不機嫌な侯爵
「いやーー。先程のシャロン様すごかったですね」
声が弾んでる。スカッとしたのかニコラの顔は綻んでいた。
直接、手を出さずとも、ただ笑っているだけで人を攻撃するなんて、シャロンはカッコ良い。
怒り狂ったお父様の顔は吹き出してしまいそうなほど面白かった。
笑ってしまわないように口の中を噛むのも、ちょっと辛かったのよね。
顔色を伺うだけの存在だったから、まさか私がお父様を笑い者にするなんて思いもしなかった。
あのままだと手を出しかねないからシャロンの背中を押して早急に帰した。
屋敷の前にはボニート家の馬車が停まっている。
私が帰ったときにはなかったはず。
タイミング良くシャロンが帰る時間に合わせて迎えに来たのかしら。それにしては中々のタイミングね。
シャロンは制服だったけど、一度自分の屋敷に帰った?
私の荷物を届けに行くとだけ言って、ここに来たのなら馬車が迎えに来る説明はつくんだけど……。一つおかしな点がある。
なぜ、馬車で来なかったのか、である。
仮にもし、馬車を使っていたとしても、いつ帰るか分からないシャロンを置いて馬車ごと御者が移動するわけがない。
お父様なら、邪魔だから退けろと言いそうではある。
体面を気にするならお客様の馬車を退かせるのはおかしい。
ただでさえ悪い噂が飛び交っているのに、そこに更に人として最低な行いを加えるほど考えなしではないと信じたい。
お父様もこれで少しは自分達のやってきたことを反省してくれたらいいけど、するわけないか。
自身の行動に責任は持たないのに、やることは全て正しいと思い込んでいる。
侯爵家の人間だからではなく、貴族に生まれたから、そんなことが思えるのよね。
地位も財産もあり、将来を約束された選ばれし者。それが貴族。
狡くて卑怯で生きてる価値もない人達。
目の前で傷ついてる人がいても見て見ぬふりをするのに、そのくせ自分達の痛みには敏感。
言葉の暴力で平然と他者を傷つけても、自分達が悪く言われると怒り狂う。
貴族でありながら狭い世界でしか生きられない。可哀想な人だ。
となると、次のお父様の行動は……。ボニート家への一切の売買を止めるはず。
最悪なことに、ローズ家にはそれを命令出来る力がある。
強者の立場を利用して下の者を抑えつけるのは古い貴族のやり方。
もっと賢く破滅に追い込めないのかしら。そんなのだから陰で笑われるのよ。
お父様自身、あまり才能があるわけじゃない。私やカスト達のおかけでローズ家は功績を収めている。
お金と地位を守るだけの道具として扱うのにカストとハンネスには愛情を注いでいた。
昔はよく考えた。私も男だったら愛してもらえたのだろうかと。
そうじゃないのよね。私が男に生まれていてもお父様からの愛情は望めない。
私はもっと“根本的”なところから嫌われている。
「アリアナ様。侯爵が応接室に来るようにと仰っていますがいかがなさいますか」
「行くわ。ウォン卿はここで待ってて」
「しかし」
「大丈夫よ。話をしてくるだけだから」
あんなことがあった後だし、大体の予想はつく。
珍しくウォン卿が意見した。行かないほうがいいと。
本気で心配してくれている。後ろのラード卿も同意見。
あんなに興奮しているお父様と冷静な話し合いは望めない。
避けられる危険は避けておくべきだとも。
そうしたいのは山々だけど、面倒なことを先延ばしにしたところで、いずれは向き合わなくてはならない。
今にも泣き出しそうなニコラの手を取って微笑んだ。
「大丈夫だから」
私が傍を離れる間、ニコラに危害が及ばないようにラード卿にしっかり守ってくれるようにお願いした。
こんなときにまで他人を心配するなんて優しすぎるとニコラに怒られながら心配されたけど、私のせいでニコラが傷つくのはもう嫌なだけ。
私が生きている内はどんな手を使っても守ってみせる。
例えそれがディーの恋心を利用する最低な行為でも、手段を選んでいたら大切な人は守れない。
主のいない部屋に居座り続けるような非常識は持ち合わせてはなく、私と一緒に部屋を出ては隣の自室に戻った。
ラード卿が扉の前でしっかりと目を光らせてくれているから、私は安心して任せられる。
応接室の前ではヨゼフが待機していた。不安気な表情から察するに、お父様の機嫌は相当悪い。
来て良かった。
もし私が何かと理由を付けて来なかったら、ヨゼフが八つ当たりされていたな。
ニコラは私を優しいと言ってくれたけど、私からしたらニコラとヨゼフも充分優しい。
私が出向かなければ自分達に火の粉が飛んでくるかもしれないのに、行かないで欲しいなんて。
優しい心の持ち主だからこその思いやり。
