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「アリアナ!」
屋敷に入るなり珍しいことに長兄が駆け寄り声をかけてきた。
誤って触れてしまわない距離を保ちながら。
あの子が絡んでいないのに、殺したいほど目障りな私と話したいこと。見当はつく。
このまま無視をする選択肢もあるけど、からかうのも面白そう。
「何かご用ですか。小侯爵様」
「陛下にはちゃんと言ってくれたんだろうな」
「何をでしょう?」
とぼけるように首を傾げた。
カッとなるも話をしたい長兄は冷静になろうと息を吐く。
第二王子と王妃だけではまだ足りない。最高権力者である陛下の懐に入ることが出来れば怖いものなし。
天下のアルファン家さえ超えられると勘違いしている。
「ここは少し騒がしいようですし、場所を変えましょう」
充血した目を見開き今にも飛びかかってきそうな侯爵は、あれで隠れているつもりなのかしら?
体を半分も出して、殺気まで飛ばして。
私の言わんとしていることがわかった長兄はうなづいた。
侯爵に邪魔をされたくない気持ちが強い。
「どこに行く?」
「騎士寮に」
護衛がいてくれるから応接室でもいいけど、ローズ家の騎士団に見せてあげないと。
貴方達を率いる団長がいかに権力にしか興味がないのかを。
屋敷から離れた位置に建てられた寮は歩いて行ける距離にある。
長兄のように団長職に就く歴代の当主がいたからだ。
姿を隠すことなく後ろをついてくる護衛騎士に不機嫌になりながらも暴言は吐いてこない。
こんなにも真面目な一面があるのだと感心してしまう。
訓練場では騎士が訓練に取り組んでいた。
一定の間隔を開けて二人一組になり木刀で打ち合う。
本気ではないとはいえ、かなりの音。後方に飛ばされる者もいる。
「団長!アリアナ様!」
こちらに気付いたコゼット卿が団員を一列に並ばせた。
いつからやっていたのか。汗を流し息を切らす人が多い。
乱れた呼吸を整える必死の彼らに
「この程度で疲れたのか」
まるでたった今、訓練を始めたかのような言い方。
見下すような目付き。
長兄ほどの実力者ならどれだけの時間、真面目に訓練をしていたからわからないとでも?
騎士団での長兄を初めて見たけど、侯爵と同じく暴君。
ここでの天下は長兄一人。
誰にも邪魔され奪われることのない城。
彼らも団長であり次期当主には逆らうこともない。
───さっきの評価は取り下げね。
真面目なのではなく、自分にとって都合の良いこと以外はどうでもよく、都合の悪いことは大事になる前に対処したい。
クズとしての才覚を誰よりも持っていたのは長兄だったわけね。
「早く訓練に戻れ。ローズ家の騎士団がその程度でどうする!?」
強くなることだけにこだわり、周りを見ようとしていない。
視野が狭くなっている。
私が従順だった頃なら余裕もあり、団長としての正しく立ち振る舞えていたはず。
皮肉ね。侯爵家の事業が上手くいくのも、長兄が実力を発揮出来るのも、次兄が婚約者との愛を守れたのも全て私のおかげなんて。
それらは最初から彼らにとっては当たり前で、感謝することはない。
その逆で私が感謝しなくてはならなかった。
家族のためになることを、させてもらっているのだと。
「ジョルド卿、トマス卿。足を怪我しているのではありませんか?騎士として強くなりたい気持ちもわかりますが、自分の体を第一に考えて下さい」
「え?あの……。名前」
「覚えていて下さったのですか?」
「もちろんです」
私が人よりも記憶力がいいのを知っているはずなのに。
なぜそんな質問をしたのか。
照れたような、嬉しいような表情。
頬を掻きながら遠慮がちに口を開く。
「じ、実は数年前。アリアナ様のおかげで我が家は大きな損害を未然に防ぐことが出来たのです」
「自分の家もそうです。領地に雨が降らずに土地が痩せて困っていたときに、アリアナ様が打開策を見出してくれて」
二人を皮切りに次々と団員は私に感謝を伝えた。
彼らの実家はローズ家と共に第二王子の派閥に属する。
私と面識がある者は多くない。
屋敷に来るのは当主だからね。彼らは日夜、訓練に励む。
会ったことのない私が団員の名前を知っているのは、合格者リストに目を通しているからだ。
私の役割ではないとはいえ、ローズ家に関わることを知っておくのは当たり前で、入団した彼らの顔と名前を覚えるのも当然。
嬉々として語る彼らを見るに、もしも間違いでなければ……。
数ある騎士団からローズ家を選んでくれたのは、長兄に憧れているからではなく、私の力になるため。
賢い長兄はすぐさまそのことを理解した。
認めたくない。私なんかに人望があることを。
握り締めた拳は爪が食い込むほどに強い。
ここにいるのが侯爵か次兄なら、怒鳴り声が響いていた。
よく我慢しているわね。屋敷内もしくはあの子が関わっていたらすぐに怒鳴り罵倒していただろうけど。
「アリアナ!話をするんだろう!!」
どうやら我慢はしていなかった。
手にするべき羨望の眼差しが私に注がれることが許せず、寮に入るよう促す。
冷静沈着な長兄の荒れた姿に団員は戸惑いを感じている。
入団の理由が私だったとしても、憧れ自体は本物だった。
