その名前
「メル、本当に何も買わなくていいのか?」
前を歩くメルに尋ねる。
メルはさっきから、いろいろな店に入るものの、そこにある商品を見るだけで、それを買おうとはしない。
さっきだって宝石を扱っていた店でいろいろなものを綺麗だと言っていたのに、結局最後まで触れることすらしなかった。
「はい。見ているだけでも楽しいですし、それに、私にはこれがありますから」
行ってメルが指先でいじったのは、いつか俺が買ったあの髪飾り。
「でも、ほら。新しいものとか欲しがってもいいんだぞ?」
なんとなく、女の子ってのは新しいもの新しいものって、欲しがりなイメージがあるんだけど……。
「いいえ。いいんです。私はこれだけあればもう」
けれど、メルはそうではないらしい。
気に入って、もらえたってことなのだろうか。
だとしたらいいんだけど。
「そうか……そういえば、そろそろ昼飯時だな」
「あ、そうですね。どこかで食べましょうか」
「そうだな」
二人で食事処を探す。
と……それとは違うが、思いもしなかったものを見つけた。
……あれは。
「ライスケさん、あれ……」
メルも、俺と同じく見つけたらしい。
……ヘイだ。
しかも一人ではない。
誰かはしらないが、メルと同い年くらいの女の子と一緒に歩いている。
――なんだか楽しそうに。
「ヘイのやつ……なにしてんだ?」
二日酔いで寝込んでると思ったんだが、もう直ったのか?
……まあ、いいか。
とりあえず話しかけようかな、と思って一歩踏み出したところで、服の裾をメルに掴まれた。
「ん、どうかしたか?」
「ライスケさん、お邪魔しては悪いですよ」
邪魔?
……って、ああ。
「あれって、そういうことなのか?」
へえ。
ヘイって、年下趣味だったんだな。
†
「……あんた…………」
――いや、違う。
まさか、そんなわけがあるか?
あいつはもうとっくに……だから、目の前にいる少女が、いくら似ていても、あいつなわけがない。
そうだ。
違うんだ……違う。
「あ、あの、助けていただいてありがとうございます!」
と、少女がいきなり頭を下げてきた。
は……?
ありがとうって、なんだ?
覚えのない感謝に、少し困惑する。
そして、地面に転がる男が見えた。
……ああ。
そういえば、なんだかこの子にからんでる男を殴り飛ばした気もする。
それでか。
……うわ。そのこと思い出したら、一緒に二日酔いまで戻ってきた。
「ぉおう……」
身体を動かしたせいか、心なしか二日酔いは若干悪化している気がした。
……というか、ほんと二日酔いしつこい。俺どんだけ昨日飲んだんだ。
頭痛に頭を押さえながら、軽くよろめく。
「……どうかしましたか?」
そんな俺に、心配そうな女の子の声がかかる。
「いや……ただの二日酔い……訂正、ひどい二日酔いだ」
もう駄目だ。
昼飯なんてどうでもいい。帰って寝よう。
そう思った俺を、女の子が止めた。
「あの、それでしたら……これ、どうぞ」
女の子が、腰につけていた小箱から小さな瓶を取り出した。
「なんだ、これ?」
「二日酔いの水薬です。私の父が薬剤師で、こういうのを売って生計を立てているんです」
朗らかに言う女の子。
……そんな顔をされたら、受け取らないわけにもいかない。
「んー、じゃ、ありがたく」
それを受け取って、瓶の蓋をあける。
中は、緑っぽい感じの、軽くどろりとした液体。
……正直毒々しい。
「……おいしい?」
「それは……ええっと……良薬は口に苦し、といいますか……」
あ、うん。もう分かったからいいや。
「……よし」
こうなったらどうにでもなれだ。
既に酷い頭痛に襲われてるんだ。今更別の刺激が増えたところでどうってことない。
そう覚悟して、俺は小瓶の中身を一気に煽った。
……あ、別にたいしたことな――!!?
視界がぐらりとした。
に……に……苦ぁっ!?
どうやったらこんな苦いもん作れるんだ、と思う位に苦い!
うっわ、苦い!
やばい、やばいってこの苦さ。
舌が腐る!
「あ、あの……大丈夫、ですか?」
「……!」
強がって「大丈夫」と弱々しく手をあげる。
……くっ、おおぅ。
やっと口の中の苦みが弱まってきた。
……おおぅ?
……おーぅ。
……ぉおおおおう!?
