさんは一人で町まで戻って、それで助けを呼んできてくれれば……!」
「だから、ふざけんなっ!」
ヘイさんの怒号に、息を呑む。
「誰が置いて行くか! 俺はな、もう同じ間違いは二度としないって決めたんだ! だから、もう二度と誰かを見捨てたりしない! お前を置き去りにするくらいなら俺はこの森の魔物を片っ端から殺してやる!」
そんなことを叫んで、ヘイさん走る速度を、更に早めた。
「いいか、フォル。二度とそんなこと言うな! 守ってやるから、それくらいのことしてみせるから、ふざけた弱音とか、自己犠牲の小奇麗な精神とか、そんなのはいらないぞ!」
有無を言わせないその言葉に、なんだか無性に泣きたくなった。
ああ。
この人は、なんて強いんだろう……。
それなのに私は……。
ヘイさんにしがみつく力を、強める。
その体温が、伝わってくる。
とても温かかった。
「はい……」
「それでいい!」
と。
刹那。
視界が、開けた。
んー。今後の展開について作者は苦悩中ですよ。