命の軽さ【シャロン】
帰りの馬車はすごく静か。
父さんが黙り込むなんて珍しい。騒がしいのは好きではないけど、静かすぎるのも嫌うのに。
帰り際、陛下へのアドバイスが余計だったかな。
別にあれは陛下のためじゃない。こっち側に引き込む布石とでも言おうか。
私の知るアリアナ・ローズなら味方となる人物は自らの手で引き入れる。私はキッカケを作ったにすぎない。
「アリアナ様に親友と認められたから、あんなことを?一歩間違えれば不敬罪に問われてもおかしくはなかっただろ」
「陛下はそこまでバカじゃない。自分の秘密を握ってる私をみすみす殺さないわ。私の死後、暴露されるかもしれないのに」
「シャロン。お前って子は……よくやった!!これで何があっても陛下が敵に回ることはない」
うちの親もアリー信者である。アリーの不利となる要因は私達が刈り取る。それで汚名を着せられても気にしない。
結果としてアリーが救われるなら、それは……とても安い対価。
たかが伯爵家の命なんて、あってないようなもの。それなら全てをアリーを捧げる。
父さんがここまで信頼を寄せるのは、失敗するはずだった事業を成功へと導いてくれたである。
失敗したところで一家全員で首をくくるわけでもなく、せいぜい社交界で後ろ指を指され笑われるだけ。
放っておいてもアリーには得も損もないのに、一生懸命考えて救ってくれた。
あの頃の私達は特別でも何でもない、ただの友達だった。
なぜアリーが助けてくれたのかはわからない。この先も聞くつもりもない。
だってそうでしょう?
大人顔負けの知識を持つアリーは、大量の資料を読み漁り、最善の策を見出した。
それは下心なんかなくて、アリーが力になりたいと思って、自らの意志でやってくれたこと。
打算でしか繋がれない貴族がほとんどなのに、アリーは利益よりも私達の地位と信用を守ってくれた。
そうでなければ父さんがあんなにも心を開くわけがない。
伯爵家当主として、人を見る目は腐っていない。
人の忠誠心とは、いつどんな風に芽生えるものかわからない。
「質問の答えだけど。覚えてる?私が誘拐された日のこと。アリーが泣いたの。何事にも動じない完璧な侯爵令嬢がよ」
だから決めた。
本当は弱くて寂しがり屋のアリーのためなら私は……。
暗部を私的に使うことはない。万が一のために切り札としてカードを手中に収めている。そのカードを使うことがないことを願う。
カードのほとんどは、その家を破滅させるには充分すぎる効果を発揮してくれる。
中からコンコンと合図を送ると馬車は結界に包まれた。張った瞬間は何回体験しても慣れない。
不快ではないけれど耳の奥がふわんってなる。
音消しの結界は聞かれては困る会話をするときに使う。あまり高度なものでもないし、練習と努力次第で誰でも使えると言う。
「王宮内で起きた第一王子襲撃事件の実行犯を探して」
私を迎えに来た男は百の顔を持つと豪語する。
どんな無理難題を頼んでも悩むことなく引き受け三日以内に成果を上げる。
「全ては我が主君の仰せのままに」
最も実力があるのが御者のふりをして私の行く先々に着いてくる暗部のリーダー、クロニア・フォルト。私はクローンと呼んでる。
何を言っても聞く耳を持たず心が折れかけたこともあった。
ポジティブという表現は間違っている。クローンは自分を罵倒するだけの言葉だとしても、私の声を聞くだけで癒しとなり疲れさえも吹っ飛ぶなんて頭のおかしなことを真顔で言ってしまう。
ある日、耐えきれずに「クローンはどうしてそんなに気持ち悪いの?」と素で聞いてしまった。もちろん返答はなかった。
私の好みを完璧に把握されるのは諦めた。私の命令に従うくせに私欲が混ざると笑顔で聞き流すだけになる。
そんなクローンがついには心を読む読心術を身に付けてしまった。解雇するか悩みはしたけど、目の届く範囲にいてくれないと胃がキリキリして痛かった。
「時にお嬢様。そろそろ俺もアカデミーに潜入してもいいですか。近くにいないと不安なもので」
