罪と罪
「貴様!!カストに何をした!!?この悪女めが!!」
屋敷に入るなり怒鳴り散らしてくる侯爵。想定内ではあるものの、聞き流すよりも反応してみせたほうが、臨時の護衛騎士からの心象をより悪く出来る。
「何、とは?」
「とぼけるつもりか!!」
興奮して今にも殴りかかってきそうな侯爵を制止するように護衛騎士が前に出た。
自分よりも背が高く体格の良い騎士に怯える。
彼らはただ立っているだけなのに、何かをされたと被害者ぶるのだから、いかに侯爵が自分を中心に生きているのか嫌でもわかってしまう。
「カストが青ざめて戻ってきた!お前が傷つけることを言ったに違いない!そうだろう!!?素直に認めたらどうだ!!」
見下している私から何を言われても傷つくような繊細な心を持ち合わせていないでしょう。
仮に持っていたとしたら、少なくとも冤罪で私を殺したりはしない。
「そうやって黙っていれば罪を見逃してもらえると思うなよ!!!!」
「……罪?」
体の内側から湧き上がる黒くて熱い感情。
血が沸騰する。
「侯爵は」
護衛騎士より一歩前に出れば、察してくれたのか後ろに下がった。
「やたらと私を目の敵にしますが、私は侯爵に何かしましたか?」
巨大な恐怖を見た。
起きてもいないことを現実だと錯覚してしまうほどの。
あのときのセシオン団長の存在感は圧倒的。
夢にまで出てきそうな。
体を大きく見せなくても与える恐怖一つで、相手の見方は変わると学んだ。
体格も力でさえ私のほうが劣るのに、侯爵のほうが怯え恐怖する。
「教えて下さい。私の罪とやらを」
いつだって私は彼らのために尽力してきた。認められることも感謝されることもなく。
ひたすらに身を粉にして。
文句だって言ってこなかった。望む通りの操り人形だったのに、それでも彼らは。私の存在を疎ましく思う。
罪?そんなものがあると言うなら是非とも教えてもらわなくては。
彼らが隠していることが罪でないと言うのなら。罪とは何なのか。
青ざめ一歩下がった侯爵に、一歩詰め寄る。
「くっ……。こ、この!!謝らなかったことを、せいぜい後悔するといい!!」
逃げた。みっともなく。背を向けて。
「アリアナ様。追いかけますか?」
ラード卿の声は怒りを含んでいる。
剣に手をかけていても抜かなかったのは、抜いたら最後。剣を振り下ろす自信しかなかったから。
顔に血管が浮き出て奥歯を噛み締めながらも、落ち着こうと気持ちを整える。
眉間の皺が深いことから、全然落ち着けていないのは確か。
「いいえ。大丈夫です」
後悔するのは私ではなくて彼らだから。
「それよりも。お見苦しいとこを見せてしまい、申し訳ございません」
「い、いえ!そんな!!」
今日だけのために派遣された護衛騎士は慌てて手を左右に振った。
ウォン卿からある程度のことを聞かされていて覚悟はしていたとはいえ、想像を超えたはず。
仮にも当主があんな小物で、しかも。実の娘を悪女呼ばわり。
長兄が次期当主だとしても、あまりにも私との態度の差がありずきる。
私を嫌っているという理由だけでは説明がつかないほどに。
父親にあんな態度を取られて暴言まで吐かれた私を心配してくれるのは優しさの表れ。
「アリアナ!!」
長兄、侯爵、あの子。三連続でくるなんて。
少しは休ませてくれてもいいんじゃないかしら。
「アリアナ!!今すぐに招待状を受け取った令嬢を処罰すべきよ!!」
興奮状態にあり、言葉の意味がわからない。私以外。
天使の面影なんてなく、醜く顔を歪ませては私からの賛同を得ようとしている。
「処罰?何があったのかをちゃんと説明しなさい」
睨むつもりはないのに、あの子を前にすると自然に目つきが厳しくなる。
「私と同じ淑女に選ばれた令嬢が誰一人としてお茶会に来なかったのよ!!!!」
ふと、思う。
もしも、マリアンヌ様からお茶会の誘いがなかったとして。
教養もマナーもない、問題児と同レベルと思われるかもしれないのにわざわざお茶会に参加するだろうか?
