温厚な彼が怒ったら
壮大な昔話は胸が締め付けられるほど切なかった。
「信じられないかもしれないけど本当のことなんだ」
「信じてるわ。ただ……語られなくなった御伽噺のようなことをディーは知っているの?」
「日記を見つけたんだ。初代陛下の。そこにはもっと詳しくドラゴンとの日々が綴られていた」
読みたいなら貸してくれると言ってくれたけど、そんな貴重な物を持ち出すなんてあってらならない。
読めるなら読みたいな。絶対に口にはしないけど。
言ってしまえばディーは本当に持って来てくれる。
初代陛下の日記なんて恐れ多くて触れられないわ。そこまで無神経じゃないもの。
ディーの願いが叶ったのは条件を満たしていたから。
愛する者。私の死に絶望して途方もない悲しみに暮れたのだろうか。
約束を果たしたドラゴンは友の待つ場所に逝ってしまったのだろうか。
国を滅ぼす力を持つなら人一人の人生をリセットすることは容易い。
たった一人の友を失い、それでも孤独に生き続けたドラゴンが何だかとても愛おしい。
どうせなら声だけてはなく姿も見てみたかった。
気高く美しい姿に違いない。
「ありがとうディー。私のために」
「え?」
「何でもないわ。それより戻りましょう」
「そうだね」
会場ではディーがいなかったためお茶会はまだ開始されていなかった。
ディーも王族なわけだしね。それだけは忘れないでくれていたみたい。
王妃は待たずに始めたかったみたいだけど、陛下は許可をしなかった。
過去に行われたお茶会でも王族が皆、揃った状態で始まっているのにディーが欠けたまま始めてしまったら歴史に傷がつく。
用意されたテーブルには何人かがグループを作って既にお喋りをしていた。友達同士だったり親の命令で上位階級の令嬢と同じテーブルに座っている。
カルとヘレンがまた一悶着起こしてることは、いい加減目を逸らしたい。
悪いのがヘレンであるのは周りの反応から推測出来る。
大方、乗ってきた馬車を私にあげればいいなんて無神経なことを言ったのよね。
シャロンに聞くと本当にそうだった。もうため息しか出ない。
その発言に関しては庇えないとカスト達でさえ距離を取っている。
あらあら。大切なヘレンを見捨てようとするなんて。そんなに我が身大事なのね。
事態を収めようとエドガーがお茶会を開始させようとするも、当然ディーに止められる。
ヘレンの立場が悪くなればなるほど、私が死んだあと代わりの王妃となるのが難しくなる。
今日でローズ家の評判はガタ落ち。上手くいけば何人かの貴族は従わなくなる。
そうなればディーを支持させるチャンスに繋がる。
「私の贈り物を勝手に使っただけでなく、あまつさえそれをアリーにあげろと?」
「元々はアリーに用意したんですよね?全然問題ないはずじゃ……」
大アリよ。別の女性が使った物をそのままあげられるわけがない。
そこまで頭が悪かったなんて。
貴女だって嫌でしょう。エドガーから貰ったプレゼントを、私が使った後に渡されるのは。
馬車は即刻処分が決定した。
残しておいても得はない。同情を引けるのは最初だけ。使わない馬車をいつまでも置いておけば次に同情されるのはヘレン。
人の物を盗ったことは褒められることではないにしても、これみよがしに、まるで無言で責めているようだと。
異論を唱えるのはエドガー派の貴族だろうけど。
どこのテーブルに行こうか迷っていると、目が合ったニコラが微笑んだ。
そこはちょうど二人分の席が空いている。
貴族マナーに則って席についていいか聞くと、「もちろん」と快く許してくれる。
同じテーブルにつこうとするヘレンを制止した。ここまでトラブルを起こして歓迎されると思っているヘレンがすごい。
空いている席は二つ。このテーブルの顔ぶれを見てわかるように、ヘレンはお呼びではない。
改めて見ると、自分勝手でどうにか意見を押し通そうとしてる。侯爵令嬢になったと勘違いしていない?
私達が戻ってきたことによりディー派でもエドガー派でもない、中立の令嬢達がシャロンとカルに席を譲ってくれた。
「ローズ家の彼らと席を一緒にどうですか。貴女は家族ではないのだから問題はないでしょう?ヘレン・ジーナ子爵令嬢」
ディーが本気で怒るとこんな感じなんだ。有無を言わさない圧力に黙って離れた席についた。
それもエドガー派の貴族が集まるテーブル。良かったじゃない。慰めてくれる人がいっぱいいて。
可哀想と同情するほどヘレンへの気持ちは残っていない。
大好きだった愛らしい笑顔で私を「最初から大嫌いだった」と言うまでは。
私がヘレンのためにしてした行いは全て無駄で、唯一、感謝されたことはヘレンが王妃となるための踏み台となったこと。
運良く侯爵家に生まれたハズレ令嬢と嘲笑うヘレンは、私の努力を見ようともしていなかった。
侯爵家の名に恥じないように、そして何よりいずれローズの名前を与えられるヘレンのために私は……。
牢の中にいた頃は毎日が絶望だった。
次々に明るみになる真実に衝撃を受けながらも、どこか冷静な自分もいて、死ぬために生かされている時間だけが過ぎていくだけ。