青は好きな色
全員が帰宅したのを確認して、私も自分の部屋に戻るとエドガーが居座っていた。
いくらディーの命令でここに配属されたとしても、王宮騎士が王族であるエドガーに危害を加えることは許されない。
まぁ、普通は女性の部屋に勝手に入るなんて紳士の風上にも置けないんだけど。
それが許されるのは王族だからという理由だけでない。私とエドガーが友人であったことも関係している。
私の留守中、お父様が何度かエドガーを通したことがあり、そのせいあってエドガーは私の部屋に勝手に入っていいものだと思っているのだ。
いること本気で忘れてた。てっきりもう帰ってるのかと。
あんな盛大なセツナちゃんのパーティーの最中に、何の準備もされていないヘレンの誕生日パーティーなんて行えるわけもない。
仮に行えたとしても、料理もプレゼントもない、飾り付けもされていない部屋で「おめでとう」と言われるだけで満足するわけもなく。
ヘレンのプライドの高さは折り紙付き。
屋敷にいたってヘレンが惨めな思いをするだけ。それならいっそ、今からでもレストランを貸し切って祝ってもらえば良かったのに。
ウォン卿は申し訳なさそうに私の名前を呼んだ。
エドガーを止められなかったことに責任を感じている。これはウォン卿のせいではなく、お父様とエドガーのせいだ。
少しは反省して欲しいけど、そんな人間らしさを持ち合わせていない人達に期待するだけ無駄。
気にしないでと部屋の外で待機をお願いした。
騎士を待機させることがエドガーにとっては不快らしい。
不機嫌になりながらも勝手に座っては、私にも座るよう進める。
──ここ、私の部屋なんだけど。絶対わかってないわね。
部屋を荒らされたり、物色されたわけでもないため正面に座った。
「私に何かご用がおありですか」
「よそよそしいな。一体どうしてしまったんだアリー」
「殿下。愛称はおやめ下さい。私達はただの友達なのですから」
「っ……あぁ、そうだ。僕達は友達だ。だから以前の君に戻ってくれないか」
「と、申しますと?」
何も知らずに、与えられることのない愛情を求めては、貴方達に陰で笑われること?
私に冷遇されることにショックを受けたように寂しそうな笑顔を向けた。
それさえも芝居でしょう?
傷つくことに臆病な私は、そんな顔をされると何も悪くないのに謝ってしまっていた。
幻滅されたら嫌われる。嫌われたら……愛してもらえない。
私の性格と心理をよくわかっているからこそ有効な手。
相手をするだけでも疲れる。今日は美味しい紅茶が飲めなくて残念だけど、この紙の花があるから癒される。
丁寧に作られた花。
会ったこともない私のために、どれだけの時間を費やしてくれたのだろう。
あの小さな手で一生懸命折ってくれたのだと思うと、愛しさが込み上げてくる。
水の入っていない花瓶に挿した。
今度は一輪だけじゃなくて花束でお願いしてみようしら。お礼は……そうね。今日あげた髪飾りとお揃いの耳飾りとネックレスがいいわ。
私だけのセンスでは気に入ってもらえないかもしれないから、また友達を誘いたい。そうすると彼女達にもお礼をしないと。
私が主催してお茶会を開いてもてなそうかな。
「アリアナ!!考え事かい?僕がいるのに、本当にらしくないな。それにそんな紙くずなんかで喜ぶなんてどうかしている。花が欲しいなら僕が贈るよ」
──は?
この男は私をイラつかせるために待っていたの?
