幸せより憧れを【ニコラ】
「今日は会えて嬉しかったよ」
お嬢様の指示通り、見送りに来ただけなのに眩しい笑顔を向けられた。
ラード卿は邪魔をしないように姿を隠して私の護衛をしてくれている。
私のような侍女にさえ、気を遣ってくれるなんて。お嬢様もお嬢様の選んだディルク殿下も素敵だ。
物語に登場するお姫様と王子様のようにハッピーエンドの未来を迎えて欲しいと切に願う。
「そうですか。気を付けてお帰り下さい」
「あれ?ここは普通、昔話に花を咲かせるとこだよ」
「小公爵様。私はもう貴方様の婚約者ではありません」
「どうすれば君は僕を受け入れてくれる?あ、言っとくけど毎日プロポーズに来るからね」
「やめて!!?はた迷惑な!!」
「君が身分を気にするなら僕は名を捨てる。地位を失っても君を幸せにすることは出来る」
この人は昔から真っ直ぐで正直な人だった。
初めて会ったのはいつだったか。
侍女に憧れる二週間ぐらい前。
二つしかない公爵家同士、仲良くなれればと交流の場を設けられた。
私は乗り気ではなかった。めんどくさかったし。
歳が近いという理由だけで私が選ばれたことも納得いかなかいし、アカデミーに入学すれば嫌でも顔を突き合わす相手と急いで仲良くなる意味がわからなかった。
姉様はお洒落が好きな人だったから可愛いドレスをいっぱい持ってて、お下がりとしてよく私に回ってくる。
私にはメイド服や侍女の制服のほうが可愛く見えていた。
いらないと言える勇気もなく姉様を傷つけないように毎日、袖を通した。
後から着る私のことも考えられていて、普通に似合っていた。美的センスがずば抜けて高かったんだよね。
初対面の日、ほんとに初めましての男の子に挨拶代わりに「好きだ」と言ったのが、目の前にいる小公爵様。
あのときの父様の顔は一生忘れない。
相手方の両親も息子の発言が聞こえなかったのか、冷や汗をかきながら挨拶を急かしていた。
あれは絶対に聞こえてた。聞こえなかったふりをしてなかったことにしても小公爵様は発言の撤回をするつもりなく、また告白をされた。
私の後ろに誰かいたわけでもなく、その瞳には私だけを映している。
純粋な恋愛とか諦めていた。
貴族間の結婚なんてほとんどが政略結婚。私もそうなるんだろうと、どこか他人事。
裏表のない小公爵様に惹かれていたのも事実。そうでなきゃ婚約を受けたりしない。
憧れてはいなかったけど、恋愛結婚なら幸せになれるかもと思っていた。
会いに来る度に花束をくれるのはちょっとウザかったな。週に一度なら私も喜んだ。
でも!!毎日来られると花の置き場に困る。
無駄に枯らせてしまうのも心苦しくてプレゼントの花束は断るつもりだったのに。
当時の侍女長が長持ちする花の生け方を知っていて、それが私にはカッコ良く見えた。
侍女長に憧れたのはそれだけではない。
婚約者がいたにも関わらず、侍女長に昇格したことで婚約を破棄した。
ずっと好きだった幼馴染みの歳下の彼。結婚する日が待ち遠しいと言っていたのに。
それは一方的な破棄ではなくお互いに納得した上でのこと。
結婚しても仕事を続けるつもりだった侍女長は、子供を授かったときのことを考えて別れを切り出した。
侍女としての仕事に誇りと信念を持っていた侍女長は、例え家族でも主以上に特別な思いを抱けない。
代々、優秀な侍女を輩出してきた家柄故に、融通が効かないとこもあり両親も渋々承諾したそうだ。
──だから侍女になりたかったんだ。
物知りで主のために何でもこなしてしまう姿に憧れを抱いた。
仕事のために幸せを手放すなんて普通は無理だ。
私は侍女になりたかった。
侍女長のような人間になりたかった。
実家の力を頼らない姿勢。主一人に仕える忠誠。
だから私はロベリアの名前を両親に返した。
戸籍が消えるわけでもないから身分は変わらずだったけど、公爵家の三女の顔なんてほとんどが覚えているわけもなくローズ家でもすんなりと雇用してもらえた。
