欠片の子ら
「ライスケ! 起きなさい!」
その声で、意識が覚醒した。
「っ……ウィヌ、ス?」
「目が覚めた……?」
ウィヌスが俺の顔を覗きこんでいるのが見えた。
……俺、どうしていたんだ?
そう思って身体を起こし……その惨状が目に入る。
周囲一帯が、更地になっていた。
土は抉れ、木々は根元から消滅し、見るだけでも怖気を誘われる、そんな光景があった。
それを視界に収めた瞬間に、脳裏に何があったか、その記憶が蘇ってくる。
ティレシアスとヘスティア。
二人の、俺と同じ存在……。
二人の身体から溢れだした暗闇がこの惨状を生み出したのは明らかだ。
戦いの傷跡は、ここから尾を引くように牧場とは反対方向に伸びている。果ては見えない。
二人の暗闇が交わり、そして黒い閃光が弾けた、その後からの記憶がない。
俺は、気絶していたのか……?
空を見れば、太陽の位置からして気絶していた時間は短いものだったらしい。数分か、その程度だろう。
「異様な気配を感じて来たかと思えば……この有り様はどういうことかしら、ライスケ?」
「……来たのは、ウィヌスだけか?」
「ええ。あんな不可解な気配、神でもなければ感じ取れないもの」
ウィヌスは俺の事を知っている。
彼女にだけなら、話してもいいのではないだろうか。
そう思って、けれど途端に恐ろしくなった。
口に出して伝えるのが、怖い。
俺と同じ存在が何人もいるなんて、そんなこと……言えるものか。
それを言葉にした瞬間に、なにかが決定的に違ってしまいそうで恐ろしい。
――それに、なによりも。
ヘスティアは言った。
同胞、と。
ふざけている。
ならば、どういうことだ?
俺は、あいつらの仲間なのか?
同じ力を持った同胞だとでも?
そんなのは、認められない。認めたくなんてない。
あんなおぞましい存在と俺が同じものだなんて、そんなこと……!
「悪い、ウィヌス。聞かないでくれないか……」
「……ふうん」
すっ、と。ウィヌスの瞳が細められる。
「それは、私には言えないようなこと」
「ああ……言いたくない」
「言いたくない、ときたか」
ウィヌスが爪翼を出して、その尖端を俺の首に突きつける。
「この場所の被害、前に見たことがあるわね。古代の悪魔が消した町跡にあったものに瓜二つ」
……ああ。そうか。
古代の悪魔っていうのは……あいつらのことだったのか。
だとしたら……は。あいつらは、少なくとも五百年生きてるってことか?
化物だな。
「教えなさい、ライスケ。なにがあったの?」
「……悪い」
刹那、爪翼が俺の首を引き裂く――ことはできない。爪翼は俺の皮膚に弾かれてしまう。
それを見て、ウィヌスが軽い溜息をついた。
爪翼が消える。
「――まあ、仕方ないか。話したくないと言うなら、もう聞かないわ」
「……え?」
その意外な言葉に、思わず目を丸める。
「なによ、その顔は。どうせライスケに力ずくで吐かせるなんて真似は出来ないのは分かっていたしね」
そりゃそうだが……でも、他にもやりようはあるんじゃないか?
