告解
ドアの向こうに立っていた人物。
それは、全身をまるで影で包んだかのような、奇妙な存在感をもった男だった。
「ティレシアスさん……?」
メルが驚いたような声をあげた。
「メル……知り合いか?」
「はい。前にクルーミュで男の人に襲われた時に助けてもらったんです」
……襲われた?
「そんな話、聞いてないぞ?」
「す、すみません。心配をかけたくなかったので……」
心配かけたくなかったって言っても……心配くらいする。別にそれを迷惑だなんて思いもしないのに。
頼ってくれてもいいんじゃないのか。遠慮なんかしないで。
「まあ、いいけど……それで、その人がなんでこんなところに?」
「運命が惹き合わせてくれた……と言いたいところだが、残念。私はただ、貴方を追って来ただけなのですよ、麗しの姫」
「ひ、姫……?」
いきなりの呼び方にメルが首を傾げる。
……姫なら本物が身近にいるが、この男が言っているのはそういう地位的なことじゃないだろう。
「メルを追って来たって……どうして?」
ストーカーか?
「少しばかり、恥じ入る話を聞いてもらいたい。ドアを開けたままでは部屋が冷える。中に入っても?」
「……ああ」
少なくともいきなり襲ってきたりはしなさそうだ。
俺は男を招き入れた。
「どうぞ」
メルが椅子を引く。
「ああ、これはすみません。女性に椅子を引かせるなど」
「あ、いえ。私が勝手にやっただけですから、気にしないでください」
「それでは、失礼」
一言断ってから、男が椅子に腰を下ろす。俺も椅子に座った。
「それで、話って……と、俺は外した方がいいのか?」
メルとこいつを二人きりにさせるのは不安だが、まあ部屋の前にいればいいだろう。
そう思って尋ねると、男は少し沈黙してから、細めた瞳で俺を見た。
「自己紹介がまだだったね、少年。私はティレシアス。君の名を聞いても?」
「ライスケだ」
「ふむ……では少年」
名前を聞いたのに結局名前じゃ呼ばないのかよ。
変なやつだな……。
「私の話をする前に、一つ尋ねたい」
「なんだ?」
「君は……そう。何か特別な力を持っているかね?」
「――っ」
問われ、思わず目を見開いた。
「ありがとう。その反応でよく分かった。言葉は要らぬよ」
「……」
なんだ、こいつ。
俺のことを……なにか知っているのか?
「そんな警戒をしないでくれ。君はこの少女の味方で、私も彼女の味方でいたいと思っている。唐突に現れて厚かましいとは思うが、敵ではないと信じて欲しい」
「……」
いっそ不気味だった。
本当に、何が何だか分からない。
こいつの考えていることも、何者なのかも……得体が知れない。
「まあ、すぐに信じてくれなくとも構わない。私は、少し驚いてしまったのだよ」
「驚いた?」
「君が、ここにいるということにね」
「……どういうことだ?」
「さて。それを今知る必要はないだろう。いや、むしろ知らぬ方がいい」
もったいぶった言い方に、少し苛立ってくる。
「ただ、なるほど。道理で。私ですらようやく気付けたのだ。あちらが気付かないのも無理はない。精々が、違和感程度の気配しか感じ取れてはいまい。不幸中の幸いか」
「いい加減にしてくれ。何が言いたい?」
「不快にさせてしまったようだ。謝罪しよう。ただ、あと一つ、これだけは答えて欲しい」
刹那。
ティレシアスの瞳に、底知れない何かが映り込んだ。
息を呑む。
「君は……今どんな感情を抱いている? 憎悪か、嘆きか、あるいは歓喜か、それともそれ以外の何かか。どうだい?」
「……質問が、よく分からない」
それはつまり、俺がティレシアスをどう思っているかと言うことだろうか?
「つまりは、自らの力に対して、ということさ」
「っ……!」
また……。
こいつは、俺の力を知っているんじゃないのか?
そんな懸念が浮かんでくる。
だっておかしいだろ。ティレシアスの質問は、何かを確信したかのような意図が含まれている。なら、その確信はなんだ?