本来であれば私は王妃付きの侍女になるべく存在。
侯爵令嬢であるお嬢様の侍女になれるはずもなかった。
それを何とかしてくれたのがシャロン様であり、私の愛する家族でもある。
幸いなことに我が家は子供優先で、なりたいものには全力で協力してくれる理解ある家族。
私のしたいようにすればいいと、背中を押してくれるだけでなく応援までしてくれた。
これでも物覚えはいいほうで、特に好きなことには全力で打ち込めるのが私。
一ヵ月もあれば文句のつけようがない完璧な侍女になれた。
長々と事情を説明する自信はなく小公爵様には、婚約破棄しましょうと簡潔な手紙を送る。
それから何度か手紙は届いていたけど、目を通すことはなく全部、引き出しにしまった。
丁寧に綴られた文字を見たら、一度でも愛しいと思った小公爵様に会ってしまえば、心が揺さぶられてしまうとわかっていたから、遠ざけて会わないようにしたんだ。
侍女になるための勉強は厳しくても時間を忘れるほど楽しかった。
女の幸せは花嫁修業をして結婚することだとよく言われているけど、私にとってはお仕えすることのほうがよっぽど幸せ。
昔ながらの古い考えに囚われ自分自身を偽るなんて窮屈。
残る問題はどこの家に仕えるか。
勤め先は仲良くしてもらってるボニート令嬢に頼むつもりだった。
家族が相手だと小っ恥ずかしさもあり、集中力が切れる。
いずれは家族に仕えても感情を抑えられるようになりたいけど、当時はまだ精神が未熟だったため家族には頼めなかった。
ボニート令嬢はアリアナお嬢様を紹介してくれた。
人付き合いの悪い私でも知っている。雲の上の存在。
実際に会うと同じ人間かと疑った。
所作の一つ一つや言葉遣いに至るまで丁寧で息をするのを忘れてしまう。
私はこのお方に認められたいとやる気を出した。
幼い子供が専属侍女でローズ家の面々からは歓迎されなかったけど。
アリアナお嬢様からは悲しそうに「ごめんなさい」と謝られた。
足を踏み入れて初めてわかるローズ家の汚いとこが見え出す。名字を名乗らない私を平民と勘違いし見下していた。
──平民が高貴なお方の侍女になれるわけないじゃん。
ローズ侯爵は色々と噂を聞いていたから、そういう態度にも納得いったけど、まさか上のご兄弟も似た態度だったことには度肝を抜かれる。
それはこの家の誰もがそうで、侍女もメイドも執事も、全員の立場が同じであり、後から入ってきた者を見下せる権利があった。
唯一まともだったのがお嬢様とヨゼフさんだけ。
私のことをいつも気にかけてくれていて、少しでも体調が悪いと仕事を休ませてくれる。
自分の世話よりも私を優先してくれるお嬢様には感謝しかない。
ジーナ令嬢が来てから屋敷はもっと酷くなった。
お嬢様に完璧を求めておいて、蔑ろにするあの家族が嫌いで、大嫌いで、許せなかった。
悪魔に魂を売ってでも仕返しをしてやりたかった。
お嬢様の心はボロボロに傷ついていくのに心配させないように笑顔を絶やさない。
泣きたい気持ちを我慢して前を向く姿を誰よりも近くで見てきた。
──力になりたい!
お嬢様が泣かないように、心から笑えるように。
例え世界中の人間が敵になったとしても私だけはお嬢様の味方でいると誓った。
──それなのに………現れた。
私と同じ、それ以上にお嬢様を慕い、信じ、愛してくれる人が。
「私はアリアナお嬢様の幸せを願っております。そして幸せに出来るのはディルク殿下だけだと」
代々アルファン家は王族に忠誠を誓う一族。
絶対なる王位継承権を持つエドガー殿下に膝をつく。
血筋を尊ぶことは一概に悪いことではない。
ただ……相反している。私と小公爵様では。
支持したいお方が違えば対立する。
「それが理由か。よくわかったよ」
これで諦めてくれると期待したのに爽やかな笑顔で帰って行った。
「わかった」って何が?
小公爵様は何をしようとしているの?
胸騒ぎがする。
ごめんなさいお嬢様。もしかしたら私、とんでもないことを言ったかもしれません。