ノックの後に私が来たことを伝えると、「さっさと入れ」と命令口調。
ウォン卿の眉が片方ピクリと動く。不快を示すも、すぐにいつもの無表情に戻った。
私に対してはいつもそんな感じで、今更気にすることではない。
私と二人でいたくないのか、ヘレン達まで呼ぶなんて。
お茶を出してくれたヨゼフは部屋を去らずに入り口付近で待機。あの過保護で心配性は一生治りそうにない。
居心地が悪くならないように好物のアップルパイまで料理長に作らせて。
そういう抜かりない所が評価に値する。しかも私にだけってのが尚のこと良い。
毎食のデザートに出してほしいぐらい飽きない味。
私もいつかこの味を作りたい。
成功した暁には一番最初にディーに食べて欲しいな。
真っ先に思い浮かぶのがディーの顔であることが不思議でたまらない。
前世ならヘレンとエドガー、そして家族のことばかりだったのに、今では驚くほど彼らに無関心。
そうか。きっと、私のために色々と手を貸してくれてるお礼ね。うん、納得。
モヤモヤが晴れると気分までスッキリした。
このまま自分の部屋でひと息つきたいけど、勝手に席を立てないから我慢するしない。
黙々と食べていると痺れを切らせたお父様がテーブルにカップを叩きつけた。
中身が空だったら良かったけど、残念ながら一口も口をつけていなかったため絨毯に汚れが広がる。
掃除するのはニコラではないし、この応接室も私はあまり使わない。どれだけ汚れようが私には関係がないのだ。
何かのお祝いに貰ったと自慢していたティーセットなのに。あれはもう修復不可能。他国のとても高価な物だとか。
第一子であるカストが生まれたときのお祝いらしい。
絶妙な色合いを調合出来る職人が亡くなり、最後の作品とまで呼ばれていた。
なぜそれを、こんな人にあげたのかはわからないけど、お父様に恩でもあったのかしら。そうでなければ脅して手に入れたか。
くれた人が誰なのか知らないから、どの推測が当たっているのか答え合わせの仕様がない。
壊したってことは思い入れがなかったのね。
私の記憶が正しければ数日中にこのティーセットをくれた人が尋ねてくる。事前の連絡がなかったのは、たまたまこっちに用事があったから。
家を留守にしてカップの破壊を私のせいにされても敵わない。ありのままを教えてあげなくては。
「いつまで黙っているつもりだ!!あんな小娘に父親が侮辱されたんだぞ!?」
「そうでしたか?」
一方的にお父様が怒鳴りつけてただけのような……?
私の記憶違いかもしれない。確認の意味も込めてヨゼフに視線を送ると呆れながら首を横に振った。
常識人と意見が一致しているのなら私のほうが正しい。
それに侮辱された人間とは思えないほどにシャロンへの誹謗中傷がひどい。それを聞き入る家族もどうなの。
ヘレンに至っては同調して、アカデミーでいじめられているなんて嘘をつく。
名誉毀損で訴えられたら確実に負けるわね。庇ってあげる理由はないし、勝手にそう思わせておいたほうが私に火の粉は振りかからない。
裁判を起こすようならシャロン側の証人となり、嘘偽りなく真実を述べなくては。
どちらの言い分が正しいのか。
私の証言だけで弱いなら、誇り高き王宮第一騎士団、ウォン卿とラード卿にもお願いしてみよう。
正義感溢れる二人なら、嘘偽りのない証言をしてくれる。
アップルパイも食べ終わったことだし部屋に戻ろうと立ち上がった。
これ以上、ここにいても時間の無駄。
「おい!まだ話は終わってないぞ!!」
肩を掴まれ無理やり振り向かされると、お父様は大きく手を振りかざし頬を叩いた。
一瞬、視界がぐにゃりと回る。
バランスが崩れ、体はテーブルに当たり、置いてあるティーカップは派手に倒れお皿はかろうじて落ちなかった。
あまりにも突然のことだったのに混乱することなく冷静でいられる。
頬はじわじわと赤くなり口の中に鉄の味が広がった。どうやら切れてしまったみたい。
あらあら。捨て駒とはいえ娘の顔に傷をつけるなんて父親失格。
利用価値を見出したのなら壊れるまで丁寧に扱ったらどうなの。
ギョッと目を見開くカスト達の反応から、私が殴られることは想定外。
お父様が侮辱されたと、本人の口から聞けば、私が泣いて謝り、シャロンとの関係を断ち切ると謎の自信を持っていた。
残念ながらお父様を庇える要素はどこにもなかった。
私だってシャロンに非があるならお父様の言葉に同意しても良かったけど。
「ヘレンを差し置いて常識もわからぬ小娘を親友だと!?笑わせるな!!侯爵令嬢のくせにヘレンが可哀想だとは思わないのか!?」
「はい」
暴力で抑えつければ大人しく従うとでも?この腫れだと一週間は引きそうにない。
常識がないのはお父様のほうでは?
