ここではない、遠いどこかへ
「アリー、大丈夫?」
帰りの馬車の中、シャロンはひたすら心配してくれる。
真実を受け入れ認めた私が気分を害しているのではないかと。
胃がムカムカしていたけど、時間が経ったおかげですっかり良くなった。
私が話したのは夫人が偽物であるということだけ。
回帰していることは話していないし、悟られてもいないはず。
彼らが冒した前世の罪は私が知っていればいい。
同じ過ちを繰り返す前にあの首をはねることが最善であり、傷つく人を増やさない策。
胸の苦しみはまだ残っている。痛みにより呼吸は整わない。
それでも。
「大丈夫よ」
嘘ではない。
もうやめにしなくてはいけないのだ。現実から目を背け、逃げるなんて愚かなことは。
感じた違和感は最初から答えで、決定打でもあったのに。
真実を受け止めなかれば全てが元に戻るなんてまやかし。
私は一体何を期待していたのか。
勘違いも甚だしい。
真実を告げるべきだったんだ。大勢ではないけど私に味方がいたのも事実。
彼らと共に立ち上がるべきだった。
「大丈夫ならいいんだけど」
「心配ばかりかけてごめんね」
「それが親友の特権でしょ?」
「ふふ。そうね」
馬車は通常よりも遅いスピードで走る。
あんな話をした後だから、アルファン公爵が気を遣ってくれているのね。
私は至って冷静だ。むしろアルファン公爵のおかげで今まで以上に復讐心に火がついた。
揺らぐ心はもうない。
ずっと考えていたんだ。あの顔で優しく名前を呼ばれたら、私はどうするんだろうと。
偽物とわかっていても手を差し伸べてしまうのではないか。
復讐を誓ったはずなのに、決心が鈍って見逃してしまうのは愚行。
でも。今日があったから、アルファン公爵が疑問を抱いてくれたからこそ。切り捨てることができる。
偽物の家族を。
「ねぇ、アリー。私には教えてくれてもいいんじゃない」
「ん?何を?」
「とぼけるつもりね」
シャロンの両手が私の頬を挟み、そのまま左右に引っ張られる。
力を込めていないとはいえ地味に痛い。
「復讐が終わったらどこに行くの?」
外の御者に聞こえないよう、声を潜める。
離された頬をさすっていると、今度は肩にその手が置かれた。
「さぁ。どこに行くのかしらね」
「死ぬ……の?」
震える声は確信さえ持っていて。
私は肯定も否定もしなかった。
潤んだ瞳はいつもの強気なシャロンとは真逆。
恐怖に取り憑かれたかのような。
次の台詞が続くことはなかったけど、必死に訴えてくる。
嫌だ。行かないで。と。
らしくない。こんなにも心が読まれてしまうなんて。
「彼らは死を持ってその罪を償う」
シャロンを抱きしめた。力強くではない。優しく丁寧に。大切な宝物だから。
「私が愚か者だったせいで多くの人が死んだ」
お母様もニコラも。ボニート家に至っては使用人まで。鏖殺だった。
いつだって私に優しくしてくれていた、心優しい人達。
私を信じてくれていた人だっていた。
弁明すら出来ずにおめおめと殺された私は、そんな彼らを裏切ったも同然。
「私だけが裁かれないのはおかしいのよ」
「理不尽に殺されて、それでもアリーは罰を受けなくてはいけないの?」
「私が殺されたのは報いよ。真実を傍観していたことへの。シャロン達を殺した罰ではないわ」
命の対価は命。償える方法は一つだけ。
彼らの命以外を望むなんて傲慢。生きる選択肢なんてないんだ。
「どうして……。愛されたいと願うことが罪なら、この世界の全員が罪人じゃない」
「愛されたいがために、何もしなかった。何もしようとしなかったことが罪なのよ」
泣くのを我慢しているせいか、鼻をすすりながら私を説得する言葉を探す。
「殿下は!?ディルク殿下も置いていくの?好きなんでしょう」
「……ええ。好きよ。ディーもシャロンも。みんな」
「違う。恋愛で……。ずっと傍にいたい意味でってことよ」
名前の付いた感情が胸を締め付ける。
苦しいけど、蓋をしてしまえばどうってことない。
あの日に読んだ物語。悲惨な最期を迎えた、感情移入をした美しき令嬢。皆からは悪女と呼ばれ愛する人を失った。
傍にいられたら幸せ。愛してくれなくても。
私だけなら感情の正体に気付くことなく不整脈として終わらせていただろう。
あの物語が教えてくれた。特別な感情を。
それほどまでに恋に鈍感で、愛を求めるだけだったから。
「私は……」
体を離したシャロンは一拍置いて、口を開いた。
「スクロス様が好き」
「………………え?スクロスって、スクロス・ブランシュ?」
「そうよ」
ブランシュ辺境伯の息子でありお母様の兄。私にとって叔父にあたる人だ。
この二人に面識があったの?