そして気付いた。
二日酔いの頭痛が、消えていることに。
「……効くな、この薬」
空になった小瓶を見て、思わず呟く。
それを聞いた女の子が、笑顔になった。
「お父さんのお薬はすごいんですよ」
「ああ、すごいな」
効果もだけど、なにより味も。
こんな苦み、なかなか出せるもんじゃない。やるなこの子の父親。
「あ、そうだ。この薬、いくら?」
「お代は結構です。助けてもらったお礼ですから」
「……そうか?」
それなら、ありがたく甘えるとするか。
「それじゃあ、私はもう帰らなくちゃいけないので。本当に、ありがとうございました」
「あ、うん」
言って、女の子が歩き出す。
……にしても。
本当に、似てるな。
あいつに。
…………そんなことを、考えてしまったからだろうか。
「あのさ」
俺は、女の子に声をかけていた。
女の子が振り返る。
「またああいう馬鹿にからまれたらあれだし、家まで送るよ」
気付けば、俺はそんなことを口にしていた。
「……いいんですか?」
きょとん、と。女の子が目を丸める。
「ああ」
少し逡巡したあと、
「それじゃあ、お願いします。あの、私……フォルといいます」
「フォルか……俺は、」
そこで、言葉が詰まった。
……今俺、普通に「ヘイ」って自己紹介しそうになった。
ヘイって偽名、偽名だろ。なんで普通に自己紹介で使おうとしちゃってるんだ俺。
俺の本名は――……、いや。
「俺は、ヘイだ」
なんだか目の前の少女に俺の本当の名前を教えることは、出来なかった。
あいつに似たその顔の前でこの名前を口にするのは……なんだか、気が引けたんだ。
†
流石は国の中心だな。
こんな状勢でも、なかなか栄えている。
そんなことを考えながら、街並みを眺める。
「……戦争、か」
本格的に帝国と神聖領が戦争を始めれば、帝都と言えどもこんな活気を出すことは出来まい。
……戦争なんてもの、なくなれば一番なのだがな。
そうは思うものの……それは無理だろうと、理解もしている。
人がいる以上、争いは起こる。
それは世の条理だ。
よしんばこの大陸の国同士が親しくしても、そうなればまた、他の大陸からでも戦火が飛び込んでくるだろう。
そういう流れがあるからこそ、人は日々切磋琢磨し、国を、己を鍛える。
それでも……やはり戦争で民が苦しめられるのは、なんだか納得できない。
……言っては何だが、帝国や神聖領に生まれなくてよかったと、そう思うよ。
王国は、平和でいい。
本当に、魔物には悩まされても、人の争いは少ないから。
あの国の大切さを、改めて噛み締めた。
そんなことを思い、知らずの間に笑んでいる。
刹那。
――助けて、お姉ちゃん!――。
そんな声が、脳裏に響いた。
それに気付いた瞬間、わたしは近くの路地裏に駆けこんでいた。
「今の声……ソフィアか……!」
どんな理由であの子の声が聞こえたかなど、考えることはしない。
言うなれば、姉妹の絆だ。
ソフィアの身に何かあったのか……?
それを考えるより早く、わたしは人目のない路地裏から、帝都中心にそびえる城に向けて魔術の補助による大跳躍をした。姿は、誰からも認識できないように同じく魔術で消しておく。
ソフィアの声は……!
直感的に、城のバルコニーの一つに視線を向けた。
あそこか……!
風が、後ろからわたしの身体を押した。加速する。
そのまま、一直線にわたしはそのバルコニーへと飛びこみ、
「……む?」
「あ……」
そこで手を組んで祈る様な形をとっていたソフィアと視線があった。
「…………」
その身体は、身に纏うドレスにすら汚れ一つない。
……まさか……。
「それじゃ、ソフィア。姉はもう行く――」
「まあ待って下さい、お姉ちゃん」
気付き、逃げようとした時には遅い。
ソフィアの細い手が私の肩を驚くくらいの力で掴んでいた。
「お姉ちゃんは昔からそうでしたよね。私が強く思うと、近くにいればすぐに駆けつけてくれる」
「……そうだな」
そういえば、昔にも何度かこういうことがあった。
なんだかソフィアに呼ばれたかと思うと、身体が自然とソフィアのところへと向かってしまうのだ。
「姉妹の絆を罠に使うのは、姉としてはどうかと思うわけなのだが……」
つまり、そういうこと。
ソフィアは、別にどんな危険にもさらされていなかった。
ソフィアは、ただ私を呼ぶために、私に助けを願ったのだ。
……いつから我が妹はこんな汚くなってしまったのだろう。姉、悲しい。
絆って、もっと尊くて美しいものなのかと思っていた。
「というか、何故わたしが帝都にいることが……」
「なんとなく、です」
……そうか。
まあわたしがなんとなくソフィアが近くにいるのを感じられるように、逆もまた然り、ということだろう。
「それで……一応聞くが、なんの用だ?」
「あれ、そんなことも分からないんですか?」
にっこり、と。ソフィアが笑んだ。
「もちろん、お説教です。クルーミュではよくも逃げてくれましたね、とか。なんで帝国にきてるんですか馬鹿なんですか、とか。いろいろと」
「それ、姉に対する言葉使いじゃないぞ……」
「姉らしい態度をとらない人に使う言葉使いなんてぞんざいでいいんですよ」
……ああ。本当に。
わたしの妹を穢したのは誰だっ?
もしかして……わたしか!?
さて……ヘイ君イベント進行中。