欠席の理由
すっかり教室は、ヘレンの糾弾ではなくカルを異性として意識する空気が流れる。
悪い意味で注目を浴びていたヘレンだったけど、見向きもされなくなると、それはそれで腹が立つらしい。
悔しそうに奥歯を噛み締めながらカルを睨む。
向けられた敵意に気付かないような鈍感なカルではなく、事を大きくしたくないのか敢えて受け流す。
数人の女子生徒に放課後の予定を聞かれて焦るカルは可愛い。
もしかして恋愛に興味ないわけじゃなくて、女性にあまり免疫がない?
騎士として真面目に生きていれば、女性と接する機会は多くはない。加えて第一王子の護衛。
休暇を貰えたとしても鍛錬に費やすのであれば尚更。
私はディーの婚約者。必要以上に接することは極力控えてる。
色々と合点がいった。
カルがみんなの注目を浴びてる間に、こっそりとシャロンに連れ出される。
誰も私達を気にも止めない。
人がいないのを何度も確認して空き教室に入り鍵まで閉めた。
ここは二階でベランダもない。にも関わらずシャロンは窓の外もチェックした。
外から中は見える。読唇術を警戒しているのかカーテンも閉めた。
ドアの向こうで聞き耳を立てられているかもしれないと、教室の真ん中で小声で話す。
「アリーはこのまま早退して」
「そんなに心配しなくても大丈夫よ」
そういうことなら連れ出さなくても良かったのでは。
シャロンの瞳が揺れた。
悔しそうに唇を噛みながら、次に発せられた言葉は震えていた。
「ディルク殿下が昨夜、襲われたわ」
「え……?」
心臓が飛び跳ねた。
血の気が引くのがわかる。
シャロンは何と言った?
ディーが襲われた?そんなはずない。
だってディーは今頃……。
あぁ、嘘、だったのね。私に心配かけまいと、公務だと偽った。
襲われて、怪我をして、苦しい思いをしてるのは私ではなくディーなのに。
どこまでも優しい人。
視界がぐにゃりと回る。
前世でディーが生きていられたのは私が無関心で興味を示さなかったから。エドガーの地位が揺るぎない確固たるものだったからだ。
それに比べて今のディーはエドガーから全てを奪える。
富も名声も、最も欲した王の座さえ。
私がディーを選ぶということは、ディーの平穏を壊し命を危険に晒すことだと、なぜわからなかったの!?
「落ち着いてアリー。殿下は大丈夫」
私を抱きしめるシャロンは温かい。
繰り返し「大丈夫」と囁くシャロンは私が取り乱さないよう宥めてくれている。
私のせいで……私なんかのせいでディーが死んでいいわけがない。
「アリー!!落ち着いて。ゆっくり深呼吸して。大丈夫だから」
私の不安を取り除くかのように抱きしめる力が強くなった。
言葉ではなくシャロンの行動が、ディーが死ぬ最悪の事態にはなっていないのだと伝えてくれる。
良かった。良かった……。
落ち着きを取り戻した私から離れて、ディーの状況を教えてくれる。
「今は安全のため隠れて療養してる。隣国の王太子の結界で守られているけど、一人では心細いはずよ」
「どこに…行けばいいの」
「ここに書いてある」
「ありがとう。貴女が親友で本当に良かった」
「ちなみにだけど。犯人、聞く?」
「いいえ」
そんなのエドガーに決まっている。
厳重警備の王宮に暗殺者を忍び込ませられるのは王宮に住む人間だけ。もしかしたら王宮に勤める使用人かもしれない。
犯人の特定はどうでもいい。指示をしたのがエドガーなら必ず証拠となる何かを残している。
仮にも王子殺害にはリスクが伴う。それ相応の見返りがないと、いくらプロでも引き受けない。
暗殺者が最も喜ぶもの。お金?これでは安直すぎる。
もっと別の…人を殺した彼らが生きていけるような……。
これまでの罪を不問にする約束をしたのね。それなら捕まることはないし、万が一捕まったとしても自由に逃がすことも出来る。
口約束ではなく書面に書かせたはず。エドガーが裏切ったりしないように。
腹違いとはいえ兄を殺そうするなんて。ディーがいなくなれば私の婚約者になれると思って?そうまでして国王になりたいの?
