黒き人
『勝者、ウィヌス!』
本戦に入って、ウィヌスは順調に一瞬で対戦相手を場外させていた。
……というか、勝者に俺の名前がない。
まあいいけど。
『強い、強すぎる! この少女は一体何者なのか!?』
観客は沸きあがり、解説も興奮した声をあげる中、俺とウィヌスはさっさと待合室へと歩き出す。
「つまらないわね。早く明日にならないかしら」
ウィヌスがぽつりと零した。
彼女が行っているのは、明日に予定されている決勝のことだろう。
順当に勝ち進めば、俺達は決勝でヘイ達とぶつかる。
ウィヌスはそれが楽しみで仕方がないらしい。
……とりあえず俺はウィヌスとイリアの戦いで周囲に被害が及ばないように気を張らなくちゃならないだろう。
何かの手違いで観客席に天の魔剣とかが突き刺さったら、もう普通に大量虐殺だ。
今から気が重い。
――そういえば、メルはどうしているだろうか。
†
「ウィヌスさんは別に食べ物を食べなくても生きていられるって言っていたけれど、やっぱり何か食べたいよね?」
両肩のコルちゃんとフィルちゃんに話かけると、二頭は揃って小さな火を空中に噴いた。
嬉しがってくれているのだろう。なら、よかった。
「じゃあ、何を買おうか?」
私は今、露店の並んだ通りを歩いていた。
本当はライスケさん達の試合を観戦したかったのだけれど、ウィヌスさんに「勝ちが決まった試合なんて見てないで祭りを楽しんできなさい。というか私の為に美味しいものを買っておきなさい」と言われてしまった。
それに合わせて、どうせだからコルちゃんとフィルちゃんの食べ物も買ってあげようと思ったのだ。
二頭は周囲を見回している。
「とりあえず何か食べたい物があったら合図してね」
コルちゃんとフィルちゃんが頷いたので、私は雑踏の中を歩きだした。
私は私でウィヌスさんの為になにか買っておかなくちゃいけない。
けれど試合が全部終わるのは時間がかかるということなので、冷めても美味しいものか、あるいは最初から温められていない食べ物を買うべきだろう。
何かないかな、と探していると肩でコルちゃんとフィルちゃんが跳ねた。
「ん……なにかあったの?」
何度も頷く二頭の視線の先を見ると、そこでは果物の砂糖漬けが売っていた。
「あれ?」
再度二頭が頷く。
意外だった。
肉とかかと思ったら、果物の砂糖漬けなんて。
甘党だったんだ。
「すみません、これ一つください」
砂糖漬けは小さな瓶で売られていたので、そのうち一つを買う。
値段は、祭りだからだろうか、相場より少し高めだったように思える。
それでもライスケさん達から預かったお金からしてみれば少額だったけれど。
……ライスケさん達と行動していると金銭感覚が鈍りそうで、ちょっと怖い。
代金を支払って瓶を受け取ると、私はそれを腰に下げていた嚢にしまった。
「食べるのは帰ってからね?」
そう言うと二頭は少し残念そうにするも、すぐに「早く帰ろう」とでも言うように方の上で跳ねまわった。
「駄目だよ。帰るのはライスケさん達の試合が終わってから」
二頭を落ちつかせながら苦笑する。
この子達、会った時は凄く怖かったけど、印象すごく変わったな。
そんなことを思っていると……不意に目の前に立つ人影があった。
顔をあげて、思わず一歩後ろに下がってしまった。
昨日、私達に絡んできて撃退された、あの二人組だった。
ただし片方の髪型は……昨日焼かれたせいでちょっとかわいそうなことになっている。
「よぉ、ガキ。元気か?」
「こんなところで会うなんて奇遇だなあ? 今日は一人……あ?」
二人がなにか言い終わる前に、既に私は逃げていた。
こんな人ごみの中で騒ぎなんて起こしたくなかったから。
それに私は別にライスケさんやウィヌスさんみたいに強いわけでも何でもないから、あんな人達に真正面から向かい合うなんて真似、怖くて出来ない。
コルちゃんとフィルちゃんがいるから万が一にも危ない事は無いのだろうけど、それでも気付けば走りだしていた。
「っ、待てよ!」
「昨日のお礼がまだだろうが!」
後ろから追ってくる怒声に、思わず私は人目を避けるように暗い路地裏に飛び込んでしまった。
そして、すぐに突き当たりにぶつかってしまった。
「へ、行き止まりだなあ」
「絶体絶命だぜ?」
振り向くと、二人がいやらしい笑みを浮かべて立っていた。
肩の上でコルちゃんとフィルちゃんが身構えた。
そして――次の瞬間。
「おや、いけないな。いけないよ。美しい女性は世の宝だ。そんな穢れた手で触れるのは、非常によろしくない。身の程をわきまえたまえよ」
路地裏に、新しい人影が現れた。
「あん?」
「なんだ?」
男二人が、そちらに視線を移した。
そこに立っている姿は、長い黒髪に黒いローブを纏った男性。
その男性が、一瞬ライスケさんに見えた。
……え?
