戻せない十七年と、これから続く未来【ディルク】
「夜分遅くに失礼します。陛下」
夕食が終わり、僕から陛下を訪ねた。
とは言っても自室にではない。
陛下が内緒話をするための部屋。
僕が陛下に声をかけると目立ってしまうからセシオン団長を通して、誰にも邪魔されないよう二人で会うことに成功した。
かしこまった態度に慣れることはなく、陛下は悲しそうな笑みを浮かべる。
「僕は……貴方が嫌いです」
「あぁ。知っている」
「母上を無理やり王宮に連れ込み、側室にまでしたのに僕が生まれてから放置するようになった」
「否定はしない」
「なのに今更、父親で在ろうとする」
言葉を返すことなく目を伏せた。
「僕は本当に貴方が嫌いだ」
「ディル……」
「でも!リンデロンの名を持ち、この国の王である貴方にしか頼めないこともある」
アリーに利用されることは嫌いではない。
僕に出来る範囲で望みを叶えられるなら、何だってする。
「息子としての最初で最後のお願いを聞いて下さい」
真っ直ぐと誠意が伝わるように、深く頭を下げる。
慌てて立ち上がった陛下はすぐに「息子としてのお願い」に反応した。
頭を上げさせようと伸ばされた手が僕に触れることはない。
戸惑いつつも真剣さは伝わり、深く椅子に座り直す。
放たれるオーラは紛れもなく王。
「その願いとやらは、私にしか叶えられないようだな」
僕が何を口にするのか見当はついていた。
そして、その願いを叶えるのは簡単であると同時に難しくもある。
この方法なら連中を黙らせることは可能。
アリーは何としてでもすぐに復讐を終わらせたいみたいだ。
綴られた文字には怒りが込められていて、自分のせいで誰かを傷つけてしまうことが苦しいと。
「お前にどうやって渡そうか悩んでいたところだ」
それは…………アリーが欲していた物。
最初から用意されていたということは、陛下は僕とアリーを……。
この人は自分のために忖度するような性格ではない。
感謝でも謝罪でもなく、僕達が受け取るに相応しいと判断してのこと。
疑問が残る。アリーならともかく、なぜ僕まで?
「クラウス殿下が約束してくれた。今後、我が国が災害等で立ち行かなくなったとき、魔法使いを送り支援してくれると。他ならぬ、お前のために」
「それなら僕がこれを貰う理由にはならない」
「お前がいなかればクラウス殿下は申し出てくれなかった。何より。ディルク・リンデロンとの約束だと既に書面にも記されている」
「わかり、ました。ありがとうございます」
「(それだけではないんだがな)」
僕の手の中にあるそれはとても重かった。
「他に話は……ないようだな」
手紙は濡れていた。あれは涙の跡。
切なる願いは純粋さもあって。望んでいなかった。僕が陛下を嫌い続けることを。
「僕は……貴方の息子に生まれてきても良かったんですか」
涙を流しながら喜んだと言っていたのは王妃付きのメイド達。
本人やその周りから聞いたわけではない。
聞きたくても聞けなかった。
母上からの愛情があればいいと思っていたし、バルト卿が僕にとっての父親みたいなもの。
本物の父親がいなくても生きてこられた。
人は……辛い記憶を忘れたりはしない。
「貴方は覚えていないでしょう?僕を突き放した日のことを」
まだ幼く、父親の話題に触れてはならないと完全に理解していなかった頃。
母上の話から父親が国王陛下であることは知っていた。
一目だけ会ってみたくて、僕の存在を見て欲しかったから、会いに……行ったんだ。
右も左もわからない。迷路のような王宮を歩き回って、短い足を懸命に動かして、疲れて息を切らしながら。
どこにもいなくて会うのを諦めた瞬間、その人は現れた。
ようやく会えた喜びと嬉しさ。多少の浮かれ。
多くを期待していたわけではない。名前を呼んで欲しかった。ただそれだけ。
小さな手は大きな存在に届き裾を引っ張ると、その人は初めて下を見た。
金色の瞳と目が合う。精一杯の笑顔を向けた。
その人は息も忘れるくらい冷たい目で僕を見下ろす。
僕の手を簡単に振り払っては一言だけ
「誰の子だ?」
ハッキリと自分の立場を理解させられた瞬間。
僕はこの人に愛されてはいない。
望まれて生まれてきたわけではなかった。
この人が愛しているのは母上だけで生まれた息子には興味も関心もない。
だから決めた。
それなら僕も貴方を愛さず、信じることもしない。
家族になりたかったわけではないけど、存在をなかったことにされるのであれば……。
「ディルク。すまなかった」
伸ばされた手は今度こそ僕に触れ、抱きしめてくれた。
「お前が生まれたとき、私は本当に嬉しかった」
抱きしめる力が強くなる。
「会いに行ってやれなかったが、お前を想わない日は一日もなかった」
肩が濡れる。声も震えていた。泣いているんだ。陛下が。
「遅くなってすまない。今更だと呆れてしまうだろうが、ディルクが私の息子に生まれてきて本当に良かった」
「だったらなぜ、あんな……」
十七年は長すぎる。家族が家族じゃなくなる時間として。
思えばあの日から。バルト卿が僕達の護衛に任命された。
「わからないんだ、もう」
僕達が家族で在った時間は一秒足りともない。
あの日から濃く引かれた線は飛び越えてはならない禁忌。
無条件で嫌いになれる今の状況に甘んじて、憎むことはなく嫌いであり続けた。
愛されないのなら、愛さない。
僕に存在がないと認めてくれた陛下が望むように。
そんなひねくれた考えを持ち、大切にしたい人以外とは距離を縮めないように生きてきた。
恋をして、全てを懸けて愛したいと思ったあの少女にさえ、自分から歩み寄ることはなく。
「突き放すなら!!最後まで責任を取って……。でないと……」
期待をしてしまう。
僕は陛下に愛されているのだと。
多くを望み期待したわけではなかった。
人並みの幸せもいらない。
せめて……。名前を呼んでくれたのなら。
「どうか私に。最初で最後のチャンスをくれないか。やり直したいんだ。家族を」
いつだって自信に溢れている力強い瞳は不安に揺れていた。
陛下にはとっくに家族はいる。完璧な正妻と、その息子。
「貴方は卑怯だ」
自分から線を引いたくせに。身勝手に手を差し伸べて。
それでも。その手を掴んでしまう僕はもっと卑怯だ。
多くを期待しないと言いながら。望みはないと諦めつつも。
本音は愛されたかった。息子として。
エドガーと同じように。
「今度こそ私に、お前を愛させてくれないか。何度も間違えるかもしれないが、親子になりたいんだ」
言葉は出なかった。
泣かないように我慢して唇を噛み締める。
……父上の背中に手を回して。