どこまでも不快なあの子
「ヘレンはとても上手だったよ!殿下のステップにも付いていけていたし!」
「来年にはきっと学年で一番、踊れるに決まっている!」
教室内では、それはそれは見え透いたお世辞が飛び交う。
あの程度が上手だと言えてしまえる彼らに拍手を送りたい。
「そうよね。だって……。ボニート令嬢も酷かったし、私と同じくらいだったもんね」
「……は?」
私は今、人様に見せられる顔をしていないと自覚している。
眉間には深く皺が寄り、目は鋭く睨み、全身から殺気を放つ。
無言でシャロンが離れていく辺り、怒るを通り越してキレている。
「貴女とシャロンを一緒にしないでくれる?」
楽しそうな会話に横入りすると、聞かれていると思っていなかったのか顔から血の気が引く。
即座にとぼけようとするから、真正面に立ってしっかりと目を合わせた。
「初歩のステップをロクに覚えられずに、何度もパートナーの足を踏んでは転倒して。一体どこがシャロンと同じなの。説明してくれないかしら?」
「え、えっと……。その……あ!エド!!」
教師からいくつかアドバイスを貰ったのだろう。
いくら友人だとしても、王族の品位を落とす相手との付き合いは考えたほうがいいと。
感情に任せて怒鳴り散らすなんて真似はしないはず。
その愚かな行為が秘密の関係を公にしてしまうと誰より理解しているから。
聞き分けの良い爽やかな青年を演じたところで、貴方は第二王子でしかない。
その上の王太子にはなれないし、私が阻止してみせる。
助かったと雰囲気を醸し出すあの子を逃がすつもりはない。
視線を遮るように二人の間に立ち、冷たく見下ろす。
私の目に感情なんてない。
呼吸の仕方を忘れたかのように息は浅くなる。
操るのに必要な量の魅了香を付けていない男子生徒は私を止めようともしない。
「答えなさい、ヘレン」
「だ、だからぁ……」
目を潤ませて被害のような態度で怯える。
それでもいい。いじめていると思われようが、悪女と呼ばれようとも。
たかが……ヘレン如きがシャロンを見下すなんて許せるはずがない。
「アリアナ。何もそんなに怒ることはないだろう。ヘレンだって本気でそう思っているわけじゃない。そうだろう?」
事情を聞いてすぐ助け舟を出すのは早々にカタをつけなければ、自分の目が届かない場所でいじめられることを危惧してのこと。
焦りが隠し切れていない。どんなに考えても私を言い負かせる方法が浮かばないのよね。
だって完全に悪いのは向こうなのだから。
素直に謝らせるのであれば、この話題は終わらせてあげてもいい。
でも。しないのよね?絶対に。
プライドが高く、自分よりも下の人間に形だけでも頭を下げるなんて。
こうしてみると二人ってかなりお似合い。
「アリアナ。落ち着くんだ。ヘレンは慣れない授業で疲れていはし、教師からもかなりキツく指導されていた」
キツく?あれは普通だ。
出来なければならない基礎が出来ていない。
やるべきとこをやろうとすらせずに。
他の人より強く言われて当たり前。
よもやこの男は、あれしきのことで教師が生徒をいじめたなどと喚くつもりではないだろうか?
「そのことにより深く傷ついている。許してやるのが淑女だろう。アリアナはヘレンが可哀想とは思わないのか?」
「傷ついていれば誰かを侮辱してもいいと?」
「侮辱?」
「確かにシャロンはダンスが苦手です。ですが。苦手をそのままにすることなく努力して、苦手なりに頑張っていました。ヘレンはどうですか?何一つ努力することなく、失敗しても周りがこうして庇ってくれると思い込んで。努力を続けるシャロンと、努力を怠るヘレンが同じなわけないでしょう!!」
「何もそこまで……」
すぐにでも謝らせなかったことを後悔していた。
私の怒りは本物で、そう簡単には鎮まらない。
「可哀想だと聞きましたね。ええ、思いますよ。周りが甘やかすことにより、本来やるべきことを怠った。その結果、淑女とは程遠い、いいえ。貴族としても落第の人間が出来上がってしまったのだから」
承認欲求が強いあの子はクラス流れの注目の的。
喜んでいないようだけど、気のせいよね?