私ならしない。絶対に。
今回はアカデミーで言いふらしてくれたおかげで参加しなくてもいいという雰囲気は出来上がっていた。
──魅了香を付けさせて操り人形を作りたかったのに残念ね。
勝手に自滅してくれたお礼に、つい笑みが零れた。
それを好意的に受け取っては満足そうに大きく頷く。
「私は優しいから没落は許してあげるわ。そうねぇ。五年間は社交の場に出るのを禁ずるっていうのはどうかしら」
二十歳になった子息と令嬢を祝うパーティーに参加するなということ。
大人になればこれまでよりもっと深く、貴族の世界に足を踏み入れる。
パーティーはその第一歩。それを欠席しろと言うのはつまり、貴族としての各が下がるだけではなく、その家門は一生、他の貴族から見下されることになる。
王妃の顔に泥を塗り恥をかかせたのだから、その罰は妥当なのかとしれない。
──処罰するのが王妃であれば、ね。
「どうして貴女にその権限があるのかしら」
「私の話、聞いてなかったの?」
「聞いたわ。だからこそ、疑問なのよ。王族でもないただの子爵令嬢がなぜ、王妃様に代わって罰を与えようとしているのか」
「当然でしょう?だって私はみら……」
寸前で止まった。ハッとしたように口を閉ざす。
すぐそこまで出かかった言葉を飲み込み、私に聞かれていないかを確認するように視線を向けてくる。
「私は、何?」
敢えて、最後には触れない。しっかりと聞こえていなし、その先に続く言葉も私はちゃんと知っている。
「答えてくれないかしら。納得のいく理由があるんでしょ」
「だ、だから……そう!!私はエドの友達なのよ!!」
「「は?」」
みんなの心の声が聞こえた。実際に口には出してないけど。
不可解さ。理解不能の思考回路を持つあの子を、人間として見ていない。
常人には到底、理解し難い思考はある種の化け物。
「エドと友達である私には彼女達を罰する権利があるわ」
胸を張って支離滅裂なことを言うなんて。呆れて何も言えない。
正論で私を看破したと思い清々しい笑顔。
いつからこの国は、友人の身分や権力を我が物として使えるようになったのかしら?
新しい法律だとしたら私の耳に入っているはずだし。
もしかしたら。あの子を愛するあの男が好感度を上げるため、適当に嘘を言ったのかも。
──それなら納得ね。
ラジットの目のことも、真実を歪めて自分こそが正義であると嘘吹いて。
他人の心を踏み躙ることしか頭にないのだ。
「じゃあ……。ディーの婚約者である私は当主をも裁く権利があるということかしら」
「ぷっ……。あはは!!何言ってるのよ。あんな私生児にそんな権限があるわけないじゃない。正当な継承者はエドだけなのよ?」
怒ったり私を見下したり、大忙しね。
ディーを支持する彼らの前で、よくもまぁそこまでハッキリと……。
失言を庇ったりはしない。私が言わせたわけでもなく、発言の責任は本人が取るべき。
王族侮辱罪で捕まったとしても私は嘘偽りなく、真実だけを証言すると神に誓う。
「ディーは確かに側室であるソフィア様の息子よ。だからといって王位継承権がないと誰が言ったの?」
「エドよ!!エドがそう言ったわ」
それは正確ではない。
あの男はきっとこう言ったはず。
「バカなアリアナは運命を信じて俺を婚約者に選ぶ。王座は最初から俺のものだと決まっていたんだよ」
少なくとも陛下は、平等ではないけど二人の王子に王位継承権を与えていた。
剥奪なんてしていない。
そして何より。私が選んだ王子が王太子となるのだ。選ばれなかったもう一人こそ、継承権はない。
「ふふ」
「な、何よ」