それに、自らの力に対する感情だって?
そんなの、決まってる。
「大嫌いだ」
「それだけ? それ以外の何かはないのかね?」
なんだって言うんだ。
それだけ、って……それ以外の何がある。
こんな力のせいで世界を喰らってしまって、それでこの世界に来て……。
――それを考えると、この力がなければ、ウィヌスにも、メルにも、この世界の誰とも出会えなかったのだろう。
でも、だからってこの力への嫌悪感が拭えるわけじゃない。
「もう結構。少年の顔を見ればおおよそ察すことができる。君は、憎悪に焦がされてはいない。それだけ分かれば、十分だろう」
……一方的に質問を終わらせられた。
「さて。ではよろしければ、私の話を聞いてもらいたい。私の、告解をね」
「告解、ですか」
「ええ。私は貴方に巡り会い、それを後悔した。だから、貴方に告解を聞いてもらいたい。おこがましく、また醜い願いです。だが叶うのならば、どうか私の言葉に耳を傾けて欲しい」
ティレシアスがメルをまっすぐに見つめた。
俺に問いかけていた時とはまるで違う、人生に疲れ切った、なにか救いを求めるような双眸。
「……分かりました」
少し困惑しながらも、メルは頷いた。
「ありがとう。少年も、是非聞いて欲しい。きっと君にも通じる言葉である筈だから」
「俺にも?」
「ああ……」
そして、ティレシアスは告解を始めた。
その最初の言葉。
「私は……人を殺めました。それもただ命を奪うだけではない、死後の尊厳すらも穢すような惨い方法で」
俺とメルの呼吸が一瞬、止まった。
……今、ティレシアスは何と言った?
殺した? 人を?
目の前にいる男は不気味だが、そんな人間にはとても見えなかった。
「一人ではありません。二人でもない。十人でもなく、百人でもなく、千人でもなく、数え切れないほどの人間を」
千よりも多く。そんな人間を殺しただなんて……何かの悪い冗談にしか思えない。
しかしティレシアスの表情は痛切であり、悲嘆に染まり、そして後悔の念で溢れかえっている。
「始まりは、理不尽な切っ掛けでした。正直に言えば、私のせいではなかったと、そう言わせて頂きたい。だが、それでも私が命を奪ったという事実に変化はなかった。私は呪った。運命というものを。あるいは、始まりの原因となったものを。憎んだ。憎むしかなかった」
理不尽な切っ掛け。
……元いた世界を俺が喰ってしまった瞬間を彷彿とさせた。
俺のあれは、理不尽な切っ掛けだった。
もし最初にウィヌスに出会えてなければ……あるいは、俺もこの男の何かを憎んだのだろうか……。
「私の憎しみは多くの人間を殺した。殺し、殺し、殺し続けました」
告解はまだ続く。
「そして出会ったのです。私と同じく憎しみに捕らわれた者達と。私達は共に復讐という鎖で結ばれ、その憎悪は今日この時も憎しみの渦を加速させている。その憎しみは、いつか世界に悲劇をもたらすでしょう」
しかし、と。
ティレシアスは自然な動きで、腕を広げた。
「私は気付くことが出来た。復讐など、憎悪など取るに足らない感情なのだと。それより遥かに素晴らしいものがあるのだと。貴方に気付かされた」
「え……で、でも私は、何もしてないです。助けてもらっただけで……」
「貴方にとっては、そうでしょう。ですが、きっといつか気付いていただける筈だ」
……ああ。そうか。
今まで分からなかったことが不思議なくらいにあからさまだった。
メルを見つめるティレシアスは……彼女に恋をしているのだ。
本人だけが、それに気付いていないようだが。
メルの味方。
それは、そうだろう。
誰が好き好んで、好きな相手の敵になるものか。
「今、どうか貴方に問いたい。大罪人である私を、貴方は拒絶するだろうか? それとも、赦してくれるだろうか?」
「……それは、私が決めることじゃ、ないです」
そっと、メルがティレシアスの手を握った。
「ティレシアスさんが本当に反省して……殺してしまった人達に精一杯謝って、それでも赦してもらえなかったら、やっぱり謝り続けて、償い続けていくしか、ないんだと思います」
「ああ……」
ああ……。
「貴方は、とても優しく、残酷だ」
メルは、とても優しく、残酷だ。
――っ!
