#8
「久しぶりねシャロン」
「四日前に会ったばかりだけど?」
そうだったかしら。
過去の出来事は大まかなことなら覚えているけど、死ぬ数週間前があまりにも強烈すぎてこれまでの人生を振り返ることも出来なかった。
私の尽くしてきた時間が全て無駄だったとわかったとき、割れたガラスのように記憶にもヒビが入った。
「それでシャロン。私に緊急の用事って?」
ニコラを下がらせて私好みの紅茶で一息ついた。
あの冷静沈着なシャロンが青ざめてる。まさか本当に何かあったんじゃ……。
開けていた窓から吹き抜ける風は、シャロンの短いシルバーブロンドの髪をなびかせた。
まるで背中を押されたように、伏せていた目を開き、それでも声だけは震えている。
いつも堂々としているシャロンとは正反対。
「こんな…こと、気分を害するかもしれないけど」
「そんなことないわ。何かあるなら教えて欲しい」
揺れる瞳は真っ直ぐと私を見据える。
「アリーの家で引き取った令嬢……。その子の母親のことなんだけど」
「ジーナ子爵夫人?」
「ええ。その夫人はローズ侯爵の想い人らしいの」
衝撃な内容ではあるけどそんなに驚かない自分もいる。
情報に長けたシャロンが言うってことはまず間違いなくそうなんだ。
政略結婚で恋人同士が引き裂かれるなんてよくあること。
子爵夫人をしっかり見たことはなくどんな人なのかはわからないけど、薄いピンクの髪に軽いウェーブがかかっていて、ヘレンのように天真爛漫な可愛い人と聞いたことがある。
裏向けのまま書類がテーブルに置かれた。これが証拠となる物。受け取ろうとすると止められた。
「私はこの真実を受け止めるのに時間を要した。アリーには耐え難いかもしれない」
私の暗殺計画でも手に入れたかな。
書類を受け取り上から下までゆっくりと目を通すと、力の抜けた手から書類が落ちた。
どういうこと?もしこれが本当に真実だとしたら侯爵家の汚点どころではない。
重罪。極刑は免れない。
私以外の家族は知っていた。ヘレンでさえ……!!
二枚目には更なる内容。
「嘘よね…?」
シャロンはうつむいた。
バカよね私。ここには嘘偽りは記されていないのに。
もはや裏切りのレベルを超えている。
頭が殴られたように痛い。
私を殺したもう一つの理由はこれだ。
ヘレンの幸せのためと言っておきながら、これが一番の理由なんじゃないの。
大事な証拠なのに無意識に握り締めていた。
破り捨てたい気分ではあったけど感情的になったらダメだ。
どんなときも淑女は感情を表に出してはならない。そう教えられてきたでしょ。
落ち着こうとすればするほど、冷静さを失う。
悲しくて涙が零れるよりも、フツフツと怒りが込み上げてくる。
死にゆく私にこの真実だけは明かさなかった。
殺したいほど大嫌いな私を、美しく作られた自分達の世界に関心をもたれたくなかったのだろうか。
それとも……単に私は蚊帳の外に追いやられていただけなのか。
心の隅に残っていた家族への愛が完全に消えた。
多分私は、ヘレンとエドガーへの復讐は完璧にやり遂げても家族だけは見逃す。
だって家族だから。いくら裏切られようとそれだけは変わらない。
そんな私の考えがいかに甘かったのか。
やるなら後悔しないように。
迫り来る死への恐怖を、絶対に死ぬのだという絶望を、刻み込んであげる。
「ごめんなさいアリー。本来ならこんなめでたい日に伝えるべきではなかったのに」
「ううん。むしろ教えてくれて良かったわ」
思い出した。前回もシャロンはこの日に私を呼び出した。
エドガーと婚約したばかりで今まで以上に自分を追い込んで次第にシャロンと疎遠になっていった。
私の世界は狭まくなっていき、シャロンもニコラの言葉でさえ聞き入れなくなった。
休んではいけない。完璧な王妃になるために、努力を怠ったことは一度もなかった。
もし殺された理由がこの情報を入手していたからだとしたら今もシャロンの命が危ない。
「これは誰かに見せる予定は?」
「エドガー殿下に」
「どうして!?」
「だってアリーがエドガー殿下を婚約者に選ぶと思っていたから。これは知っておかなければいけないことでしょ。今の時期は忙しいだろうから、時間が立ってからって思ってたけど」
「ダメよシャロン。これは私とボニート家だけの秘密にしておいて。書類も持ち帰るわ」
「待ってよ。これは明らかに…!!」
「貴女の身が危ないの!!お願い。私に友人を…シャロンというたった一人の親友を守らせて。これは私が信頼出来る人に必ず渡す。そして罰を受けさせると約束するから」
シャロンは私のためにここまで調べてくれた。
両親も兄達もヘレンだけを溺愛するから。
ヘレンを追い出す弱味を探っていたはずなのに、出てきたのは最低な真実のみ。
藪をつついたらヘビどころか猛獣が出てきたってことかしら。
エドガーはこの秘密さえも知っていた。何から何まで汚くてズルい連中。
犯した罪を隠すためだけに多くの命を奪い、人の上に立とうとした。
真剣さは伝わりボニート伯爵はローズ家に関わる資料を一枚残らず託してくれた。
「もしアリアナ様が望むなら我が伯爵家に養女として迎え入れたく存じます」
「ありがとう伯爵。その気持ちだけ受け取っておくわ」
憐れむわけではなく私を心配しお父様の卑劣なやり方に腹を立てている。暗部を総動員すれば侯爵家を没落させる弱みは握れる。それをせずに、こうして私にだけ打ち明けてくれたのは私があの家と共に破滅するのを防ぐため。
私は侯爵令嬢から伯爵令嬢に身分が下がっても気にしない。貴族としてやるべきことは変わらないから。
皮肉なことに私の思いは家族ではない人達にしか伝わっていない。
「本当にありがとう」
そして、ごめんなさい。一度は殺してしまって。
みんなを守るためなら私は神ではなく悪魔に誓う。
絶対に一人も死なせないことを。