たまに国に帰ってきてるみたいだし、偶然に出会うことがかっても不思議ではないか。
「今でこそうるさく言う人はいなくなったけど、昔は髪のことでよくからかわれたりしたものよ」
前髪をいじりながら当時を懐かしむ。
シャロンの性格は昔も今も変わらず、女だから男を立てるなんて古くさい考えを持っていなかった。
女は三歩下がって後ろをついて歩くものだと見下す発言が多い子息達は、思い通りにならないシャロンが気に食わなかったのだろう。
陽の光が当たると色が違って見えるシャロンのことを、わざとらしく気味悪がったりもしていた。
本人はさほど気にしていないから、無意味な攻撃ではあったけど。
「あのときもね。数人の歳上に囲まれてたの。私の相手ではなかったんだけど」
それはそうだ。
毎日のように鍛錬を怠らないシャロンと、貴族だからと贅沢ばかりする数人の子息。どちらが強いかは聞くまでもない。
「そこでね。たまたまスクロス様が通りがかったの。大勢で、しかも男が女を取り囲むなんて紳士どころか男の風上にも置けないって叱責してくれたわ」
「それだけ?何だかシャロンらしくないわね」
「ううん。その後。子息達を追い返したスクロス様が」
『俺は好きだぜ。嬢ちゃんの色。あんな連中の言葉なんて気にすることはない。こんなにも綺麗なんだからな』
「顔に似合わない可愛い笑顔でそう言ってくれたから」
可愛い笑顔?
スクロス様は強面で、見ようによっては凶悪犯。
相手を凍らせる笑顔は不気味。
見てしまった者は泣いて降伏するとか。
私も本人と会ったことはないし、人から人へ伝わった噂を耳にしただけ。
絶対に尾ヒレは付いたとしても、可愛い笑顔ということに関しては色々と、その。うん。
想像がつかない。
「この話。人にするのは初めてなの。父親と歳がほとんど変わらない人を好きになるなんて、おかしいからね」
「そう?好きになった人がかなり歳上ってだけで、気にすることないと思うけど」
というか。シャロンが気にするはずがない。
だとすると。恋心を諦めるために蓋をしたのはスクロス様の名誉を守るため。
恋愛なんてからっきし。物心つく前から強さを求めてきたスクロス・ブランシュが、成人も迎えていない令嬢から好意を持たれるなんて、噂好きの貴族からした格好の的。娯楽の餌食となる。
捏造され作り出されたありもしない真実により、大きな傷をつけてしまう。
前世でもシャロンが婚約者を選ぶことなく、一人を選んだのはそういうことだったのね。
実らなくても、傍にいられなくても。好きでいられるだけで幸せを感じていた。
こんなにも尊くて美しい恋を、人は純愛と呼ぶ。
「次はアリーの番よ。教えてくれるわよね。殿下への気持ち」
「二人だけの秘密にしてくれる?」
「ええ。もちろん」
「シャロンが察してる通り、私はディーが好きよ。人としてじゃなく異性として」
目を閉じればディーが浮かぶ。愛しく名前を呼んでくれるから、もっと呼んで欲しいと欲が出る。
叶うならずっと傍にいたいとさえ思う。
傲慢で許されない恋は私の決心を鈍らせようとする。
私の心にあるのは愛されることではなく、復讐のみ。
人並みの幸せを手に入れたいなんて、強情を張るつもりはない。
あの子みたいに図々しい神経をしていたら、人並み以上の幸せを求めていたかも。
人生をやり直すことで、絶対に欲しい物が全て手に入らないことを知った。
欲しい物を天秤にかけて同じ重さだったとき、片方を諦めることでもう片方が得られる。
「復讐を遂げて殿下との未来を築けばいいじゃない」
「ダメよ。資格がない。私には」
汚い私がディーの隣に立つなんて。
そういう選択肢があるとしても私は選ばない。選んでいいはずがないんだ。
「ここで話したことは内緒。二人だけの秘密よ?」
「私の……夢はどうなるの?私のために王妃になってくれるって、約束してくれたでしょ。嘘つくの?」
「うん。ごめんね。嘘つきで」
人は死んだら天国が地獄に行く。
判断基準は良い人か悪い人か。
生きている間に良いことをした人は善行が認められ、天国に続く階段を登り、再び人して生まれ変わる。
悪いことしかしなかった人間は地獄に真っ逆さま。未来永劫、魂は業火の炎で焼かれ続ける。
理に反して二度目の人生を歩む私は人ですらないのだ。
みんなには綺麗なままでいて欲しいから、私のことは最初からいない存在として扱ってくれればいい。
「お待たせしました、アリアナ様。屋敷に到着致しました」
緩やかに馬車は止まり、外から声をかけてくれる。
「ありがとう、シャロン。私の親友でいてくれて。大好きよ」
手を握った。温かい。
返事を期待していたからこそ、まさかの沈黙につい、急かすように顔を覗いた。
奥歯を噛み締め泣くのを我慢するため目に力が入りすぎている。
そんな顔をさせているのは私であり、心臓を抉るような罪悪感がのしかかってきた。
「私もよ」
僅かに開かれた口から発せられた言葉は本心であり、私の考えを変えられなかったことに後悔さえ感じていた。
私は幸せ者だ。こんなにも多くの人に愛されて。
間違った道に進もうとする私を、正しい道に戻そうとしてくれた人もいただろう。
だからこそ、何も気付こうとしなかった自分が憎い。殺したいほどに。
「ありがとう」
扉を開け、手を貸してくれる御者に感謝を述べる。
振り向けばシャロンはもう泣きそうではなかった。
いつもの強気な、可愛いシャロンがそこにいる。
「また明日」
変わらない、何気ない挨拶。
手を振れば振り返してくれる。
「ええ、また明日」
私はすぐにいなくなるわけじゃない。
彼らの終わりを見届けるまで、ここにいる。
胸が痛むのは気のせいだ。
二度目の人生をやり直す意味は一つだけ。
未来を……望んではいけない。