「来たら許さないから」
「仮に行ったとしても教師がいち生徒を贔屓するわけにはいかんだろ」
「生徒として行きますよ?」
クローンは二十八歳のおじさんであるけど、性別も年齢も種族さえも変えられる。
学生になるなんて朝飯前。知識も申し分ないからSクラスに割り振られる。
そうなると唯一の休息の場所でも顔を合わせることになる。地獄だよ、それ。
家の中でもストーキング紛いなこともされて苛立ってるのに、日中も傍にいると考えるだけでゾッとする。
私に自由はなくなり常に視界のどこかにクローンを捉えてしまう。
気がおかしくなるどころじゃない。精神的に参る。
頼りになる利点だけでアカデミーまでついて来られたくない。
「あ!停めて。買い物あるの忘れてた」
「お供致します」
「そしたら誰が父さんを送るのよ」
「すぐ代わりを呼びます」
「クローンが帰るのよ。今すぐに」
クローンの過保護は度を越している。両親でさえ買い物に出掛けるときは見送ってくれるのに。
こうなった原因は私が誘拐されてから。人一倍責任を感じたクローンはそれ以来、陰ながら見守るようになった。
私の「大丈夫」を信用しなくなった。
クロニア・フォルトを信じなくなった。
「あの日の誘拐のことも調べてくれる」
「シャロン?」
「もしかしたら私達はとんでもない思い違いをしているのかもしれない」
侯爵と伯爵。お金になるのは侯爵家。それなのにアリーには目もくれず私を連れ去った。すぐ隣にアリーもいたのに。
目撃者であるアリーの口封じもせず、まして連れ去ることもなかった。
これは私の推測にすぎない。
犯人は本当はアリーを攫いたかった。
ではなぜ間違えたのか。
あの日、私達は互いの髪飾りを交換していた。
犯人が顔ではなく髪飾りを特徴として覚えていたとしたら?
──それだけではない。
平民を毛嫌いする第二王子の馬車を目にした。
私達は平民の下町にいたのに。
年間行事の平民への奉仕活動にさえ、何かと理由をつけて行かない第二王子がいたなんて怪しい。
見間違いじゃないのは確か。
窓から外を伺う第二王子をハッキリ見たのだから。
だからもし、もしも……誘拐を企てたのが第二王子で、偶然を装い物語の王子様のようにアリーを助け出していたら恋に落ちていたかも。
完璧な人間ほど、運命に弱かったりする。
犯人の自害も引っかかった。大金を手に入れれば豪遊の日々が待っているのに乾杯したワインに毒を入れるなんて。
犯人が死ぬことまでがシナリオだとしたら第二王子はどこまでもクズ野郎。
アリーを泣かせ傷つけた罪は重い。
「勘違いをされたくないから言うけど」
馬車を降りたタイミングでクローンは腕を引いて息が交わるほど顔を近づけてきた。
薄い紫の瞳はいつもどんなときも私から逸れたことはない。映さない日なんてないんだ。
父さんの殺気に気付いているくせに距離を取らないどころか額をコツンと当てたきた。
いつの間にか結界が二重に張られている。目眩しの結界のおかげで外からは何も見えない。
男女の関係を持つならあの二人も結界を作れる人を仲間にしておくべきだった。ま、それでもクローンにかかれば証拠の映像なんて撮り放題だけど。
「俺がアリアナお嬢様を気にかけるのはお嬢様の命令だからだ。俺の命も時間も全てシャロンお嬢様のためだけに存在する」
「それはありがとう。今すぐどいて。邪魔よ」
「優先すべきはお嬢様だけだ。それだけは忘れないでくれ」
ハッキリと断言されると私も困るんだけど。
アリーと私の命が危機に晒される場面では私を助ける。
私がどれだけ命令しても、躊躇いなくアリーを切り捨ててしまう。
その行為で私に恨まれるとしても。
クローンにとって私の命より守るべきものはない。
「それと父さん。見つけたよ。彼女の指を切らせた薄汚い貴族を」
「その犯人はどうするつもりだ」
「今はまだ動く時期じゃない。大丈夫。同じ痛みは味合わせるから」
貧しくも懸命に生きる子供から奪った普通の未来。その代償は安っぽい謝罪だけでは済まない。