帰郷
野宿を挟んで、俺達はメルの故郷のすぐ手前までやってきていた。
メルの生まれた町は四方を山に囲まれた、少し辺鄙なところにあるらしい。
山道を俺達の乗る馬車が引かれていく。
ここ最近では一番の陽気に、馬車の中ではウィヌスとイリアが眠り、御者座ではヘイまでもが眠っている。
「この辺りは……子供のころ、よく友達ときた場所です。あっちの方に、小さな池があって、その周りが子供の遊び場になっていたんです」
ぽつりと、メルがつぶやく。
「そうか」
ということは、本当に間もなくだな。町まで。
なにか言葉をかけようかと思って……けれど、思いつく言葉がなかった。
「でも、こんなところで子供だけで遊ぶのは危ないんじゃないか?」
だから、こんな他愛もない話をしてしまう。
「いえ。この辺りには魔物が少ないですし、いるのも動きが遅い魔物ばかりですから。出会ったとしても、子供でも十分に逃げられます。私も何度かそうやって魔物から逃げた思い出がありますし」
「それは、たくましいな」
苦笑していると、不意に声が聞こえた。
……ああ。
「メル。馬車を止めてくれるか?」
「え……はい、分かりました」
メルが手綱を引くと、王馬達の脚が止まる。
「んぁ……?」
馬車の動きが止まり、そのせいでヘイが目を覚ました。おそらくウィヌスとイリアも目を覚ましたろう。
「どうかしたんですか、ライスケさん」
「いや……子供の声が聞こえるんだよ」
「本当ですか……?」
メルが耳に手をあてて音を拾おうとするが、どうやら聞こえないようだ。
俺の聴覚だからこそ聞こえた声なのだろう。
「少し、寄っていってみたらどうだ?」
「……いいん、ですか?」
「そのくらいは構わないだろう。なあ?」
問うと、ヘイは寝起きの頭をかいて、
「あー、よく分からんが、いいんじゃないか?」
「好きにしなさい」
「思い出深い場所なら、寄っていくのもいいだろう」
馬車の中からもウィヌスとイリアの声。
「ほら。構わないとさ」
「……それじゃあ、少しだけ見てきてもいいですか?」
「ああ」
少しだけ急くように、メルが馬車を降りる。
「ライスケさんも来ますか?」
「……ああ。じゃあ、行こうかな」
魔物も一応は出るって話だし、ついていくことにしよう。
「こっちです」
言って、メルが山道の脇の藪を割って進んでいった。
その後をついて歩くこと数分。
唐突に、視界が開けた。
一番最初に見えたのは、日の光を反射する水面。
そして、子供の楽しそうな声。
「ほらー、追いついてみろよー!」
「誰が一番か競争だ!」
「先に行くなよー!」
目の前を数人の子供か駆け抜けた。と、その中の一人が脚を止め、俺達を見て……小さく首をかしげてから再び駆け出す。
その子供達だけではない。池のほとりには長い木の枝の先に糸を垂らしただけの簡単な釣り竿を手にした子供もいるし、花が沢山集まって咲いているところでは女の子達が花の冠などを作って遊んでいた。
十数人の子供達が、池の周りで遊んでいた。
……メルも、子供のころはこうやって遊んでいたのか。
そう思って、隣のメルを見て……少し息を呑んだ。
彼女は、微かに……けれど確かに、綺麗な笑みを口元に浮かべていた。
思わず魅入ってしまいそうになる。
「この町の大人って、すごい働き者の人ばかりなんです。だから子供は普段から構ってもらえなくて、でも子供も大人達が自分達を養うために頑張ってるって分かってるから文句も言えなくて、子供なりに考えて、大人の邪魔にならないように皆で集まってここで遊んでいるんです。」
「……そうか」
子供なのに……そんな風に考えてるのか。
それを知ってから改めて見ると、ここにいる子供達が、そして誰よりもメルが強い人間に思えた。
――と、視界の端に、さっき俺達の前で脚を止めた子供の姿が留まる。
その子供は花が咲いている場所にいる女の子達のところに行って、その女の子達の中でも年長者らしい女の子の肩を叩く。
そして二人は短く言葉を交わし……女の子が、こちらを見た。
メルも、女の子の方を見る。
そして二人の視線が交わった。
「……ぁ」
声を漏らして、メルが口元を押さえた。
その瞳が、大きく揺れている。
向こうの女の子もメルを呆然と見て……そして、ゆっくりと近づいてきた。
「お姉……ちゃん?」
「……ルリ」
…………黙って俺は一歩後ろに下がった。
「本当にお姉ちゃん、なの?」
「ルリっ!」
メルが、女の子を抱きしめた。
女の子は目を見開いて……大粒の涙を零す。
「お姉ちゃん……だ」
「うん。そうだよっ」
「っ……お姉ちゃん!」