今でさえ富と権力を兼ね備えているじゃない。それだけは足りないなんて。
人を支配する力はそんなにも魅力的なのだろうか。私には到底理解し難いものをエドガーは欲している。
なぜ私はもっと食い下がらなかったの。カルなら真実を教えてくれたかもしれなかった。
真実から目を逸らすことが愚かだと、一度殺されたことにより身に染みてわかってたはずなのに。
惨めになるのと、多少の罪悪感を背負いながらも生きていくのなら、後者のほうが生きやすかった。
今の私は違うでしょ。みっともなく足掻いて生きて、私を殺した彼らに必ず復讐を遂げるを誓った。
謝らなくては。ディーを危険に晒したことを。
荷物は帰りにシャロンが届けてくれる。早退理由も信頼出来る教師に伝えておいてくれる。
理由は後で聞こう。
私がすることは一秒でも速くディーの傍に駆けつけること。
生涯でこんなに全力で走るのは後にも先にもディーのためだけ。
一歩足を前に出す度に息苦しい。止まってしまいたいのに、体は意に反して進む。
王都には王族所有の建物がいくつかある。その中には今は使われなくなって放置されているものも。
ディーが療養している場所も、まさにそこ。
放置されているのだから当然、手入れもされていない。そんな場所で療養するなんて誰も思わない。
小さな小屋の中にはベッドが一つだけあって、そこにディーが眠っていた。
思いの外、中は綺麗だった。誰かが掃除したかのように、埃一つ落ちてない。
不測の事態に備えて、ここを使えるように手入れしているにしても、綺麗すぎる。
外観と中が合っていない。
物置のような小屋に入ると、まるで王宮のような輝きを放つ。窓はなく太陽の光が差し込まないのに。
丸太の椅子は一個だけ。カルが座る用かしら。
人様の椅子に勝手に座るのは良くない。何より、目の前でディーが苦しんでいるのに悠長に座ってなどいられなかった。
眠るディーは大量の汗をかきながらうなされている。悪夢を視ているんだわ。
こんなときどうすれば……。
ハンカチで拭いても顔色は良くならない。
枕元に水の入った桶があり、不思議なことにその水は冷たかった。
いつから置かれているのかわからないけど、井戸から汲みたてのように冷たいのだ。
桶と横には未使用のタオルが数枚用意されている。
きっと汗を拭くためね。
濡れたタオルを絞れるだけの力は私になく、ハンカチを水に付けて、不快にならない程度に絞る。
額や頬、首筋を拭いた。
体も拭いたほうがいいんだろうけど、そこは本人の許可なしには無理だ。
他に私が出来ることは……。悩んでいると、か細い声が私を呼んだ。
でも、目が覚めたわけではなさそう。
呼ばれたのは一回だけど、耳には弱々しいディーの声が残る。
今の私がディーにしてあげられることがあった。
両膝を付き、包み込むように手を握って「ここにいる」と伝えると聞こえていたのか、口元が綻んだ。
「ん…?アリー?」
今度こそ目が覚めた……わけではない。
「ふふ、すごく良い夢だな。アリーと手を繋いでいるなんて」
寝ぼけているみたい。夢と現実がごっちゃになってる。
子供みたいにはにかむディーが可愛かった。まるで安らぎに包まれているかのような表情。
「これが夢なら言ってもいいよね。僕はね、君のためなら何でも出来る」
体を起こして私の頬に手を添えたディーはそっと顔を近づけてきた。お互いの息が交わるぐらい近くて、心臓の音が急激に大きく速くなる。
エドガーと距離が近くなっても何も感じなかったのに。
「だから……。だからねアリー。僕を愛して欲しい」
顔を引っぱたかれた気分だった。
私はいつもディーの優しさを受けるだけ。当たり前に思っていたわけではないけど、私が返しているものは何もない。
国王にするのだって私個人の復讐のため。そこにディーの意志はない。
ディーが私を好きなことは、わかっていた。好きな相手に何も望まない無欲な人だと、自分勝手に思い込むことで現実から目を背けてきたんだ。
「現実に言ってしまったらアリーを困らせてしまうよね。夢で良かった」
「夢じゃなくて現実よ」
ディーの隠れた本音を聞かなかったふりをして、今まで通り過ごすのは簡単。ディーだって夢だと思い込んでいるし私が口を噤んでいれば……。
そんな切実な願いを聞かなかったことにするなんて私には無理だった。
意識がハッキリしてくると、ディーは状況の理解をして声にならない悲鳴を上げた。