感謝のしるし
正直、上手くいくかどうかなんて分からない。
けど、今思いつくのはそれくらいしかないし……あとは、イリアがどこまでやってくれるか、だな。
俺は異形の攻撃を避けながら、地面に膝をついて集中するイリアを見た。
†
目にも留まらぬ、というのはこれを差すのか。
ライスケは、まさにそれそのもので、異形達の攻撃を避け、さらに連中がわたしの方にこないように牽制をしていた。
やはり……強い。
素手で天の魔剣を掴んでなんともないだけのことはある。
……と、感心している場合ではなかったな。
わたしは、地面に魔力を送り込む。
ライスケの要求は、なかなかに無茶苦茶なものだった。
だが、同時になるほどとも思った。
それならば、塵一つすらも残さぬだろうと。
なにせ、あれは……。
――余計な思考はやめるか。
今は、とにかく地面の下に集中しよう。
時間は少ない。
†
……一体、なんのつもりてあいつらは、こんなことを。
避けながら、考える。
相手が誰かは分からない。
ティレシアスか、ヘスティアか……それとも考えたくもないが、あの二人以外の誰かか。
とにかく、俺と同じ――いや、それ以上の力を持っているであろう者達。
けれど……一つだけ。
そいつらが恐ろしいと言うことだけは分かる。
終わりの始まりなんてものを望む時点で、大分どうかしている。
けれど、それよりも今。
目の前にいる、呻き声以外を発しない異形。
これらの元がたった一人だったなんて、俺にはとても信じられない。
例えその人間が暗殺者であっても、これは……あんまりにも、惨い。
いくらなんでも、こんな風にされていいわけがないのに。
どんな人でなしだって、せめて人として死ぬ権利くらいはある筈だ。
なのに……この異形は、もう人としての人格が残っているかすら疑わしい。
……こんなものを生み出すやつが、まともなわけがないんだ。
イリアは、相手を強力な魔術師と言った。
もしも相手が俺と同じ条件でこの世界に飛ばされたとすれば、そいつもまた、魔術なんてものは使えなかった筈。
だとすれば、イリアに強力な相手だと警戒されるほどの魔術師になる為に、これまでどれだけの魔術師を殺し、喰らって来たのか。
それだけでも、きっと百は下らない。
何百年以上も生きているならば、千に届いても不思議はないだろう。
あるいは、さらに俺の想像の上を行くだけ喰らっているのかもしれない。
けど、結局差すところは同じ。
喰らうなんてことは、とても恐ろしい事なのに。
自分の内側に、自分以外が流れ込んでくる感触。それらが、内側で俺を怨嗟する、その恐怖。
命なんて、喰らいたくない。
俺は、そう思ったんだ。
けれど……この相手は、むしろすすんで人を喰らっているとしか思えない。
でなければ、これほどおぞましい力なんて、生まれはしない。
なにを考えているのか。
なにを思っているのか。
何一つとして、俺には分からなかった。
でも……俺の勝手なのかもしれないけれど……。
きっと、こんなのは――間違っている。
復讐だとか、憎しみだとか……。
俺は、共感できない。
だって……悲しくて、辛くて、怖かったけれど……俺には、ウィヌスや、メル。イリアやヘイがいるから。
この出会いがあった世界を憎み、復讐しようとは思わない。
皆に、感謝しているから。
だから俺は……やつらとは違う。
違うんだ……!
「ライスケ!」
その時、背後からイリアの掛け声。
「いつでもいけるぞ!」
その言葉に、俺は目の前にいた異形の攻撃を避けながら、後ろに跳んで、イリアの横まで移動した。
そして、地面に触れる。
土属性の魔術によって、広場のレンガ敷きの地面を……砕いた。
その下から、噴き出す者がある。
紅蓮。
真っ赤に輝く、それは――溶岩。
イリアが長時間にわたってこの広場の地面の下を熱し続けることで生み出した、魔術による溶岩だ。
地面を砕かれて、足場を失った異形達になす術はない。
一体、二体……次々に異形は溶岩に飲みこまれて、そして蒸発していく。
あとは、もう僅かな時間すら必要なかった。
すぐに、異形は全て溶岩の中に飲みこまれ、跡形ものこらない。
そのうちに、異形達が、俺の内側に流れ込んでくる。
いくつも入ってくる、似通ったいくつもの感触に、思わず口元を押さえた。
「……大丈夫か、ライスケ?」
「ああ……」
「それは嘘だな。顔が青い」
あっさり見抜かれた。
「後始末はわたしがしよう。お前はすこし休んでいろ」
「……悪い。そうさせてもらう」
「悪い事などあるか。あれを全部始末できたのは、ライスケのお陰だ」
笑い、イリアは再度地面に触れた。すると、溶岩が徐々に熱を奪われ、ただの岩に戻っていく。
それを地面の下に戻して、さらに砕けた広場をイリアが修繕していく。
それらの作業が全て終わることには、広場はなにもなかったかのように綺麗になっていた。
俺は、近くにあった噴水の縁に腰を下ろす。
喰ったことだけじゃない。連中が近くにいるということ、それだけで気分が悪くなる。
……もう俺は、逃げられないのか?