俺は今、何を……。
まるでティレシアスと俺が、重なったような感覚。
少しだけ、吐き気がした。
「だが、その通りなのでしょう。貴方の言うことは、とても正しい。そう、償い続けるしかない……なんと辛く、なんと苦しい道か。だが、これこそが報いというもの。ならば、私は死者に謝り続けましょう。償い続けましょう」
ティレシアスが力なく笑み、メルの手を優しく解いた。
けれど、またメルはティレシアスの手をとる。
「それと……私は、拒絶しません」
まるで石にでもなったように、ティレシアスが硬直した。
俺も、同じように固まっていた。
「償い続ける人を、私は拒絶しません」
微笑むメルに……ティレシアスの頬に、涙が一筋流れた。
「ああ……ありがとう。我が姫。我が女神。我が救い主」
「私は、そんな凄い人じゃないです」
「いいえ。私にとって貴方はなによりも輝いて見える。貴方のその、浅黄色の髪のような、温もりに満ちた輝きこそ、私の憎しみを洗い流してくれたのです。だから、貴方は救い主です」
言ってからティレシアスが、そっと立ち上がる。
「ティレシアスさん……?」
「私は、もう行きます。いつまでもここに留まれば、貴方に迷惑がかかる。いえ、迷惑で済めばまだいい。きっと最悪のことが、起きる。だから私は行きます。けれど忘れないで欲しいのです。どこにいても、私は貴方の味方だと。貴方の身に危険が及ぶ時、きっと私は貴方の元に駆けつけましょう」
「……大丈夫です。ライスケさんが守ってくれますから」
言って、メルが俺を見る。
……なんだか、そんなことを言われると少し気恥ずかしかった。
「なるほど、心強い騎士だ」
ティレシアスが、俺の前に立った。
手が差しだされる。
「私を信じてくれないだろうか?」
「――……ああ」
俺も手を出して、握手した。
「ふむ……先達として、助言をしよう」
「先達って、何の?」
「分かるだろう?」
……なんとなく。
やっぱり、こいつは俺のことを何か知っているんじゃないだろうか。
そうでなくとも……多分、俺が多くの人間の命を奪っていることには気付いている。そこは、絶対。
「もしも力を欲するのならば、憎しみに楔を打ち、己が自由に扱えるようにするといい。楔は君の形でいい。ただし、憎しみに呑みこまれてはいけない。どんな衝撃を受けても、楔を抜いてはいけない。その時、憎しみは君自身をも喰らい尽す」
「俺は別に……力なんて」
「それでも、覚えておきたまえ。いずれ、きっと守るべきものを守る時がやってくる」
「……」
言い残して、ティレシアスは部屋のドアを開く。
「ああ。私の事は、出来る限り秘密にしておいてほしい」
ぱたん、と。
ティレシアスの姿が消えて、ドアが閉じられた。
「……一体何者なんだ?」
「さあ……でも、きっと悪い人じゃ、ないと思います」
悪い人じゃない?
何人も殺したって自分で言った男が……?
――……。
「そうだな」
そうだったら、いいな。
†
「運命とはかくも恐ろしい」
ライスケ……。
あの少年が、全ての中心になるだろう。
最も幼く、最も弱く、最も小さい。
そんな彼だからこそ、全ての中心になりえる。
我が姫が、彼の近くにいるのは何の偶然か。
偶然を、運命と呼ぼう。
ならばやはり、運命とはかくも恐ろしい。
黒の人はなかなか意味不明な人物です。
物語を混乱させているのは彼と言っても過言ではないでしょう。
……何気にかっこいいポジションにいるよね、彼。