魔物の森
「ここか……」
「はい」
町から歩いて一時間。
ついたのは……まあ、なんというか、型どおりだなあ。
目の前にあったのは、これぞ魔物の住処、と言わんばかりの暗い雰囲気の森。
森の中から、黒い鳥の群れが一斉に飛び立った。ひどく不吉で不気味だ。
隣のフォルが俺の服の裾を掴んだ。
「あ、あの……本当に、行くんですよね?」
「ああ。ここまで来て引き返すなんてつもりはないけど……やっぱりフォルは帰った方がいいんじゃないか?」
「い、いえっ!」
俺の言葉にフォルが首を横に振るう。
「頑張ります」
頑張るって、なにを?
思ったけれど、口には出さなかった。
「そんじゃ、行くか」
腰の後ろにかかる剣の重みを改めて再確認しながら、俺は一歩踏み出した。
「はい……っ」
森の中の、すこし湿った空気が身体を包みこむ。
……出来れば魔物なんて出てきませんように。
†
……焼き菓子片手に歩きながら、ぼんやりと考える。
ライスケのこと。
正確に言えば、ライスケを取り囲む何か。
そもそも、何故これまで疑問に思わなかったのか。
世界を喰らうような力を持った人間が、どうしてこの世界へとやってきた?
神として、私は何故その力を危険視しなかった?
いくら私でも、自分の役割と趣味の区切りは出来ている、という自負がある。
ライスケを危険分子として判断するのが、私の役割だった筈。
ライスケと一緒に行けば面白そうだからとついてくるのが、私の趣味だった筈。
この場合、私は前者を選択すべきではなかったのか?
……いいや。
もっと恐ろしい考えが、浮かぶ。
そもそも――。
私は、本当に趣味でライスケについてきたのか?
これは、私の意思なのだろうか?
ライスケの側にいること、それは、果たして私の選択か?
まさかこんなことを考えるだなんて、思いもしなかった。
神であるが故の懸念。
――私はもしかしたら、世界によって知らぬ間に意識を操られているのでは?
神とは世界の末端器官。
であれば、神の意識を、本人すら知らぬ間に操るのも不可能ではない。
私がライスケとここまで来たのは、世界の操作?
は……。
少しだけ、背筋が冷たくなる。
つまり、それはどういうことなのか。
世界はライスケを監視するために、私を使ったのではないのか?
だとすれば、最初の問いに戻る。
ライスケとは、何者なのか。
それを考えさせられた切っ掛けは、メルの故郷でのこと。
あの、古代の悪魔が消し去った町跡に存在した抉れ。それと同じようなものが、あの町で、気絶していたライスケの周りにあった。
ライスケが気絶、というだけでも異常なのに……その上、古代の悪魔。
古代の悪魔の正体は、神ですら知らない。
それが故意が偶然かは分からないが、古代の悪魔は神がその姿を拝む前にすでに姿を消してしまうのだ。
世界の調整者である神が見つけられないと言うのだから、おかしな話だ。
それだけでも異常性は高いというのに、続いて世界を喰らうだなんて人間。
これらが結びついて、なにも考えない方がどうかしている。
――世界よ。
貴方は、一体私に何を望んでいるのか。
一体ライスケがどうしたというのですか。
あんな、巨大な力に押しつぶされそうな哀れな少年は、貴方にとって何なのですか?
