表面的な付き合い
焼きたてサクッとパンを二つ食べて、ディーがいつ登校するか分からないから早めに屋敷を出た。
後片付けもやりたかったのに、ニコラに背中を押されて厨房を追い出された。朝の時間がなくなるからと。
後のことを任せるのは心苦しかったから料理長達には謝って、片付けをお願いした。
私が誰かにお願いする度に、ウォン卿とラード卿は不可解な目をする。
きっと、命令ではなくお願いをしているのが気になるのだろう。
貴族なのだから使用人には命令するのは当たり前。私は人に命令しているという感覚が好きではなく、出来るだけお願いをするようにしている。
──言っても聞かない人には命令するときはあるけど。
「アリー!昨日は急に早退なんかしてどうしたんだ。体調が悪いなら無理せず休めば良かったのに」
アカデミーに着くと同時に門の前に立っていたエドガーが小走りで近づいてきた。
普段の自信に満ち溢れた様子ではなく、私を心配するような顔をして。
どうして私の周りの男はこんなのばっかりなの。話したいがために待ち続けるなんてどうかしている。
しかも私は今日はいつもより早く出た。その私よりも前にいたってことは、一体いつから待ってたいたわけ。
──私は貴方達と話すことは何もないのよ。
生理的に存在を受け付けなくなってきた。
第二王子としての自覚はなく、人目の多い正門で話しかけられると無視をするわけにもいかない。
朝が早いと言っても、いつもより早く出たというだけで登校する生徒はいるし、道を歩く人だっている。
注目の的になんてなりたくはない。
噂なんて、いつどこで、どんな風に歪められるかわからないのに、エドガーと二人で話していたと広まるのは困る。
何よりディーの耳に入りでもしたら……。
きっとディーは私の言葉に耳を傾けてくれる。
口から出る内容がどんなものでも信じてくれる。
私に対する想い全てに蓋をして。
ここにはいないディーの姿を想像するだけで胸がズキリと痛む。
だってディーは笑ってくれる。私が何を言っても、どんな決断をしようとも、笑って受け入れてくれる。
言いたいことが言えないのは苦しい。息が詰まる。
愛されたいと口にして拒絶されることが怖い。
この世界には超えてはならない一線が幾つも存在する。私は、私達は、その線を超えないようにいつも自分を押し殺して生きてきた。
たった一つの愛を求めて。
私はもう諦めるほどの絶望を味わったけど、ディーはまだ求めてる。私に愛されることを。
私を想えば想うほど、ディーの心は鎖で縛られていく。私にはディーを解放してあげられないけど、嫌な思いを防ぐことは出来る。
こうやってエドガーと二人で会うなんて、バカな真似をしなければいい。要は私が言動に気を付ければいいだけ。
成り行きとはいえ、これ以上一緒にいるのは耐えられない。
独り善がりで、私を心配して夜も眠れなかったと平然と嘘をつく。
眠れなかった割に顔色は良い。ぐっすり寝たに違いない。
ディーが来るまで待っていたかったけど、一緒にいる所を見られて勘違いされたくもないし。
挨拶だけして教室に行こうとすると鞄を取られた。
白昼堂々追い剥ぎ!?王子ともあろう者が!?
「病み上がりなんだ。荷物は持ってあげるよ」
それなら取る前に言うことじゃないかしら。何の説明もなしに自分の荷物を奪われるなんて良い気分がしない。
優しさをアピールして今からでも選ばれようとしてるなら逆効果。
むしろ不快よ。
「女性から荷物を奪い取るなんて品性が疑われてしまうよ」
「あ、兄上!?なぜここに……」
「“公務”が終わったから登校しただけだ。問題あるか?」
「い、いえ!!そういうわけでは」
人の顔ってあんなに青くなるものなんだ。不自然なぐらい視線も泳ぎすぎている。
あれでは刺客を送ったのが自分だと白状しているようなもの。
殺すつもりでいただろうけど、死ななくてもしばらくはまともに動けないほどの重症を負わせたと安心しきっていた。
クラウス様が治癒魔法を使えるって知らないのかしら。それともこんなすぐ治るのは計算外で、本当は怪我をしていなかったのかもと疑心暗鬼に陥る。
証拠を掴まれていたら王太子どころの話ではなくなる。
身分剥奪か、国外追放か。
好きなほうを選ばせてくれるだろうけど、エドガーからしたらどちらも屈辱でしかない。
固まってしまったエドガーから鞄を取り返してくれたディーにお礼を言い、今朝作ったクッキーを渡すとエドガーのほうが驚いていた。
「料理出来たんだね。知らなかったよ」
「ディーのために練習したんです。婚約者の立場に甘えず私も頑張ってみようと思いまして」
「それは楽しみだな」
「と、言いますと?」
「だから……アリーのクッキーを食べるのがだよ」
「ご冗談でしょう?第二王子であらせられるエドガー殿下に素人の作ったものを食べさせるなんて」
事を荒立てないように穏便に済ませた。
ディーのために、とハッキリ聞こえたはずなのに自分も食べられるなんて、よく思えたわね。図々しいにも程がある。
神経が図太くなければ、他の女性と付き合いながらも王座に就くために私の婚約者の座を狙ったりはしない。
王族としてエドガーはいつも質の良い物だけを食べてきた。
料理に慣れた人ならともかく、侯爵令嬢としてしか育っていない私のクッキーを食べさせられない。
何かあってからでは遅いからね。
だからといってディーを軽視しているわけではない。その逆でディーには食べて欲しいのだ。
もし二人に作らなければならないと王命があれば、エドガーには料理人が作った物を、ディーには一生懸命私が作った物を、あげたいと思うほどに。
エドガーへのプレゼントはいつも、貰った物に対するお礼として贈ることはあるけど私個人の気持ちを乗せて贈ることはまずない。
だってそんな感情、私達の間には不要だったから。
笑顔の下の冷たい目に貴方は気付いてくれたかしら?
偽りの仮面を被るのが得意なのは私も同じ。
貴族は感情を隠さなければいけない瞬間が何度も訪れる。私も貴方も、そういう教育を受けてきた。
人の上に立つからこそ、本心を見透かされないように。
「ディー。行きましょう」
さっきから照れて動かなくなってしまったディーの手を掴もうとすると、シャロンに拉致された。