女の子がメルの胸元に顔を埋め、勢いよく泣きだした。
お姉ちゃん、ということはあの子がメルの妹の一人か。
嗚咽する妹をメルはさらに強く抱きしめる。
「ただいま、ルリ」
「おかえり! おかえり、お姉ちゃん!」
しばらくの間、二人はそのまま抱きしめ合っていた。
†
「今日はリナお姉ちゃんもリグお兄ちゃんも早く帰ってきてる筈だから、きっともう家にいるよ!」
業者座で手綱を握るメルの膝の上に乗った女の子――ルリエラが嬉しそうにそう言った。
あの後すぐにメルを家に連れて帰ろうとしたルリエラだが、馬車を放っておくわけにもいかず、まず馬車に戻ってから町に行くことにした。
「リナとリグは、もう働いてるの?」
「うん。お姉ちゃんが……いなくなっちゃった、すぐ後から」
いなくなった、と口にした彼女の表情は苦しそうだった。メルがいなくなった時のことを思い出してしまったのだろう。
「そっか……」
メルも、少しさびしそうに微笑む。
「働くって、まだ子供じゃないのか?」
そのさびしそうな顔を見ているのが辛くて、思わず口を挟んでいた。
「はい。でも、もう私と同年代の子供は皆働いているんです。税が重くなってからは」
「そうなのか」
それだけ税が生活を圧迫しているということなのだろう。
「ねえ、お姉ちゃん」
「ん、なに?」
「この人達、誰?」
ルリエラが俺とヘイを見て首を傾げる。
ここまできて今更それを聞くのか……。
俺達は顔を合わせて、思わず苦笑する。
「こっちの人は、ライスケさん。それでこっちの人が、ヘイさん。馬車の中にもウィヌスさんとイリアさんって人達がいるんだよ」
「ライスケさんに、ヘイさん?」
「ああ。よろしく、ルリエラちゃん」
「おう。よろしくな」
「うんっ、よろしく。皆ルリって呼ぶから、そう呼んで」
屈託のない笑顔をルリが浮かべる。
「早くお家に帰りたいな。きっと皆、びっくりするよ?」
「うん。そうだね」
†
「……もういいかしらね」
しばらく見ていたけれど、特段変わったところは見られない。
いい加減時間の無駄ね。
あの子達の笑顔も、癇に障るし。
素直に同胞を探し続けてればよかったわ。まったく。
と、空から小さな影が下りてくる。
一羽の黒い鳥だ。
その鳥が細い鳴き声をあげる。
「……そう。貴方も見つけられなかったのね」
その背中を指先で撫でる。
「まあ仕方がないわ。もう何百年も探しているのだもの、気長に探し続けましょう」
そして私達は、その場から消えた。
†
「……緊張、しますね」
微かな声で、メルがそんなことを言った。
俺達の目の前には、一軒の家。
メルの家だ。
「自分の家でしょ。緊張する必要はないわよ」
ウィヌスが軽く言うが、そういうわけにもいかないだろう。
家を離れた理由が理由だしな。
「というか、一ついいか?」
「ん、どうかしたか?」
「わたしとヘイ、実はメルの素性を全く知らないのだが……?」
「…………あ」
そういえば、話してない。
ということは、イリアとヘイはどうしてメルが今こんなに緊張しているのか分かってないのだろう。
っていうか、何も分かってなかったのに黙ってここまで一緒に来たのか……。
なんていうか、お互い間抜けだな……。
「……その話は、また今度な」
「まあいいがな」
イリアは小さく肩をすくめて、メルに視線をやった。
「なんだか分からんが、頑張れ」
「……はい」
小さく頷いて、メルが家の扉の前に立つ。
そして……弱いノック。
「はーい」
家の中から、そんな声が聞こえた。
扉が開く。
「どちら様で――」
その向こうから、一人の女性が現れた。
多分、母親だろう。
「え…………メル?」
信じられない、というふうに女性がメルを見つめた。
「――……えっと、その……ただいま」
ぎこちなく、メルが微笑む。
「あ……あなた! 来て! メルよ、メルが帰って来たわ!」
直後、家の奥からすごい足音を立てて一人の男性が現れた。
こちらは父親か。
「メルだと!?」
そして父親まメルの姿を確認するや否や、その身体を抱きしめた。
母親も涙を流しながら、力が抜けたように地面に座り込む。
さらに、家の中から二つの人影が現れた。
「メル!?」
「メルか!?」
メルのもう一人の妹と、弟だろう。
「これは夢か……ああ、夢なわけがない! メル、ああメル! よく帰ってきた!」
歓喜と驚愕の混じった自らの家族に、メルは少し困惑したように、しかしすぐに再開の喜びにいつもの笑顔を取り戻す。
「ただいま、皆」
感動?
……作者には厳しいジャンルです。
というか無理です。
自分の実力不足に泣きたくなる。