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名前の付いた感情は必要ない

「アリアナ嬢も病み上がりなことだし、そろそろ帰るとするか。ディルク?」

「うん。今日は突然押しかけてごめんね、アリー」

「いいのよ。ディーなら大歓迎。それと……ありがとう。来てくれて。嬉しかった。本当に。だからね、次は正面から来てくれないかしら。おもてなしをしたいの」

「うん!美味しいお土産を持って来るよ」


 手紙の返事も書こう。全部に。似たような返信になってしまうけど。


「そうだ。アリアナ嬢。変なことを聞くがシャロン・ボニートはこの国の生まれか?」


 本当に変な質問。


 ボニート伯爵も夫人も間違いなくこの国で生まれた。王宮なら出生が記録されている。


 それを見たほうが早いのでは?と言うと、「もう大丈夫」と首を横に振った。


 髪の色で不信を抱いたとしたら、シャロンと夫人について聞くはず。シャロンだけを気にした理由って……。


「アリー。屋敷の外には君を心配する人は大勢いる。でもね。屋敷の中にもずっっと心配してる人がいることを忘れないで」


 月夜に照らされたディーは息を飲むほど綺麗。“王子様”に見えてしまう。


 心臓がトクンと跳ねた。胸が苦しい。でもこれは病気じゃない。


 これと同じ症状を持った女性を目にしたことがある。それもつい今しがた。


 私はそれが誰だかちゃんと知っているのに、無意識に記憶に蓋をして思い出さないようにしている。


 ──だってそれは……この感情の正体は……。


 無理やり記憶を押し込んで、笑顔で二人を見送った。


 屋敷の中にも……。


 そうよね。私が大切にしているように、私も大切にされていた。


 クラウス様のまじないの言葉が背中を押してくれる。


 大丈夫。手は震えていない。


 扉を開けて真っ先に目に飛び込んできたのは……。


 ──この男、まだいの?


 音消しの結界で声が聞こえなかったから、来ていたことを忘れていた。


 私を見ただけで嬉しそうな顔。まさか呼びかけに反応してくれたと思ってるんじゃないでしょうね。


 精神的頭痛に効く薬ってあったかしら?


「お……お゛じょう゛さ゛ま゛〜〜!!」


 涙を流しながらニコラは力いっぱい抱きついてきた。肩が冷たく濡れる。鼻水がつかないように懸命に鼻をすする音が間近で聞こえる。


 背中をさすりながら「ごめんね」を繰り返した。


 お盆に食事を乗せたヨゼフは泣きはしないものの、下唇を噛んで我慢をしていた。


「お二人とも、アリアナ様がお部屋にこもられてからずっと、ここにいたんですよ」


 それも一睡もせずにだそうだ。


 ウォン卿が教えてくれた。


「貴方達が倒れてしまったらどうするのよ」

「だっで〜。こんなにも苦しんでいるお嬢様のお傍にいられないことが辛くて、何もしてあげられないことが悔しくて……!!」

「お嬢様。ここ数日、何も召し上がっておられませんがお体は大丈夫ですか?」

「少し…お腹空いてるかも」

「承知致しました。すぐに持って参ります」


 その手に持っているのは私の食事ではないのだろうか?


 じっと見つめていると温め直してくると言った。


 料理を温め直してくれてる間に私はお風呂に入ってこよう。


 これまたウォン卿が教えてくれたことだけど、ヨゼフは朝昼夜と、胃に優しい食事を持って来ては、ああして手に持ったまま私が出てくるのを待ってくれていた。


 私専属の執事でもなければ、ヨゼフは執事長。


 忙しいはずなのに一日中こうして立っている。ウォン卿に「食事を置いて業務に戻られては?」と言われるも「お嬢様が召し上がる食事を床には置けません」と断った。それならウォン卿が持っているからと別の提案をするも、やはり断った。