「随分とおかしなことを言うものだから。つい笑ってしまったのよ」
「おかしなことですって?」
「あら。自覚がないのかしら」
「ハッキリ言ったらどうなの!?」
「貴女は第二王子殿下のために、令嬢を罰したいのよね?」
「ええ、そうよ!」
「お茶会の主催者は王妃様なのに?」
どんなにあの男が腹を立てようとも、罰する権利などない。
なぜなら。エドガー・リンデロンもまた王妃から招待状を受け取り参加したゲスト。
血を引いた息子であろうとも、王妃の名を語り誰かを裁こうものなら罪に問われる。
あの子がこんなにも騒ぐのだから当事者でもある王妃はもっと怒り狂う。
王族の名に傷をつけて侮辱したと、陛下に泣きつくつもりかも。
冷静さを欠き取り乱す姿は権力を維持し誇示したいだけの暴君。
私を殺したのはあの男を含めた六人。王妃は協力すらしていないのだろう。
でも、真実を黙認していた可能性のほうが高い。
何もせず傍観者でいて、許される罪なんてないんだ。
罪を冒した者は等しく裁かれるべき。
死よりも重く苦しい罰を、王妃には与えるつもりだ。
「ねぇヘレン。もう一度だけ聞くわ。貴女は一体、何の権利があって彼女達を裁こうとしているの?」
頬に手を添えた。
よく手入れのされたなめらかな肌。女としての魅力を保つための努力。
この顔を今ここで、ぐちゃぐちゃに切り刻むことが出来たのなら。きっと爽快。
私にはいつも憎しみや殺意を向けてくる目をじっと見つめる。
心の奥を見透かすように、ただじっと。
「たかが子爵令嬢が王妃気取り?」
瞬時に顔を赤らめた。怒りというより羞恥に近い感情。
調子に乗った発言で周りからの視線がいかなるものか、ようやく気付いたようね。
拍車のかかった勘違い。
軽く肩を押せば、その場に尻もちをついて私を見上げる。
これが今の私達の立場であると表すような構図。
血が滲むまで強く唇を噛む。
自力で立ち上がろうとさえしない。
「よく覚えておきなさい、ヘレン。貴女はヘレン・ジーナであるということを。そして……国母でもある王妃様は些細なことで目くじらを立てて人を罰することもないと」
器が小さく、思い通りにならない人間を切り捨てようとする貴女は王妃どころか、ローズの名を持つ資格さえない。
私に伸ばされる手は図々しくも助けを求めるだけではなく。過去のように尽くせと命令していた。
この手を掴めば承諾したことになる。あの子は侯爵にまた頼むのだろう。
私を甘やかせと。
──くだらない。
「いつまでそうしているつもり?早く立ちなさい。みっともないでしょう」
あんなにも求めて欲していた家族からの愛を、くだらないと一言で片付けられるほどに私は彼らを必要となんてしていない。
いらないんだ、愛なんて。
今日はもう疲れた。ニコラの紅茶を飲んで、もう休もうかしら。
ダイヤモンド鉱山と私の資産を何としてでも横取りしたい侯爵達は、すぐにでも私を殺す計画を実行する。
ただ殺すだけではない。私を悪女に仕立てあげるため、あの男の暗殺計画書を作成する。
内容に問題はない。問題があるとすれば暗部が協力してくれるかどうか。
今回でっち上げる証拠は、侍女を追い出すために作ってもらった手紙とは訳が違う。
途中で魔法の効果が切れると……。
──偽装する必要なんてないんだ。
私の筆跡で書かれた計画書のほうが、彼らの背後に魔法使いがいるとこへの証明になる。
誰が書いたかなんて、わかるはずがないんだ。それこそ、魔法使い以外。
私達と彼ら。どちらの言葉がより信じてもらえるか。
鮮明に浮かび上がる悪夢。
処刑台に登り、首をはねられるのは……。