出かかった言葉をグッと飲み込んだ。流石に二回目は取り返しがつかなくなる。
「くっ……。この……!!」
今度はもっと強く拳は握り締められている。
想定外の出来事にも関わらず、力で勝っているカストとハンネスが止めようとしないのは、驚きの顔の下で、ざまぁみろと嘲笑っているのだろう。
本当は自分で手をくだしたいが、私のために行動に移したくもない。
お父様のこの行動はカスト達からしたら想定外すぎる展開。
醜く歪んでしまえと、強く望んでいるのがわかる。
あんなものを正面から受けたら鼻が曲がるか、もしくは骨が折れるか。
はは……お父様にとって私が傷物になることより、自分が無視されることのほうがよっぽど堪えるみたいね。
ぶつのではなく殴ろうとするお父様の喉元にウォン卿の剣先が突きつけられた。
わざと大袈裟に倒れて大きな音を立てて良かった。ウォン卿なら必ず来てくれると信じた。
「たかが騎士風情が無礼だぞ!!」
強がってはいるものの声が震えていた。ウォン卿は本気で刺し殺す覚悟がある。
王命で臨時で私が主となってしまってるけど、仮主にも関わらずここまで真剣に守ってくれるのは有難い話だ。
守るべき私に手を上げたお父様は罪人と同じ。
ここで死んだら、少しはヘレン達も少しは自分の言動に気を付けるようになるのかしら。
想像してみた。
お父様の首が斬られ、無造作に転がる様を。
ヘレンの甲高い悲鳴が響き、カストとハンネスは呆然と立ち尽くす。
悲鳴を聞きつけた使用人が部屋の惨状を目の当たりにすれば、腰を抜かす者も出てくる。
とても面白くなることは確かだけどダメね。お父様はまだ地獄に招待していない。
こんな怪我程度で殺してしまうのではあまりにも罰が軽すぎる。
自らが犯した罪と向き合う時間もなく、楽に死ねると思わないで。
ウォン卿には怒りを鎮めてもらい剣を収めてもらった。
“お父様からの暴力はいつものこと”と匂わせるように俯きながら微笑んだ。
正義を胸に誓った騎士は犯罪を見逃さない。
今日のことは、いずれ有利な証拠となる。第一騎士団副団長の証言は疑う余地がない。
傷の手当てをするためにヨゼフが連れ出してくれる。部屋から出る前にお父様に問いた。
屋敷の人間に甘やかされ何不自由なく暮らしているヘレンのどこが可哀想なのかと。
望んでいた答えを口にしただけなのにお父様は怒りに体を震わせ、顔を真っ赤にしていた。
ヘレンはヘレンで、私がそんな風に思っていると夢にも思っていなかったらしく、こちらも顔が真っ赤。怒りではなく、恥ずかしさからだろうけど。
いくら許可をされているからといって、侯爵家のお金を我が者顔で大金を使い続けるヘレンを甘やかしてないとは言わせない。
本来なら当主であるお父様か、小侯爵であるカストが厳しく注意なり何なりするべきことなのに。
やるべきことをやらずして、よく私だけを責められたわね。
お父様は私の質問に答えることはなかった。
これ以上は事を荒立てないようにカストとハンネスに宥められ大人しくなるも、私への殺意は膨らんでいく。