 ウォン卿は騎士でありローズ家に仕える使用人ではないからと。


 曲がることのない私への忠誠心に感動したウォン卿とラード卿は、握った拳を左胸に当てた。


 あれは裏切らないことを約束する騎士の忠誠でもある。


 第一騎士団は王族のために存在すると言っても過言ではない。そんな彼らが命じられた護衛対象の私に忠誠を誓った。


 ゆくゆくは王族の仲間入りを果たすとはいえ、今はまだ時期が早すぎる。しかも独断でやってしまったのだ。陛下にどんな言い訳をするつもり。


「ア、アリアナ」

「何でしょう殿下。まさか入浴に着いてくるおつもりで?従者の方もお困りのようですし、お帰りになったほうがいいのでは」


 この男の迷惑行為を止められなかった従者は、こっそりとため息をついた。だから言ったのに……と、言ってるようにも見えた。


「こんな時間ですし殿下の護衛騎士であるお兄様に送ってもらうといいですわ」


 これ以上の会話は不要で、一礼してその場を後にした。


 お風呂で長湯するつもりはなく、ベタつく髪や臭う体を洗うだけ。ニコラには命令して一緒に入る。


 温かいお湯のおかげて緊張は解けリラックス状態に変わった。ニコラも人前で取り乱したことに羞恥を覚えていた。


 濡らした服も給料から弁償するなんて言い出した。部屋着なんて何着も持ってるから一着ぐらいダメになっても平気。


 部屋に戻ると湯気の立つ野菜たっぷりのスープが用意されていた。私の分だけ。


 ニコラとヨゼフだって同じように食べてないはずなのに。そう思っていたら気の利く料理長がちゃんと二人の分も用意してくれていた。


 野菜は舌で潰せるほど柔らかい。噛まなくてもいいから今の私には食べやすい。


 じっくりと煮込まれているのに濃くない味付けも胃に優しい。


 一人での食事はつまらなく、大勢で食べる楽しみを私はアカデミーで学んだ。


「アリアナ様。お食事中のところ申し訳ありません。失礼してもよろしいでしょうか」

「どうぞ」


 ラード卿も一緒?


 じゃあ今、ニコラの護衛は……。ヨゼフがいるだろうから心配はないわね。


 二人とも深刻そうな顔で俯いたまま。要件を聞いても互いに目配せをするだけ。


 私がこもっている間によくない知らせがあったわけではない。


 何も答えないことが怖かった。何かあるならハッキリと言ってくれたほうがいい。


 意を決したウォン卿は数秒目を閉じ、そして……後ろで手を組んで逸れることのない目を私に向けた。


「アリアナ様。我々は陛下の(めい)により王宮に戻ることになりました」


 とても悪い知らせだ。


 彼らは私に仕えているわけではないから、いずれはこんな日がくるとは思っていた。


 わかっていたのに、心のどこかで、ずっといてくれるのだと期待していた。


 これからはニコラはボニート家で預かってもらうしかない。


「一時的にです!」

「え?一時的?」

「はい。すぐに護衛に戻って参ります。それに代わりの騎士も二名、明日には到着しますので、どうかご安心を」

「そっか。良かった。お二人が私とニコラを守ってくれていたのが心強くて。お二人がこの家にいてくれたから私も心配なくアカデミーに通えていました」

「アリアナ様……」

「実は代わりの騎士なのですが……第四騎士団の団長と副団長に決定致しました」


 第四騎士団の団長と言えば平民だと聞く。


 団長に任命される実力は兼ね備えているものの、貴族が多く出入りする王宮では肩身の狭い思いをしている。


 しかも第四騎士団の噂は多くない。


 新しく入団した騎士の身分だけが風に乗って耳に入ってくる。


 性格や、そういったものが今現在ではわからない。


「やはり嫌……でしょうか?ソール団長は平民ですから」

「なぜです?騎士で在るのに身分は必要ですか?私にとって騎士とは正しい心を持ち正義を執行する人です。そこに身分など関係ないはずです」

「アリアナ様ならそう仰って下さると思いました」


 もしかして今、試された?


 ソール団長を受け入れるかどうか。


 この二人にとっても身分などどうでもよく、団長に上り詰めた実力と実績を認めている。だからこそ第一騎士団に務めながらも身分だけでソール団長を見下すことはなく、階級が下の者として敬意を払う。


 ()()()()()が護衛をしてくれていたのだと、今になってようやく実感した。


 二人は陛下からの緊急の用事が終わり次第、すぐにここに戻ってくると言ってくれる。


 ディーの命令だからじゃなくて、自分達がそうしたいのだと。


「私もお二人が戻って来る日を楽しみに待っています」

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