欠片の憤怒
欠片の気配。
そんなの、近づけばすぐに分かると思っていた。
けれど……。
「なるほど」
馬車の御者座に腰を下ろす彼の気配は、確かに不思議なものだ。
それでも、欠片ではない。
……私は先日、そう判断した。勘違いした。
だが実際、彼は間違いなくそうらしい。
シアスは私と違い、それを見抜いていたらしい。
気配に違和感を感じたのは、欠片が抑えつけられているからだ。
何故だかは知らないが、彼は自分の欠片を抑えつけている。
……悲しみに、怒りに、感情に任せて欠片の力を振るうのが当然なのに。
今までの私を含めた欠片四つだって、自分の世界を喰ってこの世界にやって来た時は、この力を滅茶苦茶に振るった。
しかし、どうやら彼は違うようだ。
……さて、どうしたものか。
このまま誘ってもいいけれど、ヘスの話が本当なら彼は私達の同胞となるつもりはないらしい。
いや。それは問題はない。結局、彼を喰らうというのは最終的に変わりがない。
それよりも、彼が欠片の力を十全に発揮出来ていないというのが問題だ。
私達の目的は、五つの欠片の統合。
それによって、全てを――。
その為にも、不安定な存在を許したくはない。
であれば、彼には完全に欠片の力に目ざめて貰わなくてはならない。
どうすればいいのかしらね……。
あの仲間を全員殺してしまえばいいのかしら?
神も混じっているようだけれど、五つの欠片がそろうのであれば、もう神から、この世界の目から姿を隠す必要もない。
「どうすればいいと思う? シアス?」
「さて。君の言っている意図が私には察せられぬのだがね」
隣のシアスに尋ねれば、彼は肩をすくめてそんなことを言った。
「……貴方の態度は変わらないわね、こんな状況でも」
こんな状況、というのは決まっている。
三つの欠片にシアスが捕まえられていると言うことだ。
私に、ヘスに、そしてエンリル。
シアスは今、私達の掌の上にある。
「一つ尋ねたいのだが、何故君達は私を喰らわぬのだろうか?」
その問いに、口の端を歪めた。
「気紛れよ。元はと言えば貴方が最初に始めたことなのだから、途中退場なんて生ぬるい真似、させてあげるなんて思わないことね」
「なるほど」
薄く笑み、シアスが小さく頷く。
「であれば……唐突だが、アスタルテ、君に問おう。我々が自殺を考える瞬間に何が起こるのか」
「……なによ、いきなり」
嫌な質問だった。
自殺。
それは、欠片が自分の世界を喰らう前に絶対に行おうとしてきた行為だ。
私も例外ではなく、そう。
生まれ持った自分の力に嫌気が差して、自殺しようとして……世界を喰らった。
自殺だなんて、そんな単語すら聞くだけでも嫌気が差す。
「我々は自殺する時、自己を放棄する。世界を喰らってしまったのは、その自己の放棄という空隙をついて欠片の力が溢れ出た副作用のようなものだ」
「だから、それがなんなのよ?」
「まあ聞きたまえ。世界を喰らったのち、欠片の導きか、我々は全員この世界にやってきた。原初が砕かれ欠片となり果てた、この世界へとね。そしてここで、我々は憤怒、悲嘆を糧として生きて来た」
そうだ。
私は、自殺しようとしただけなのに。
世界を喰らうだなんて……そんなの、決して望んだわけではない。
こんな力なんて、欲しくはなかった。
その憤怒と悲嘆を、この世界へとぶつけたのだ。
この世界が原因。この世界のせいで欠片は散り、そしてその一つが私へ入りこんできた。
だから、この世界は滅ぼす。
喰らうだなんて簡単な手段でではない。
原初を再生させ、この世界を絶望させ、その末で滅ぼすのだ。
その時、私達は時と怨嗟の牢獄から解放され、巨大な渦の泡となる。
「しかし、彼の場合。彼を生かしているのは憤怒や悲嘆、感情の類ではない。他でもない彼の仲間。それが、彼をこの世界に繋ぎとめている」
「……それが、なに?」
「分からんかね。つまり……彼の仲間を殺すことは、下手をすれば彼の生きる支えを奪うということになりかねない。確かにその時、彼は欠片の力を発揮するだろう。しかし……それだけで済むだろうか?」
シアスの言葉は、相も変わらず深遠だ。