そんな弱音が、浮かんでくる。
でも、だったら俺はどうすれば……。
そんなことを考えていると、作業を終えたイリアが横に腰を下ろす。
「どうやら、もう敵はいないようだな……あんな異形を生み出す魔術師が神聖領にいると思うと、恐ろしいよ」
「……そう、だな」
相手が神聖領の魔術師などではないと、俺は知っている。けれど、俺はただ小さく頷いた。
本当は、打ち明けてしまいたい。
そんな衝動があって……でも、押しとどめた。
イリアは、どう思うだろうか。
俺も同じなのだと。
俺も、あの異形を生み出したやつと同じ力を持っているのだと言ったら、イリアはどんな顔をするだろう。
……それを考えたら、口は重く閉ざされてしまう。
「まあ、とりあえずはソフィアを守れたことを喜ぼう。そしてライスケ。感謝するぞ」
「……別に、感謝だなんて」
「いや、させてくれ。溶岩だなんて、わたしでは思いつけなかったろう。あのままでは、下手をすればおおごとになっていたかもしれない。それをこんなにも簡単に片付けられたのだ。礼の一つもしないでは、こっちが申し訳ない」
「……ん。そうか」
「ああ。ありがとう」
それに、なんだか少しだけ気恥ずかしくなって、視線をイリアから逸ら――そうとして、イリアの手が俺の顎を掴んだ。
そして――、
「……!?」
な、に……っ!?
目の前に、イリアの顔があった。
え……な、なんだ、これ……。
頭の中が真っ白になる。
これは……え……まさ、か……。
唇に伝わる、微かな温もり。
まさか……キス……?
――……っ!?
「ば……っ!」
慌てて、イリアから距離をとる。
「な、え……? おまっ、な、なにを……っ!?」
顔が熱い。
一瞬で、まるでさっきの溶岩でも塗りたくったかのように燃えあがっている。
「なにを、などとは聞くな。決まっているだろう?」
にやりと笑うイリア。
その頬が少しだけ上気しているように見えて、なんだか酷くそれを見るのが申し訳ないきがして、俺は視線をぐるぐると彷徨わせた。
「感謝のしるし、だ」
「感謝って……俺は、別にこんな――!」
「なら、言い方を変えて、ご褒美だよ」
「だから、俺はそんなのが欲しくてやったわけじゃ……!」
言う俺に、イリアがそっと近づいてきた。
思わず息を止める。
その整った顔立ちが目の前にあって、今が本当に現実なのかを疑ってしまう。
夢じゃ、ないよな?
「血色は、よくなったな」
「……え?」
満足そうに、イリアがそう言った。
「顔が青いと言ったろう。それ、今のお前はいつも以上に顔に血が通っているぞ」
な……。
それって、まさか……。
「それだけの為に、あんなことを?」
俺を、赤面させるためだけに……?
「まあ、それもある。が、ご褒美というのも嘘ではないぞ?」
イリアの瞳が、俺を覗きこむ。
「――本当は、来たくなどなかったろう? ライスケがどんな苦しみを背負っているかなど、わたしはしらない。けれど、それでも、あんな青い顔をしながらも、苦しいのを覚悟したうえで、ライスケは私を助けに来てくれたのだ。それには、本当に感謝しているし、嬉しかったのだ」
「嬉しい……?」
「ああ。嬉しかったよ。人に助けられるなんて経験は、久しぶりだった。なにより、あんな必死な顔で男が駆け付けてくれて嬉しくない女など、そうはいまい?」
必死な顔……俺、そんな顔してたのか……?
なんだか、また顔が熱くなってきた。
「照れるな照れるな」
笑い、イリアが俺の肩を叩く。
「かっこよかったぞ、ライスケ」
「……そ、そんなこと……俺は、別に……」
「ふっ、ふふ……」
戸惑う俺を、イリアはまた笑う。
……なんなんだ、まったく。
「からかわないでくれ……」
「からかってなどいないさ。本当だぞ?」
ならまず、その悪戯っぽい顔をやめてくれ。
……だいたい、俺はいつまで顔を赤くしているんだ。
落ち着かないと……。
…………無理だ。
イリアにあんなことをされて、それで落ちつけると思うのか?
無理に決まってる。
「さて。では帰るか、ライスケ」
不意に、イリアが立ち上がった。
「……ああ」
「とりあえずライスケ」
「ん……?」
「私はメルにどんな顔をして会えばいいのだろうな?」
「……何のことだ?」
すると。
イリアは、やれやれと一つ、小さな溜息をもらした。
誰か! 最路からエリスを召還してください!
今なら反骨野郎のことをエリスだってボコボコにしたいはずです!
っくそぅ!
なんてうらやま――けしからん!