確かに、同じ黒髪だし、装いも黒一色だけれど……あの人とライスケさんとでは全く似ていない。髪の長さも、顔のつくりも、身長だって。
なのに、何故?
私が自問する仲、男二人がその人を睨みつけた。
「んだよテメェ、邪魔だからあっちいけ」
「殴られたくねえだろ?」
「ああ……なんと嘆かわしい。どうしてこうも常世に下等が蔓延るものか。嘆かわしいよ」
下等。
その言葉が示すものを自分達だと、男達が数秒遅れて気付いた。
二人の顔が怒りに赤くなる。
「テメェ、いい度胸だ!」
あ……!
声をあげる間もなく、男がその人に殴りかかった。
だが……、
「自分の程も分からぬ者の拳が届くほど、私の身は安くないのだがね」
その拳は、受け止められていた。
人差し指一本で。
「な……」
「少し眠りたまえよ」
次の瞬間、殴りかかった男の身体が崩れ落ちた。その目は虚ろで、口からは涎が零れていた。
何が……?
「テ、テメェ、なにをしやがった!?」
「なに。少し生命の流れを乱しただけのこと。数時間もすれば、自然と元に戻るさ」
「っ、ま、魔術師か!?」
「さて、どうだろう。魔術を行使するものを魔術師と呼ぶのであれば、そうなのかもしれない。そんなことは些事だ。君も少し、夢の内で反省するといい」
もう一人の方も、同じように崩れ落ちる。
沈黙。
その人が、私に近づいてきた。
目の前にその長身が立って、思わず肩が跳ねた。
「ああ、怖がらせてしまいましたか。申し訳ない、可憐な少女。もう少し穏やかな収め方もあったのかもしれないが、一刻も早く君を助け出したかったのでして。いや、私もまだまだ青い。貴方のような人の前では、どうにも調子が出ません」
「……は、はあ」
その人が優雅に腰を折った。
「私はティレシアス。失礼ですが貴方の名を伺いたい。よろしいですかな?」
「あ……メルフィアです。助けていただいて、ありがとうございました」
「メルフィア。美しい名だ。その名を聞けただけでもこの街にきた価値はありました。なに、礼を言うのであればその美貌を拝む光栄を与った私の言葉でしょう。それに、私などが出るまでもなく、小さき守護者達が貴方を守っていたでしょうから」
すると、肩の上でコルちゃんとフィルちゃんが鼻息荒く頷いた。
「あの、何かお礼を……」
「そんなものは必要ありませんよ。私はただ、貴方の落し物を届けに参上しただけなのですから」
「え……?」
落し物?
首を傾げると、ティレシアスさんが懐から何かを取り出した。
それは……果物の砂糖漬けが入れられた瓶。
これ……私、落としてたんだ。
「あ、あの、何度もありがとうございます」
「いいえ。では、私はこれにて」
言うと、ゆっくりとティレシアスさんが去って言った。
「……不思議な人だったな」
呟きながら、腰の嚢の中に瓶をしまう……って、え?
……おかしい。
「瓶が……二つ?」
嚢の中には既に、砂糖漬けの瓶が入っていた。
……あれ?
「……どういうこと?」
†
いやはや、やはり青い。
贈り物一つ、言い訳なくして満足に渡せないとは。
そもそも彼女が買ったものをもう一つ、など……自らの感性のなさを暴露するような真似までしてしまった。
苦笑する。
……そういえば、苦笑とはいえ、笑んだのなどいつ以来だったろう。
ふむ……。
充実感、というのだったかな。こういう感情は
つまらない放浪だったが、彼女に出会えたというだけで、その全てが報われたかのような気分になる。
我が同胞を探しに訪れた街だったが、果たして、それ以上の収穫だったろう。
しかし、どうやらここにも我が同胞はいない様子。
惜しいが、この街も去らなくてはならないか。
願わくば、またいずれ、美麗の君に出会えることを……。
†
ヘイの双剣が相手二人の喉元にそれぞれ突きつけられた。
戦斧と短剣を持った相手選手が、それぞれ武器を地面に落とし、降参の意を示す。
『試合終了! 勝者、ヘイ!』
……何故わたしの名前が呼ばれないのだろうか。
まあいいがな……こんな試合、所詮は通過点だ。
これで今日の試合は全部終えた。
準決勝には、わたし達と、そしてライスケとウィヌスも勝ち進んでいる。
さて。
明日だな。
クルーミュ祭の最後を飾る大舞台。
準決勝など眼中にはない。
ただ、決勝。
あの二人とぶつかるであろうその時。
楽しみだ。
本当に、こんな高揚した気分は久しぶりだよ。
仮面の下で、わたしは鋭い笑みを浮かべた。
重要人物がチラッと登場。
ちなみにしばらく再登場はないです。