俺が喋らなきゃ誰かを殺すとか、そんな風に脅してきたりはしないのだろうか……。
……いや、余計なことは言うまい。
わざわざ自分の首を絞めることはないし、それにもしかしたら、これはウィヌスなりの気遣いなのかもしれない。
「……ありがとう」
「礼なんていいわ。まあ、いつか話せる時に話しなさい。今はそれで妥協するから」
「ああ……」
話せる時、なんてくるのだろうか。
きてほしくない。
なんだかその時は……もう何もかもが手遅れになっているのではないか。そんな予感がするから。
†
私とヘスティアの欠片がぶつかり、その余波が周囲を喰らっていく。
現状で有利なのは私だろう。
ヘスティアが世界を喰らいこの世界にやってきたのは五百と少し前。
私は三千年以上前。
その年月の間に私は怒りにまかせ幾千、幾万の生物を殺し、喰らってきた。
故に。
その差が、私とヘスティアとの優劣を決定づけていた。
「あぁあああああああああああああ!」
私の力が、ヘスティアを圧していく。
さて……。
問題は、このままヘスティアを喰らうか、喰らわぬか。
喰らわねば、それは生かすと言うこと。欠片を残しておけば、それだけ危険は増すだろう。
だが彼女を喰らい、私の内に欠片を足すことでどんな影響があるかは未知数。なにより、同胞をこの手に欠けると言うのは気が引ける。
であれば……どうしたものか。
「ティレシアス、ティレシアスぅ! なんでなの? なんでなの!?」
「問うことは無意味だよ、ヘスティア。私はもう既に答えを与えただろう? なによりも、この行為そのものによって」
子供のように……いや、事実まだ彼女は子供だ。
その生きた年月は五百を数えても、実際にはその内のほとんどを眠ってすごしていたのだから。精神はまだ幼い子供のまま。
欠片のせいで起きた悲劇に、少女の心は耐えられなかった。自らの世界を喰らったという現実の前に脆く壊れた心を落ちつけるために、彼女には五百年もの時を眠らせていたのだ。
とはいえ、やはり長い眠りも彼女を癒すには足りなかったようだが。
その眠りから覚めた時代にライスケが渡って来たのは、なんの運命か……。
そんなことを、考えていたからだろうか。
私は迫りくる二つの欠片の気配に、今の今まで気付くことができなかった。
「……しまった、と口にするのも遅いか」
その気配は、既に目の前にある。
「どういうことかしらね、シアス?」
第三の暗闇が私にその猛威を振るう。
それを避ければ、代わりに大地に深い爪跡が刻まれた。
「……アスタルテ、か」
「お久しぶりね。それで早速だけれどシアス、これはどういうことなのかしら?」
「アスタルテ、アスタルテ! ティレシアスが、ティレシアスが……!」
ヘスティアがアスタルテへと抱きつく。
「もう大丈夫よ、ヘス」
その頭を優しく撫で、アスタルテは鋭い視線を私へと向けた。
「さあ、答えてもらえるかしら、シアス。どういうことなのか」
「――そう。簡単に伝えるのであれば……」
もはや隠し通すことも出来まい。
ならばいっそ、堂々としよう。
「私は君達の敵に回る、ということさ」
そして。
三つの欠片の力が、一斉に私へと振るわれた。
†
「イリアさん、ヘイさん、ルリと遊んで頂いて、ありがとうございました」
「ありがとうー!」
「いや、気にするな。私としてもいい気晴らしになった」
「というか俺は人間として自信を傷つけられた……」
牧場から帰って、メルの家の前でメル達と分かれる。
ヘイはなんだか凄く肩を落としている。
一体なにがあったのだろう。
正直知りたくもない。
「あの、ライスケさん?」
「ん、どうかしたか?」
不意にメルが声をかけてきた。
「なんだか様子がおかしいですけれど、どうかしたんですか?」
……出来るだけいつも通りを装っていたのだが、バレているらしい。
駄目だな、俺。
「いや、大丈夫。なんでもない」
「そうですか?」
「そんな心配そうな顔をするな。ほら、もう家に入れ。また明日な」
「……はい」
そう言うと、メルが家の中に入って、扉を閉めた。
「……また明日、か」
その言葉を、思わず繰り返してしまう。
正直、今日の一件があったせいで、もうこの町を離れたくて堪らない。またあいつらが来るんじゃないかと思うと、どうしようもなく不安になる。
俺達は、いつまでここにいるのだろう?
……それに、気になることはもう一つ。
「これから、どうするんだろうな。メル」
「それはメルが決めることでしょう」
ウィヌスの言う通りだ。
けれど……もし、もしメルがこの町に残るとしたら、それはなんだか……。
「まあメルにとっては家族と一緒が一番なのかもしれませんね」
「そうだな。見た限り円満な家庭だ。生活は少し辛そうだが、一度メルが身売りしたお陰で生計はしばらく持つだろう。であれば、残るのも選択肢の一つではある」
ヘイとイリアも、やっぱりそうは言っても、メルが抜けることを考えると、少しだけ寂しそうにしている。
一緒にいた時間は、決して長いと言えるほどのものではない。
けれどその密度は、今まで生きた中でもっとも濃い。
その時間を共有したメルがいなくなるというのは……うん。やっぱり、どこか寂しい。
「明日か、明後日までにはメルに決断してもらうことにしましょう」
「それは早過ぎるんじゃないのか?」
「長々と引っ張ってもこれはしょうがないことよ。長くいればいるだけ、家族とも、私達とも離れるのが惜しくなる。なら、メルには少しでも早く決めさせた方がいい」
反論にそう言い返されて、俺は何も言えなくなる。
明日、明後日か……。
メルは、どんな選択をするのだろうか?
どんどん筆の進む速度が落ちていく……。