侯爵にお願いして職人に無茶ぶりしたり、人が亡くなったにも関わらずお茶会を開こうとするほどに関心を集めたい。
今の状況はまさに望んだ通りのもの。
きっと嬉しさのあまり感激しているのね。
「私は侯爵家に……!!」
「貴女は侯爵の厚意によりローズ家で暮らせているだけ。それを忘れないで」
今までで一番、衝撃が強くショックが大きいはず。
家族に愛されたい私は常々、ヘレンに言っていた。
血の繋がりがなくても私達の家族。侯爵家として振る舞うようにと。
認めていたんだ。私も。あの子を侯爵家の一員だと。
「何言ってるのよ。アリアナが言ったのよ!私は侯爵令嬢で、他とは違うんだって!!」
「言っていないわ。そんなこと」
身の丈に合わない贅沢な暮らしをさせてもらっているだけでなく、図々しくも侯爵令嬢を名乗る。
周りの目にはどう映るか、考えもしない。
ローズ家の血を引いていようとも、ヘレン・ジーナである限り侯爵令嬢にはなれはしない。
バカなその頭でも、それくらいはわかっているでしょう?
反論してもいいのよ。自分もローズの名前を持つ侯爵令嬢だと。
あの子の心臓の音が聴こえる気がした。
極度の緊張から大量の汗をかきながらも、私から目を逸らさない。
プライドなのか、私を偽物と見下しているのか。
怯えた瞳では怖さすらない。
ここまでハッキリと敵意を見せているのに、私が真実に気付いているかもと思わないのね。
愛に飢えている愚かな私は、よっぽどバカだと思われているらしい。
賢いはずのあの男も。
──違う。これは……。
現実を見ていないんだ。昔の私のように。
目の前にあるものではなくて、己が見てきたものしか信じていない。
餌を垂らせば私が大人しく従うと思い込んで。
時には現実を見せてあげるのも淑女の務め。
「ヘレン。よく聞いて。もし仮にシャロンが私の親友じゃなかったとしても、私が貴女を親友にすることはないわ。絶対に」
「…………どうして?」
意味を理解するのに時間を費やし、わざとらしく首を傾げた。
自分をより可愛く見せる方法を熟知したやり方。
「わからない?本当に?」
すぐに答えを出さなければムッとする。
頭が悪いからこそ、簡潔に事実を述べて欲しい。話が脱線したりするのを嫌う。
「故意に他人を傷つけ陥れる人を親友に選んだなんて、私の品位が疑われるからよ」
さて。遠回しに「下品」と言ってみたけど、通じたかしら?
「ボニート令嬢だって故意に私を傷つけるわ!!」
通じていなかった。期待をしていたわけではないけど。
言葉の真意を考えることなく飾られた表面だけで判断するのは貴族としてあるまじき行為。
平民だって騙されないように考えるもの。
結局のところあの子は、どんなに高貴な血を引いていても貴族の器ではないということだ。
「私達は今まで近くにいすぎた。それが原因で勘違いさせてしまったようね」
「か、勘違い?」
「貴女は侯爵令嬢ではなく子爵令嬢。ローズ家の権力は貴女のものではないのよ」
悔しいわよね。本来であれば貴女が手にしていたはずの身分と権力。そして名声。
それを自分のものではないと大勢の前で宣言され、出生を否定されて。
感情的になり反論しようとした瞬間、肩に置かれた手にハッとした。
ここはアカデミー。無条件で味方をしてくれる屋敷ではない。
口を閉ざした。唇を噛み締めながら恥をかかされたことに怒り、本気の敵意をぶつけてきた。
珍しく意思の疎通が出来ていることに驚きながらも、私にはどうでもいいことだと切り捨てる。
「お互いのためにも金輪際、アカデミーでは私に近づかないでくれる?」
「アリアナ!いくら何でもそれは酷いんじゃないか。親友でなくともヘレンは君の……」
「友人、だと仰るのであれば殿下が傍にいてあげて下さい」
私の瞳にはもう何の感情もこもっていない。
それさえ見抜けないのであれば、貴方は人を見ていないということ。
人の上に立とうと思うのであれば、人は見るべきだ。
権力を振りかざし思い通りに事を進めるだけの愚王を、国民は求めていない。
まだ何か言おうとしてくるから、授業を理由に言葉を遮って席についた。
チャイムが鳴ったから、これ以上は何も言えない。
大人しく席については恨めしそうに私を睨む。
これで体裁を気にするあの男は私に近づいてこないだろうし、感情に任せて余計なことを言いかねないあの子を私から遠ざけるはず。
あれだけハッキリと言ってあげても尚、話しかけてくるようなら言葉を理解出来ないのと同じ。