幻滅されているのは妹に対しての態度。居候のために妹を蔑ろにしていたら、そうなるわよね。
──そうだった。
私にでっち上げた証拠を突きつけたのは長兄であり、他の団員はその場にいなかったんだ。いつだって。
長兄も知っていたからだ。誇り高きローズ家の騎士が、不正に手を貸すはずがないと。
彼らが私の無実を訴えてくれていたらいいなと、願望を抱きながらも今となっては過去を知る術はない。
「いいえ。ここで大丈夫ですよ。小侯爵様が不都合でなれば」
「私もここで構わない」
安っぽい挑発に乗ってくるのは、こんなことになっても尚、操り人形のままだと思い込んでいるから。
その目。無意識に嫌悪を示す。威圧するかのように胸を張って体を大きく見せる。
小物感溢れる長兄に笑ってしまわないように耐えた。
憧れる要素なんてどこにもない。頼もしい背中はなく、私よりも歳上で騎士として鍛えているのだから大きくて当たり前。
現実は最初からずっと、こんなものだったのか。
「それで。陛下に言伝するこもを頼まれてはいなかったと思うのですが」
「いちいち言わなくてもわかるはずだ!!私が次期侯爵としていかに優秀で、陛下に高い忠誠心を捧げているかを伝えることくらい!!」
自分で優秀とか言うんだ。実績を見ればそうなのかもしれないけど、今の長兄は愚行が目に余る。
すごいわね。全員がドン引きしている。
長兄がどれだけ優秀かを知っているからこそ、自分で言ってしまうその神経が信じられない。
こういうとこは、あの子とソックリ。
無駄に自信家で、やることなすこと正しいと思えるのか。
ポジティブというよりかは、世界は自分を中心に回っていると子供みたいな考えを持っているのだろうか?
あの親の血を色濃く継いでいれば、そうなってしまうのも無理はない。
「小侯爵様が忠誠を誓っているのは第二王子殿下ではないのですか?」
貴方達はあの男を絶対に裏切れない。
夫人の姿をお母様に変える魔道具を借りているのだから。
手の平を返して裏切ることがあれば、最大にして最低の秘密は公となる。
あの男が将来、玉座に就けばどこよりも贔屓し甘い蜜を吸わせてくれると約束もしているのだろう。
お互いが利益のために裏切らない誓い。
「お前は身勝手な愛のために一族を狂わせていることにまだ気付かないのか!!!?」
身勝手な愛?それは貴方達のことでは?
ヘレン・ジーナをヘレン・ローズにするためにありもしない罪で私だけを晒し者にして殺した。
それとも何。家族のための愛は身勝手ではないとでも?
それこそが身勝手だと思う私がおかしいのだろうか。
謝罪を待つ笑み。寛大な心で許すつもりらしいけど、私は許されるようなことは何もしていない。
ただじっと、長兄を見つめていると勝ち誇った笑みは段々と崩れていく。
上がっていた口角は下がり固く結ぶ。眉間に皺が寄り、眉もつり上がっていた。
典型的な怒りの表情。
あと少しすれば手が出てきそうね。
「アリアナ!!その態度は何だ!!!!」
「何、とは?」
「これまで散々、お前のためにしてやったことを忘れたのか!!?」
恩着せがましい言い方。
家族が私に何をしてくれたと言うの。
興奮する長兄に興味を持つことなく、視線をズラして騎士達の反応を確認した。
冷静さを欠き、声を荒らげ、今にも暴力を振るいそうな姿は、憧れ目標としてきた団長ではない。
「よく覚えています。訓練が忙しいからと小侯爵様が主催するパーティーの準備及び、招待状の作成。領地経営も任せて下さいましたね。後学のために学ぶ機会を与えてくれたこと、誠に感謝しております」
ニッコリと笑った。
これまでに私が長兄に命じられて代わりを務めた仕事を、わざと大声で言えばそれをかき消す声量で
「黙れ!!!!」
叫んで、ハッとした。
ゆっくりと振り返っては、失望や軽蔑の視線を向けられていることに気付く。
弁明をしようと口を開くも、彼らの態度がそれを許さない。
信頼していた部下に顔を背けられたことがかなりのショックだったらしく、力なくフラフラと立ち去る。
あまりにも意外だった。長兄にとってここが大切な居場所であると認識はしていたけど、あんなになるなんて。
──そんなにも大切な部下を貴方は欺こうとしているのよね。
「アリアナ様……」
コゼット卿は悲しそうに私を呼んだ。
心配して「大丈夫か」と問いたい気持ちを堪える。
多くの人は決まって「大丈夫」と返すからだ。私もその一人である。
大丈夫でなくても。
「本当にさっき仰ったことを、やらされているのですか?」
騎士の一人が勇気を出して聞いた。
「やらされてはいないわ。私のために任せてくれたのよ。みんなも知っての通り、小侯爵様は優しい人だから」
「それは優しいとは別です!」
「アリアナ様が断れないのを良いことに押し付けているだけでは」
疑心や不満を抱く。
長兄は当主の器なのか。過大評価しすぎているだけで、団長としての実力も低いのでは。
様々な思考が読み取れた。
長兄を庇えば庇うほどに私の評価は上がり、長兄への失望は最高潮を迎える。
──このくらいでいいかしら。
長兄の首をはねるには騎士団からの信頼を集めておかなければならない。
「私も戻るけど、あまり無理はしないで下さいね」
踵を返して屋敷へと戻る。うるさくなるであろう屋敷に……。




