愛の形【sideなし】
アリアナが王宮に出向く少し前。
ボニート家の応接室で資料に目を通すのは第一王子ディルク。
シャロンはアリアナから聞いたことをまとめてみた。これを読む限りでは、事が動き始めるのはアカデミー卒業後の、王妃教育を受ける日から。
それより前には目立つ事件もなく、破滅への階段を登っていることにさえ気付かないほど、いつもと変わらない日常を過ごしていることになる。
ディルクの目に留まった一枚の資料。これが現実に起きた事実だとしたら、あのアリアナが何も気付かないはずがない。
そんなディルクの疑問の心を読んだようにシャロンは
「アリーは気付いていたと思います。だからこそ真実の記憶に蓋をした」
「なぜだ。この件は裏切りなんて優しいものではないだろう?」
「認めてしまえば現実を受け入れなくてはいけなくなる。現実を受け入れるってことは……」
悔しそうに、悲しそうに、目を伏せた。
すぐにでもローズ家に乗り込んで力ずくで白状させたいのを我慢する代わりに、まだ読み終えていない資料が握り潰される。これにはディルクも引いて……かなり驚いている。
ヘレンやエドガーを目にする度にこんな殺意を抱いていた。抑え込むのに並の精神力じゃ足りない。
物心つく前から握っていた剣のおかけで、心が感情に支配されない術を身につけたのかもしれない。
ディルクは自分が子供に思えてならなかった。
アリアナの復讐に協力すると約束しながらも、シャロンのように証拠を集める能力もなければ、平民の血が混じる自分が傍にいるせいでアリアナの評価が落ちていくのではと。
平民混じりの卑しい身分。
王族のなりそこない。
異物。
ディルクを中傷する言葉はいくらでもある。
同じ人間でありながら血筋や身分だけで差別の対象となってしまう。
そういえば……ローズ家でアリアナだけが不快感を示さなかった。家族も、使用人でさえディルクを軽視していたのに、アリアナはしっかりと目を見て、言葉を交わしてくれたのだ。
シャロンもだった。棘はあるものの、敬意を払い礼儀も忘れない。
ヘレンはどうだった?同じ馬車から降りたディルクには目もくれずエドガーにだけ挨拶を交わした。
顔を知らなかったと言われればそれまで。追求するのも無駄になる。もし平民の血が混じっているなんて理由だけで無視したのなら不敬罪に値する。
しかし、ディルクにはヘレンを裁く権利はない。
無礼な態度に腹を立ててもキリがなかった。王宮での無視と比べたら何も感じない。
そして何よりディルクが憎んでいるのは戸籍上、父親となっている陛下。
「読まないなら帰ってもらえますか?アリーに渡すためにまとめなきゃいけないので」
慰めるつもりも優しい言葉をかけるつもりもない。
今世では、過去に起きた出来事が起きなくてアリアナは動揺している。
些細なこと。アリアナの死に直接は関係なくても、僅かな綻びから一気に崩れていくこともある。
そうならないようにシャロンは常に万全の状態を整えておく。
イレギュラーが起きても素早く対処するために。
アリアナの身代わりとなって死ぬことは怖くない。むしろこの命一つで救えるのなら安い。
なぜシャロンがここまでアリアナに尽くすのは神にも知りえない。
「すまない」
「何に対しての謝罪ですか」
「先触れも出さずにこんな朝早くから訪ねてしまったことに」
「自覚あるんですね」
意外、とでも言うようにわざとらしく驚いた。
「アリーもどうして殿下を選んだのでしょうか。選ばない選択肢もあったはずなのに」
どこか意地悪さを感じた。
「ボニート令嬢……!!変なことを聞く。気分を害すかもしれないから先に謝っておく」
シャロンの中には聞いても答えない選択肢はある。
ディルクをからかうのは楽しい。アリアナから作られた笑顔ではなく、純粋な笑顔を引き出した王子様。
偽りも打算もなく、好意と親切でアリアナの手を取り、氷のように冷たくなった心を溶かしつつある。
それはシャロンがやり遂げたかったことの一つ。ディルクが過去にアリアナを助けた“鎧の騎士”であることは調べがついている。
その日を境にディルクの初恋が芽生えたことも。
一途にアリアナだけを想い続けた恋心は第三者の他人が茶化していいものではない。
これならエドガーのほうがマシだったなんて、思う日もある。下衆な外道ならば何をしても良心は痛まない。
むしろ。やり過ぎなくらい、徹底的にやるだろう。
「令嬢はアリーが好きなのか」
「友人として、ですよ。好きな人は……まぁ、いますけど」
愛には様々な形がある。
無償の愛。嫉妬に狂った愛。尽くす愛。
シャロンは……諦めた愛だった。
失言だと悟る。
失恋でもしたかのような切ない笑顔。
男を宛にしないシャロンが恋焦がれるほどの相手。余程良い男に違いない。
知りたいと思いつつも、無関係の自分が踏み込んだら困らせてしまうと言葉を飲み飲む。
そんなディルクの優しさにシャロンは気付いていた。
親友が選んだ王子様は誠実で文句のつけようがない。