姉姫
宿に帰って、気絶したままのヘイをベッドに放り投げる。
「まったく……」
今度から、ヘイには酒を飲ませないことにするか。
決めて、俺も椅子に腰を下ろした。
と、ドアがノックされる。
「誰だ?」
「あ、私です」
入って来たのはメル。
と、目を覚ましたのか。
「ライスケさん達が帰ってきたみたいだったので、少し来てみたんですけれど……ヘイさんは?」
「酒に酔って気絶してる」
苦笑し、ベッドに横たわっているヘイを指さす。
「お酒、ですか……?」
「ああ。ちょっといろいろあって、酒場に寄ってたんだ」
「そうなんですか……でもびっくりしました。起きたら誰もいなかったので」
ああ。そっか。
メル以外、全員外出していたわけだし、メルが目を覚ました時には誰もいなかったんだ。
それはちょっと、悪い事をしたな。
「ごめん。ちょっと食糧の買い出しとかもあってさ」
「あ、別に怒っているわけではないんですけれど」
「でも寂しかったろう?」
「……それは……はい」
やっぱり、悪い事した。
お詫び、ってわけでもないけれど――。
「これ、お土産」
「え……?」
メルに近づいて、飴の入った小袋を手渡す。
袋をあけて、中を見たメルが首をかしげた。
「これは……?」
どうやらメルはこれを見るのは初めてらしい。
「飴、っていうんだ」
あ、いや。こっちの世界では他の呼び方があるのか?
でもまあ、飴でいいだろう。呼び方なんて。
「それ、口に入れて舐めてみてくれ」
「えっと、はい」
袋の中から飴の小粒と取り出し、メルが口の中に含む。
すると、その表情が徐々に驚きに代わっていく。
「これ……甘いです」
「だろ?」
まあ甘くない飴もあるけれど。これは普通に甘いやつだ。俺もさっき一粒舐めておいたから分かる。
「ありがとうございます、ライスケさん」
笑顔のメルのお礼に、なんとなく気恥ずかしくなる。
「別に……むしろ悪いな。こんなもんくらいしかなくて」
「いえ。これで十分です」
「そうか……?」
「はい!」
ん。
メルは、いい子だなあ。
思わず口元が緩んだ。
――と。
「ライスケ。いいもの持ってるじゃない」
「ふむ。飴、か。初めて見るな」
メルの後ろから、ひょっこり現れる二つの人影。
……げ。
まずいのに見つかったか。
「もちろん、私にもあるわよね?」
「まさかメルにはあって、わたし達にないわけがあるまい?」
……こいつら散々食い歩きしてきたんじゃないのかよ。
「……まあ、あるんだけどな」
こいつらがメルと同じものを欲しがることくらい予想していたさ。
俺はメルのと同じ小袋を二つ取り出して、ウィヌスとイリアへと渡した。
二人はさっそくそれを口に含み
「なかなか」
「うむ」
満足したように、自分達の部屋に戻っていった。
……なんだかなあ。
あいつら、食欲ばっかりかよ。
†
落ち着かないまま、何気なしに廊下を歩いていると、ばったりとオルネスさんに出くわした。どうやら今帰ってきたところらしい。
「まだ寝ていらっしゃらなかったのですか、ソフィア様」
オルネスさんの言葉に、私は少しだけ恥ずかしくなってはにかむ。
「すみません。その……お土産が、楽しみだったもので」
そんなことが楽しみで寝付けないだなんて、ちょっと子供みたいだ。
「……夜更かしも程ほどにしてください」
言いながら、オルネスさんが大きめの紙袋を渡してくれる。
中身を見ると、そこにはお菓子や小物類などがたくさん入っていて、思わず頬が緩んでしまう。
「ありがとうございます」
笑顔でオルネスさんにお礼を言う。
「いえ……礼を言われるほどのことでは」
「それでも、ありがとうございます、なんです」
「……はあ」
よし。
早速部屋に戻って、どんなものがあるのか広げて見てみよう。
「そういえば、オルネスさん」
「は、なんでしょう」
「少し帰るのが遅かったようですけれど、何かあったんですか?」
「大したことではありません。少し知り合いと出会いまして、話を少々」
「お知り合い、ですか」
こんなところに知り合いがいるなんて、オルネスさんの交友関係は広いんだな、と感心する。
「それよりも姫様。お部屋にお戻り下さい。明日は早朝には発ちますので」
「そうですね。それでは、もう眠ることにします」
でもそのまえに、お土産確認ですけどね。
†
夜も大分更けてきた。おそらくは、あと二時間もすれば夜明けか。
そんな頃、私達はまだ起きていた。
メルがずっと眠っていたせいで寝付けないからと、わたしが話し相手を務めていたのだ。まあ、わたしも馬車でずっと眠っていたせいであまり眠くないという理由もある。
ウィヌスはそれでも眠っているがな。神だから睡眠欲に限りがないのだろうか?