「遠まわしな言い方はいい。肝心な所だけ言いなさい」
「ふむ……ではこう言えばいいかな? 彼の仲間を殺した瞬間、彼は生きる希望を失い、その失望の空隙から欠片の力が溢れてはこないだろうか、とね」
「……」
それは、つまり……。
「彼の仲間を殺すというのは、彼が自殺することと同じような結果をもたらす、とでも?」
つまり、世界喰らいが起きるということ。
「その通り」
シアスが満足げに頷く。
……もしシアスの言葉が正しければ、易々と彼の仲間を殺すことは出来なくなった。
この世界を安易に喰らって終わらせるなんて、そんなことは許せない。
あくまで、この世界は原初への生贄となってもらわなくてはならないのだ。私達の復讐の為に。
「……けれど、手段はあるわ」
「ほう。それは、どんな?」
「導けばいい。彼が、この世界を憎むように。その憎しみさえあれば、あとは彼に仲間なんて不要になるでしょう?」
そう。
彼も、この世界を憎むべきだ。
私達と同じ、理不尽に罪過を押し付けられた同胞として。
自らの罪過を私達に押し付けたこの世界を。
その為に、少し回り道をするのも悪くはない。
口元に笑みが浮かんだ。
さあ、教えてあげましょう。可哀そうな我が同胞。
この世界こそを貴方は憎むべきなのだと。
その憎しみを知るまで、ほんの束の間。
彼を静観しよう。不安定に揺れる彼を下手に刺激することは出来ない。
†
「それで、これからどこに向かうんだ?」
メルの故郷を離れて間もなく、ヘイがそう尋ねて来た。
「そういえば……私も聞いてません」
ヘイとメルが俺を見た。
なんで俺に聞くんだ……。
俺だって知らん。
「どうなんだ?」
俺は後ろの馬車へと声をかけた。
「帝都にでも寄っていくか。どうせ帝国に来たのだしな」
イリアがそんなことを言うと、ヘイとメルが目を見張った。
「帝都って……帝国のど真ん中じゃないですか! 姫様、自分が何言ってるか分かってます!?」
「分かっているさ。王国の王女が帝国の中心に向かおうと言っている、それだけのことだろう」
「それだけのことじゃないですから!」
ヘイが叫ぶ。
「神聖領とのいざこざで今の帝国は下手に刺激できないんですよ!? 本来なら姫様が帝国内にいるだけでもマズいってのに、帝都に向かうとか馬鹿ですか!」
「馬鹿とはまた、敬いの一つもないな貴様」
空中に突然現れた握りこぶし大の氷の塊がヘイの眉間にぶつかった。
魔術で作った氷だろう。
「うごっ」
うめき声を一つ漏らし、そのままヘイはがくりと力なく御者座の上で崩れた。気絶したらしい。
どんな威力でぶつけたんだ……。
「……それで、ヘイの言ってることが本当なら、帝都ってとこに行くのは不味いんじゃないのか?」
「私もそう思います。そうじゃなくても、帝都は良い噂がありませんし……」
「別にいいんじゃない? 問題が起きても私達なら逃げるのなんて簡単だし」
俺とメルの心配に、今度はウィヌスがそう答えた。
確かに、それはそうかもしれないが……。
そもそも問題が起きる前提で話すのが間違ってるんじゃないのか。
問題なんて、起きるより前に避けて通るのが基本だろう。
「まあ細かい事考えなくていいでしょう。気の向くままに適当に進んでればいいのよ」
「他人事みたいに言うような、お前……」
この二人が同じ意見になると、もうあとは止められない。
「……まったく。俺は何が起きても知らないからな」
深い溜息を吐きだす。
「そうね。ライスケはメルのことだけ守ってればいいんじゃない?」
言われるまでもない。
メルは普通の女の子なんだから、守るのは当然だろう。
けど……なんだかウィヌスの物言いには含みを感じるな。
なんなんだ、一体……。
「あ、あの、ライスケさん……よろしくお願いします」
メルもメルで、よろしくってなにがよろしくなんだ。
「ん、ああ……よろしく?」
とりあえず返しておくけれど。
「さて、では進路を帝都に。よろしく頼むぞ、メル」
「分かりました」
イリアの言葉に、メルが手綱を握り直した。
欠片、最後の一人の名前だけ登場。
……実は以前にもちょっと登場してたんですけどね。