大事でないなら飾ったりはしない。
握り潰してしまわないように優しく持ったりはしない。
頭が足りないのではなく、バカだったのだとようやく気付いた私は遅すぎる。
頭脳明晰でも人間としてバカなら、“バカ”としか言いようがない。
そんなバカな部分はずっと近くで見てきたはずなのに、性格の一部と認識していたからか、それが悪いことだと思っていなかった。
花に触れようとする汚い手を払った。
「アリアナ?」
「花が欲しいわけではありません」
「そうなのか?では何が……?」
「ディーなら言わずともわかってくれますよ?」
この部屋を見れば私が本を好きなことはわかる。青い花が好きなのがわかる。
包装されたリボンが青色なことがわかる。
つまり、この男は私に興味はないし持つつもりもない。私のことは人の姿ではなく王座か冠にでも見えているのでしょう。
「お帰り下さいエドガー殿下。そして二度と私の部屋に足を踏み入れないで頂きたい」
貴方はずっと私とヘレンを重ねていたのね。
あの子が紙の花を喜ぶはずがない。部屋に戻ればくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てる。この男の腕にしがみついては甘えた声で本物を強請る。
私にも娼婦の真似事をしろとでも言いたいのかしら。
腐っても私は侯爵令嬢。理由はわからないけど王子を王太子にする力を持った。
本来であれば貴方が私の機嫌を伺い下手に出るべきなのに。
第二王子だけを残して従者が帰るはずもない。機転を利かせてくれたヨゼフが外から声をかけた。
「お話中、申し訳ありません。従者の方々が第二王子殿下をお待ちです」
「待たせておいてくれ。大事な話をしているんだ」
「そういうわけには参りません」
部屋に入ってきたヨゼフは執事らしからぬ顔つきで睨み付け、正論を述べた。
「アリアナお嬢様はディルク殿下の婚約者です。男性と長い時間、密室にいるのは不貞を疑われてしまいます。ましてや弟君とあれば尚更」
弟と呼ばれることに不快を示した。
一介の執事が王族に対する態度ではないと騒ぎ立て、ウォン卿にヨゼフを斬るよう命令した。
更なる機嫌を損ねるとしても、ウォン卿はハッキリと断った。
そもそも護衛で来てくれているのに剣を抜くはずがない。そして……ブランシュ辺境伯の家に仕えていた執事が只者のわけがない。
何を隠そうヨゼフは武闘派で、騎士団の三つや四つなら一人で簡単に制圧してしまう実力者。
剣しか持たない騎士団員では役不足。命を懸けた勝負がしたいのなら、国民全員を巻き込むしかない。
お母様がこんな家に嫁いできた日にヨゼフの素性は明かしたと言っていたけれど、この様子では覚えていない。
命令に従わないとわかると騒ぎを聞きつけたお父様にヨゼフを解雇するよう命じた。
言葉をそのまま鵜呑みに「クビだ」と叫んだお父様の声は虚しく響いた。
新たに変更された雇用契約書を見せるとワナワナと震え出した。
雇い主の名前が私になっているのだ。これは私が生まれた、お母様から最初のプレゼント。
私も最近になってヨゼフから聞いたこと。
結婚したら家を出ることになるし、少しでも万全の状態を整えたいらしい。貴族として生まれた以上、愛ある結婚の望みは薄い。
前世、ヨゼフは王宮に着いてきてくれると言った。不要なら解雇を命じても構わないと言ってくれた。
私の一存で、ヨゼフの人生を大きく左右することになったとしても逆らうことはしない。
彼はそれだけ私に忠誠を誓ってくれている。
「どうした。早くそいつをクビにしろ。殿下に無礼を働いたのだぞ!!」
「お断りします。ヨゼフは私が怪我をして唯一、心配してくれる使用人です」
あの子が来て一年目ぐらいだった。階段から落ちたあの子を庇って私は腕の骨を折った。家族はおろか、使用人でさえ誰も私の見舞いには来ず、かすり傷も負っていないあの子に付きっきり。
庇ってあげたあの子もまた見舞にも、お礼を言いに来ることもなかった
ニコラとヨゼフだけだった。朝から晩まで看病してくれたのは。
片手が使えないと不便ではあったけど、不謹慎ながらに嬉しかった。
ニコラだけでなくヨゼフも傍にいてくれることが。
贅沢は言わない。たった一秒だけでも顔を見せてくれたのなら。
あの頃はそんなことばかり思っていた。
「それに、無礼と仰いましたが、ヨゼフは事実を述べただけですよ。なぜクビにしなければならないのですか?」
お父様は答えない。
答えられるわけがない。
ヨゼフをクビにしたいのはあの男なのだから。
納得出来る理由がない以上、クビにはしないと宣言した。