眩い外の世界【ディルク】
ー十年前ー
王宮で過ごす七度目の春。たった一度の好奇心から外に出てみたくなった。
広くて住み心地の良いはずの王宮は僕とお母様を歓迎してはくれない。
毎食のご飯にはいつも虫の死骸が入れられる。
陛下と王妃に食事へと誘われたら、まともな物は出てくるけどナイフとフォークは遊びで使われるようなオモチャ。
刺せもしなければ切れもしない。
一口も食べることなく食事は下げられる。
陛下に気付いてもらおうなんて期待は、これっぽちもしていない。どうせ僕のことなんか見ていないのだから。
食事に呼ばれる僕の席は、陛下達と少し離されていて、一人で食べているのと変わらない。
家族として仲の良いアピールをしたいのか、単に見せつけたいだけなのか。
どっちにしても僕には関係もなければ興味もない。
勝手に席を立ったら王妃に怒鳴り散らされるため、時間が過ぎるのを待つだけ。
僕のことが嫌いなら、視界に入れないようにすればいい。
いない者として、無視していればいい。
どうしてわざわざ、無駄に干渉してくるのだろう。
僕がいくら距離を取ろうとも、バカみたいに向こうから近付いてこられたら意味がない。
こんな無駄な時間を過ごすぐらいなら、勉強でもしていたほうが有意義な時間だ。
食器の件をその場で指摘したところで、大袈裟に謝って見せて陛下の許しを得る。王族なのにメイドのミス一つに目くじらを立てる器の小さい人間とレッテルを貼られるのが嫌でいつも我慢するしかなかった。
僕が反発したら責任を問われるのはお母様。こんな扱いを受けてはいても王宮だからこそ命がまだある。
陛下の側室という身分を剥奪されたら嫉妬に駆られた王妃に殺されてしまう。皮肉なことにお母様を守るには敵しかいない王宮で暮らすしかないんだ。
僕が我慢するだけでお母様が守られるなら、いくらでも耐えてみせる。
王妃付きのメイドが話しているのを聞いたところによると、一時でも陛下はお母様を愛していた。僕の誕生も涙を流すほど喜んでくれた。
それが今では目を合わせることもない。言葉だって一言二言だけ。毎日のように囁いた愛は完全に消えた。
人として最低限、挨拶だけはある。
僕も変なプライドがあり、陛下と顔を合わせたら陛下よりも先に挨拶をする。
王族の礼儀作法なんか知らない僕は、エドガーの真似をして。
それが正解かどうかはどうでもいい。
ただ僕は、嫌いな相手にもちゃんと挨拶をするんだ、と、嫌味をぶつけているだけ。
陛下に伝わっているかは定かではないけど。
そんな王宮にも一人だけ僕を王子として扱ってくれる人がいる。
それは
「外にですか?ダメですよ」
王宮第一騎士団長バルト卿。陛下からの優しい心遣いにより彼が僕とお母様の護衛に付いてくれる。
僕達を卑しい者として見下すこともない。たまに厳しい言葉をかけられるけど、理不尽に怒られているのではなく僕のために叱ってくれていた。
彼は信用出来る人物。
「どうしてもダメかな。これからは二度とワガママ言わないから」
じっと目を見つめると、段々とバルト卿の視線が逸れていく。
「はぁーー。わかりました。ですが私と二人だけの秘密ですよ」
「うん!ありがとう」
バレずに外に出るなんて簡単なことじゃない。
門には必ず二人の兵士が。見つかったら連れ戻されるか陛下に報告されるか。
ほとんどが王妃の手先であるなら、命令を一回背くことが命を危険に晒すのと同義。
それでも僕は……今日だけは外に出たいと思ってしまったんだ。
バルト卿は人目を警戒しながら騎士団の練習場まで連れて来た。
ここで騎士が遅くまで訓練所しているのか。
今は休憩中なのか、誰もいない。
ちょっと落ち込んでいると、ため息をつかれた。
僕がここにいることは誰にも知られてはいけない。騎士がいたらすぐにでも見つかってしまい、外出どころではなくなる。