そんな頃、不意に感じる気配。
……ふむ。
「メル。そろそろ眠くなくとも眠っておけ。このままでは明日に差し支えるだろう」
「あ……そうですね」
そしてわたしは、ゆっくりと立ち上がった。
「イリアさんは眠らないんですか?」
「わたしは少し、身体を動かしてから寝るさ」
「そうですか……?」
「ああ。おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
言い残し、部屋を出る。
さて、と。
行くか。
宿の廊下を歩きだす。すると、廊下にある扉の一つが開いて、そこから見慣れた顔が現れた。
「ライスケ?」
「イリアか?」
お互い顔を合わせて、名前を呼ぶ。
「どうした。こんな時間に」
「いや……ヘイのいびきがうるさくて眠れない」
わたしの問いかけにライスケがそう答えた。
「……明日、少し締めておこう」
「そうしてくれ」
疲れたようにライスケが溜息をついた。
「それはそうと、イリアはどうしたんだ?」
「わたしは少し、夜の散歩にな」
「夜の散歩……?」
ライスケが訝しげにわたしを見た。
……メルのように簡単には納得してくれないか。
「なにかあったのか?」
勘が鋭いと言うか、なんと言うか。
「いやなに。少し、妹の安眠を守りに行くだけだ」
「妹って……もしかしてお前、ソフィアがここにいるって……?」
おや。
その口ぶり……ライスケも知っていたわけか。
「姉妹だからかもしれないな。わたしは、なんとなくソフィアが近くにいるのが分かるのだよ」
とはいえ、本当に曖昧な感覚だがな。
例えるなら、そう。
まるで空気の流れを肌で感じるような、そんな辺り前のようで、感じにくい感覚。
だが今回ばかりはその感覚も、大分鋭くなっている。
恐らくは、姉の本能と言うべきか。妹の身に危険が迫っているのを察しているのではないかな。
「そうか……でも守りに行くって、まさかソフィアがどうかしたのか?」
「どうやら、誰かに狙われているらしいな」
帝都のあちこちから、上手く隠してはいるが殺意じみたものが滲みだしている。
暗殺者の類だろうな。
「誰かに、って……誰に!?」
「さあ。ソフィアの身を狙う輩など、思いつくだけでも両の手の指だけでは足りないよ。王族なんてのは、そんなものさ。ましてここは帝都。愚か者どもがここで王国の王族を殺しておきたい考えても不思議ではない」
「なんで帝都だからって……」
「よく考えてみろ。帝都で王国の王族が殺されたら、その責任はどこに向かう?」
「……あ」
分かったようだな。
そう。その責任は、全て帝都――つまり帝国の皇帝へと向くのだ。
そうなって得をする人間など、それこそ数知れない。
「まあでも、相手の見当はだいたいつくがな。神聖領側の刺客だろう」
「神聖領って……まさか」
「そういうことだ」
ライスケも気付いたらしい。
このままソフィアが殺されたとして、その責任問題で帝国と王国の間には決して小さくはない諍いが起きる。王国は中立ではあるが、軍事力を放棄するまでは至っていない。
あくまで自衛の為ならば軍を動かすことはできるということだ。
そうなれば、帝国は神聖領と同時に王国までも相手にしなくてはならない。
帝国が邪魔な神聖領としては、それは願ってもいない展開だろう。
「なんて、汚い……」
「それが世の中というものだ、ライスケ」
さて。そろそろ行くか。
歩き出すと、ライスケがわたしの前に立った。
「俺も行く」
「やめておけ」
即座に言い返す。
「放ってはおけないだろ……!」
ソフィアを、妹をそこまで考えてくれるのは嬉しい。
だがな、ライスケ……。
「分かっているのか?」
暗殺者、というのは命を捨てた者達だ。
例え自分の命と引き換えにでも目的を果たし、そしてもしも達成できなかった時は自らの命を絶つ。
そういう連中だ。
だから、暗殺者を止める手段は一つしかない。
「これからわたしは、人を殺しに行くと言っているのだ。それについてくるというなら、ライスケ。貴様は人を殺す覚悟はあるのか?」
なんでこんな展開になってしまったんだろう。帝都では平和に行くつもりだったのに……。