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1000文字小説集

乳房

彼女の事を思い出すとき、頭の中には夏の空気・・・それも晩夏、いくらか秋の気配を忍ばせた空気が、彼女の記憶とともに立ち昇ってくる。


私が彼女と出会ったのは、18年前・・・大学1年の夏の終わり、バイト先のコンビニでだった。

私より3か月早くその店に入っていた彼女に、レジの使い方から店内の清掃に至るまで、細かい指導を受けた。


同い年だったが、頼りになる先輩として憧れた。同じ学部という気安さもあって会話が弾み、そのうち、恋心も生まれた。


翌年、夏休みが終わる3日前だったか、彼女と初めて一夜を共にした。

朝を迎え、僕の住むオンボロアパートの一室を出る彼女を送った後、ふと玄関先のドアの脇にある朝顔の鉢を見ると、久しぶりに瑞々しい紺色の花が咲いていた。

その花を見ながら、なぜか、思っていた以上にふくよかだった彼女の乳房を思い出していた。


その2年後、私は彼女と別れた。

お互いに就活ですれ違いが続いていた。しかも、東京志向の私と、地元に残ろうとする彼女との間には、深い溝ができていた。

アーケード街に面したコーヒーショップで、別れ話はすんなりと進んだ。

8月の終わりの日曜で、家族連れや中高生が大勢、行き来するのを横目に見ながら・・・。

どちらが別れ話を切り出したのかもはっきりしないまま、店先で互いに違う方向に歩みを進めた。


さらに3年後、彼女が結婚したと人伝てに聞いた。

その時私は、彼女の身体を・・・乳房を愛撫する、自分以外の男性の存在を、初めて意識し、嫉妬に似た感情が腹の底に渦巻くのを感じた。

その日、勤め先から帰る電車を自宅最寄の駅で降りずに、終点まで乗り通した。

駅から、知らない町の暗い街路を延々と歩き、たどり着いた河原の草むらに腰を下ろし、空を見上げた。

秋の星座が東の空高く上がっていた。


しっかり者の彼女の事だから、きっといい奥さんになってるだろうと、長い時間の後、ようやく心の整理がついた。


今年の盆に帰省した折、学生時代の仲間が集まって、あの頃と同じ学生酒場で飲んだ。

そこで、彼女が昨年の初秋の頃、死んだと聞かされた。

小学2年生を筆頭に、3人の子供の母親となっていた彼女は、乳がんで死んだという。

心優しい彼女の事だから、きっといい母親になっていたに違いないのに、なんと残酷な事だろうと、心が締め付けられる苦しみを感じた。


酒場を出ると、珍しく涼しい風が吹いていた。(了)

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