声は、決して世界には届かない。
†
森の中に踏み入れて少し経つと……出ましたよ、魔物。
なんて言うか……こう……とりあえず気持ち悪い。
巨大な食虫植物にクラゲを足したような感じ、って言えば分かるかな。分からないか。
特徴を一つずつあげるとすれば……。
とんでもなく太い茎がある。人なんて丸飲みに出来そうな巨大な口が、大きな花弁の真ん中に開いている。根っこにあたる部分は半透明で大量に枝分かれしていて、しかも地中から露出し、うねうねと蠢いている。茎からは二本、巨大な葉っぱが直接出ていて、それはなんだか鳥の羽のようにばたなたと振り回される。
「ひっ……」
その姿を見つけたフォルが、小さな悲鳴をあげる。
「ヘ、ヘイさん、逃げましょう……」
「いや、まあ俺も逃げたいところだけど……生理的嫌悪って面で。でもま、薬草はこの先だっていうからさっさと片付けちまおう」
言うや、俺は剣を抜き放ち、魔物に跳び出した。
透明な根が触手となって、こちらに伸びてくる。
それらをまとめて切断、手を伸ばせば茎に触れられるほどの距離まで近づく。
左右から、巨大な葉が俺を挟みこむように迫ってくる。
それを後ろに宙返りしながら跳ぶことで回避。すかさず、閉じた二枚の葉を根元から切断する。
花弁にある口から嫌な悲鳴があがる。
これだけで悪夢何回分にも掃討するような、そんな音だ。
それ以上悲鳴を聞くのが耐えられなくて、俺は左手の剣を魔物の口の中へと投擲した。
投げられた剣の刀身が、綺麗に大口のど真ん中を貫いた。花弁の裏側から緑色の粘液に塗れた刃が突き出す。
それで魔物の悲鳴はくぐもり、消える。
だがまだ死んではいないようで、触手は蠢いたままだ。
「とどめだっ……!」
地面を踏みしめて、蹴る。
全速力で跳び出した俺の前に触手が立ちふさがるが、俺はそれを一薙ぎ。それでも触手を全て切り払うことは出来ず、残った触手が襲いかかってくる。
「ヘイさ――!」
フォルの声。
俺がやられる、と思ったのだろう。
でもそんなことはない。
俺は目の前から鞭のように向かってくる触手を、身体を倒して地面を滑ることで回避、さらに上から叩き下ろされる一撃を剣で受け流し、すかさず身体を起こして、触手を避けながら、魔物の目の前に肉薄した。
そのまま、横薙ぎに一閃。
魔物の首に当たるであろう花弁の付け根を切りおろした。
さらに、花弁の中央に突き刺さった剣の柄を掴み、そのまま横に切り裂くように取る。
ぼとり、と。
魔物の死体が地面に崩れた。
……剣についた緑の粘液を、二度三度振るうことで払い取る。
そのまま、鞘に収めた。
姫様の鍛錬にいっつも半強制的に付き合わされているせいだろうか。
身体の動きは、それこそ全盛期並みの勘を取り戻している気がした。
手を握って、開いて、また握ってみる。
……まあ、どうでもいいか。
と、
「す、すごいです……!」
フォルが駆け寄ってきた。
「ヘイさんって、とても強いんですね」
強い、か。
思わず苦笑してしまう。
「いやいや、俺なんてまだまだだよ」
ほんと、俺は全然強いだなんて言えない。
だって考えても見ろ。
俺のまわりの面子を。
……俺より弱いのって、メルだけじゃね?
なんか考えたら悲しくなった。
普通の女の子の次に弱いって……俺って一体……。いや、まあ周りが皆化物すぎるだけなんだけどね。
「……そう、なんですか?」
「ああ。それより、速く先に行こうぜ。日が暮れたら面倒だ」
「あ、はい」
再び、歩き出した。
†
「そうか。明日には発つか」
「うん。いつまでも帝国には、いられないし」
ソフィアが、寂しそうな顔をした。
「そんな顔をするな。わたしと離れるのがそんなに嫌か?」
「……うん」
意外にも素直な言葉に、ちょっと面くらう。
「やっぱり、お姉ちゃんと話すのは楽しいな……」
「……そうか」
思えば、この子も辛い思いをしているのだろう。
王族なんて、綺麗事ばかりじゃない。
覇権争いに巻き込まれ、他者からは妬まれ、大衆からは持てはやされ……時に命すら狙われる。
もともと性根の気弱な妹だ。
それがどれだけの負担になっていることか……。
「敢えて言おう、ソフィア」
ソフィアを、優しく撫でる。
「今でもお前は十分に頑張っているだろう。だが、まだ頑張れ」
その小さな肩が、少し強張った。
「どこまで、頑張ればいいのかな?」
「どこまでも。国を担う者の一人として、お前に限度など用意されていない。粉骨砕身、その精神の最後の一欠けらが朽ちるまで、お前は頑張り続けなければならない。それが……王族だ」
自分でいいながら、馬鹿馬鹿しかった。
誰よりもその王族としての役割を果たせていないわたしが、よく言うものだ、と。
「人に言うのは、簡単だよ」
「そうだな。だから言っている」
にやり、と笑って見せる。
「だが、言うのは出来ると信じているからだ。お前は誰の妹だ? わたしの妹だろう? なら、お前にやろうと思って出来ないことなど、どこにもあるわけがない」
「……遠まわしに、自分は凄いんだぞ、って言ってる?」
「さて、どうだろうな」
どちらからでもなく、笑いだす。
「まったく、お姉ちゃんは……凄いなあ」
なんだ、そんなこと。
「当然だろう」
なにせ私は、お前の姉だぞ。
サブタイトルに五分くらい悩んじまったぜ。