だから本来は、いないことを喜ぶべきなんだけども。
訓練している騎士を見たかったのも本音である。
バルト卿は塀近くにある大きな木を軽々しく登った。
180センチ以上もあり、程よく鍛えられた体は幼い僕にはとても大きく見える。
そんな彼が素早く簡単そうに登っていく姿はカッコ良い。
目を輝かせていると、木の上から声を投げかけられた。
「殿下も早く。団員に見つかったら面倒ですよ」
「それはそうなんだけど。手を貸して。一人では登れないんだ」
「なぜです?まだ試してもないのに。最初から無理だと決めつける軟弱に鍛えた覚えはありません」
バルト卿は剣の師でもあった。
最後に自分を守れるのは自分だけだと。そのために強くなれと独断で教えてくれている。
許可されていないことを勝手にやれば、バレたときバルト卿は責められるだろう。
そのとき僕は、バルト卿を庇える立場にないのが悔しい。
所詮僕は、名ばかりの王子で、きっと生まれてくるべきではなかった存在。
僕がいなければお母様もバルト卿も窮屈な生活を強いられることはなかった。
僕さえいなければ、お母様は王宮を去ることは出来ただろう。せめて女児を産んでいれば、王宮の外でも殺されずに生きていけたんだ。
僕なんかのせいで騎士団長としての職務を外され、役立たずの第一王子の護衛に付けられることもなかった。
陛下の護衛騎士だったバルト卿が僕の護衛騎士に付けられるのは、バルト卿の評価が下がったんじゃないかといつも不安が胸をよぎる。
そんな否定的な僕を、それでも愛してくれるお母様と、僕と真っ直ぐ向き合ってくれるバルト卿が好きだ。
特にバルト卿は、何者でもない僕の可能性を切り開けると信じてくれている。
木登りなんてやったことも見たこともないけど、ここを登らないと外には出られない。
やったことがないのに無理だと決めつけるのは愚か。何より信じてくれているバルト卿に失礼だ。
何度も足を滑らせながら、少しずつでも確実に登っていると入り口から聞こえてきた団員の声に集中力が削がれた。
この高さから落ちたら死なないにしても重症は避けられない。
あと少しだったのに……。
大怪我をしたらどうなるだろう。
どうもならないか。王妃はいい気味だと笑い、陛下は見舞いにも来ない。
でも、お母様をひどく心配させてしまうな。
いっその事、頭から落ちて死んでしまえば、二人を自由にしてあげられるんじゃ……?
うん。そうだ。僕が死ねば良いんだ。
なぜこんなにも簡単な答えに辿り着けなかったんだろう。
みんな僕がいなくなることを望んでいる。死は僕がこの世に生まれた瞬間から取るべき行動でもあった。
人は死ぬ直接、走馬灯を見ると言うけど……。
「よく頑張りましたね」
死を決意した直後、伸ばした手を掴み引っ張り上げてくれた。
落ちないように鍛えられた腕が潰さないように僕を抱きしめる。
──僕は今、何を思った?
死んだらいいなんて、そんな……思っていいわけがない。
駆け巡る走馬灯は、僕がどれだけお母様に愛されていたのか実感させられた。
お母様はいつも僕に「愛してる」と言ってくれた。
生まれてきてくれたことが幸せなのだと笑ってくれていた。
僕が僕を諦めた一瞬は、そんなお母様を侮辱したに等しい。
誰かに抱きしめられらのはいつ以来だろう。
朧気な記憶にあるのはお母様の温もりだけ。いつも優しく微笑んで、愛しく名前を呼んでくれた。
「愛している」と優しく力強く抱きしめてくれた。
今はもうそんな甘えたことは出来ないけど、名前を呼ばれるだけで愛されいるのだと実感はする。
「殿下?どこかお怪我でも?」
「いや。大丈夫。……行こう」
心配そうな目を伏せて、いつも通りの顔でうなづいた。
行くことの許されなかった外の世界。
期待と興奮で胸が高鳴る。
僕を抱えたまま塀に飛び移り、そのまま下に降りた。